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温度を連れて帰る|夏越の旅

目が覚めたら、車の中だった。


ほんの少し仮眠するつもりが朝になり、予定のなかった一日が始まる。

前夜は夏越の祓で半年の穢れを祓い、お気に入りの湧水を汲み、はじめての温泉に浸かった。
帰るはずだった旅は、一羽のイワツバメに導かれるように八島湿原へ続いていく。
草原の静けさ、鳥たちの声、冷たい水、見知らぬ人との何気ない会話。

境界を越えるたび、身体にも心にも少しずつ温度が宿っていく。

家へ帰ってもなお消えなかった、その温度の行方を綴った夏越の二日間。


夏越の祓と時の境目


6月30日、夏越の祓に参加するために
神社へ。
神事が始まる18時は雨予報。
どうか降りませんように。
文字通りの神頼み。
その前に、こちらまで来たなら必ず行きたいもうひとつのお宮へ。

もう夏の雲だ


去年の八月にここへ来た時、一緒になった女性が、水出しの麦茶パックを入れた容器にダイレクトにお水を汲んでいた。
お家に帰ったらお茶がすぐ飲めるって言ってた。
そんな光景を見たら、このままゴクゴク飲みたい。
一口、今年も変わらず、冷たい。
やさしく美味しい。
軟水。

お気に入りの水汲み場所

山の上の神社は、不思議と今日は誰にも会わなかった。すれ違いの出来ない細すぎる道。
景色に見とれて脱輪しないように、気を引き締める。
静謐な雰囲気でとても心地よい場所。
遠くに入道雲。もう、夏。
お参りをして、水をいただいて、杉の木立の日陰で、汲みたてのお水で喉を潤した。
生き返る。

雨の少ない土地。山からのこの水は素晴らしい恵みの水だ。
その後、水の流れに沿うかのように、扇状地を下へと降りる。あちこちに大きなため池のある土地を抜けて、神事が行われる神社に辿り着く。

午後六時
雨降りませんように


もうたくさんの人が集まっている。
約300人も?!巫女さんと新聞記者の会話でそう話していた。
別の巫女さんから人形(ひとがた)を渡され、

「結界の中でお待ちください。」

結界、なかなか日常的には聞かない文言で、気持ちを新たにする。
竹を四隅に立て、縄と紙垂で区切られた結界に、一礼をして入る。

「神様が来る時間を大勢の人が待っているんだな」
さっきまでひとり静かな神社にいた身からすると落差がすごい。
高いケヤキの木の梢では、カッコウが鳴き出した。
鳥の声、池の水の音、風のざわめき、砂利を踏む音。
この待つ時間ですら、この後、目の前で行われる神事への期待の時間だ。

結界の中で
約300人が静かに始まりを待つ

6月終わりの夕刻6時はまだ明るい。
静けさを破り太鼓の低い響きが轟き、大勢の神職たちが列をなして、結界の中に入ってくる。
絵巻物の世界。
今年は神職たちの装束は白で統一されていた。パリッとした麻だろうか、天然の白色。張りのある布のカーブが美しい。

始まる。

むかしむかしあるところに巨旦将来と蘇民将来の2人の兄弟がいて……と語り部のように、なぜ茅の輪くぐりをするのかをわかりやすく丁寧にお話ししてくださった。
兄のように無碍に追い返さず、貧しくとも出来うるかぎり温かく素戔嗚尊を迎え入れた蘇民将来は疫病避けの茅の輪を授かり無事息災だったとのこと。
その茅の輪にあやかって今も連綿と続いている。

次に禰宜さんの朗々とした大祓詞が始まる。

たかまのはらに かむづまります すめらがむつ かむろぎ かむろみのみこともちて
やおよろずのかみたちを かむつどえに つどえたまいて…

大祓詞

「あれ?違う人かな。去年の祝詞は力があったな…」

声の高さ、間の取り方、息継ぎ、抑揚、響き、その人自身の空気感。
違いを感じつつ今年も聞き入る。

去年は言葉の意味はわからずとも、とても魅了された。
だからまた聞いてみたい、そう思い今日もここへ来た。

意味よりも「心を変える力」を持つ言葉。
なんとか理解したいと、必死に耳を澄ませ、ついてゆく。
この大祓詞は、神々が世界の秩序を整え、人の生む乱れを表に出し、それを水・風・息の働きで段階的に消し去って清浄な状態へ戻す流れを言葉で示したものだという。

瀬織津比売(せおりつひめ)が川へ流す。
速開都比売(はやあきつひめ)が海へ送り出す。
気吹戸主(いぶきどぬし)が息で吹き飛ばす。
速佐須良比売(はやさすらひめ)が完全に消し去る。

穢れはこの四柱の神々を経て、人の世界から完全に離れていくとされている。

そして、大祓詞の奏上が終わると、中でもうたわれていた「乱れを具体的に断ち切る動き」を現実の所作として再現するために、麻や木綿を裂く儀式が行われる。

禰宜さん二人が、麻と木綿をえいっ!えいっ!と声を揃えて2本を4本に、4本を8本に、八つに割いていく。
(これぞ八つ裂き!)
最後には氏子の皆さんが、おおーっと、声を揃える。

去年は、初見で、わからなかったことが、少し調べて来たことで解像度が格段に上がって、神事の意味を深く受け取ることができた。もっと知りたい。

そして、結びを解く儀式、
こんな例えをしていいのかわからないが、白い紙をねじって作ったツイストドーナツに似た形の紙縒。
それを口に咥えて、息を吹きかけてその撚りを解く。
おおーっと声が上がる。

人の息にも、力があり、吹き払うことで浄化へと導く所作。

そして、巫女さんから配られた白い封筒から、人形(ひとがた)を取り出して、
左手から胸を通って右手、そして頭、胸、両足、さらに気になるところは重点的に撫でさする。頼りないくらい薄い紙の人形、破らないように、そぉーっと、そぉーっと撫でさする。
気になる左膝をもう一度さする。

最後に息を3回ふーふーふーと吹きかけて、「吹く」こと自体が「祓い」だということを、我々も実践する。

次に人形(ひとがた)をくしゃっと小さく丸め、他の人が触れないよう、巫女さんが集めて回るお盆へそっと載せる。
穢れとの訣別。

ただ言われるがままに、見よう見まねでしていた去年。
意味を知る前と後では全く違う。

頭を下げて、祓串でお祓いを受けて、白い1センチ角の紙の切麻(きりぬさ)と呼ばれるものを巫女さんたちが我々にふりかける。なかなか後ろの列までは届かない。去年は袋の中にそれぞれ入っていた。

その後、いよいよ神職たち、氏子の皆さんたちに続いて、茅の輪を大きく境内の端から端までを八の字を描いて3周する。
北門から南門、かなりの距離だ。

茅の輪くぐりというと、多くの人は輪の前で「左・右・左」と小さく回る様子を想像するかと思う。私も別の神社ではそうだった。
しかし、こちらでは、かなりの時間を要する。

「みなづきの 夏越の祓い する人は
千歳の命 延ぶというなり
思う事みなつきねとて 麻の葉を
きりにきりても 祓いつるかな
蘇民将来 蘇民将来」

一人で輪をくぐるだけではなく、大勢が列になって静かに進み、同じ所作を繰り返し、誰も急がず、祝詞の余韻の中を歩く。その時間は、日常ではほとんど経験できないこと。

でもやってみるとこの長い時間の流れが心地よい。夜風が吹き始めて、夕暮れに朱色のお社を横に見ながら歩く。

大地が御神体のこの神社。
まるでそこを練り歩く大きな大蛇になったような不思議な気持ち。

非日常、神事にどっぷりと参加している。
「私を祓う儀式」ではなく、「この場に集った人々全体を祓う儀式」として営まれていることがとても良い体験。

この提灯の文字が
とてもいい
遠くの空は怪しい雲行き
時折 冷やりとした 突風が
ガァガァにぎやかに鳥も列になっている

昼と夜の境目。

半年と半年の境目。

日常と神域の境目。

その土地に暮らす氏子でなくとも、誰でも参加出来る。

敷居は低く格調は高く。
結界、祝詞、神職の所作、烈布の儀、人形で身体を潔めること、夕暮れが刻一刻と変化する中で茅の輪を数百人が大蛇の如く境内の端から端までを静かに歩む光景。掲げられた一連の提灯の灯り。それらが一つの流れとして無理なくつながっていたからこそ「毎年行きたい」と思える素晴らしい体験になった。

帰りに半年分の垢を落として帰ろうと、Googleマップで検索して、この時間でもまだ開いている日帰り温泉を見つけて車を走らせた。

万葉超音波温泉
超音波とは?
電車がこんなところに

はじめて来たアルカリ性単純硫黄泉の万葉超音波温泉。お湯の効能か、超音波の効能か、急に疲れて、運転して山越えする気持ちが消えてしまう。

山のかたち
きれいなシルエット

道の駅でちょっとだけ仮眠。
のつもりが、
いつのまにか寝落ちて
そのまま朝。
空は白々。
雲は多め。
日の出はまだ。

さて、どうしよう。

時の境目に落ちたみたいだ。

朝焼け


起きたら夜が終わっていた

目が覚めたら、車の中だった。

時計は4時37分。

車の窓の目隠しを外し、曇ったガラスを手のひらで拭って外を見る。
日の出はまだだけれど、夜はもう終わっていた。

やっちゃった。

昨日は、生島足島神社の夏越の大祓に参加したあと、戸倉上山田の万葉超音波温泉へ寄った。

帰るつもりだった。

ところが、お湯から上がると急に身体が重くなった。
温泉の効能なのか、一気に眠気が押し寄せてきた。

「少しだけ寝よう。」

その少しが、朝になっていた。

ひとつ目の道の駅は大型トラックが何台もエンジンをかけたままで、とても眠れそうになかった。
もう少し静かな場所を探して、この道の駅へたどり着いたことまでは覚えている。

運転席のシートを倒しただけ。
車中泊をするつもりなんてまったくなかった。
それでも目隠しだけはしっかり付けて寝ていた自分に少し笑う。

車を降りる。

固まった腰を伸ばして、大きく息を吸う。

昨夜汲んだ湧水を後部座席から取り出して、一口。

まだ冷たい。

目が覚める。

空は曇っている。
でも雨ではない。

今日は予定のないオフ。

さて、どうしよう。

このまま帰るのは、なんだかもったいない。

旅がまだ終わっていない気がした。

その時だった。

頭の上を、小さな鳥の群れが勢いよく横切っていく。
イワツバメだ。

「そうだ、八島湿原へ行こう。」

行き先は、その場で決まった。

旅というものは案外、計画ではなく、一羽の鳥が決めるものなのかもしれない。

イワツバメが教えてくれた行き先

不意に浮かんだ目的地へ車を走らせる。
思いつきから始まる旅も、悪くない。

朝ごはん中かな


途中、田んぼの脇でイワツバメの群れに出会った。
さっき飛んでいた群れかな?

路肩に停めてしばらく見とれる。
犬の散歩のおじいちゃんと目が合う。

「イワツバメを見ているんです。」
心の中で届かぬ説明を呟いた。


急に浮かんだ目的地。
なぜか。
あの時の光景が脳裏によぎったからだ。
以前、火打山の黒沢池で見たイワツバメの群れ。

誰もいない、たった一人で広々とした黒沢池へ向かう下り坂を歩いていた。
ぬかるみに足を取られ転んだ。
意図せず、寝転んで見た、空の青。

それまで慎重に足を運んで、泥道岩道ばかり見ていたから、空の青がきれいで目が離せなかった。
すぐに起き上がらず、
そのまま登山道に寝転んでいた。
お尻に冷たさを感じて、慌てて我に返り起き上がる。
転んだ恥ずかしさを感じる他人もいない、たった一人の静寂が戻っていた。

その時、静寂を割くように、小さな鳥の大群が頭上をかすめて飛んで行った。
次から次へと、どんどんやってくる。

なにごと?ヒッチコック?
転んだ衝撃を打ち消すほどの想像を超える出来事。

慌てて写真を撮った。
もちろん、うまく写らない。
帰ってから調べ続けて、あれがイワツバメだと知った。

ツバメはもともと好きな鳥だった。
スーッと飛ぶ姿も、
ピンと跳ね上げた尾羽も、
少し黒みを帯びた胸の赤も。

もしかすると、私が好んで身につける服の「差し色の赤」は、ツバメから教わったのかもしれない。

今朝出会ったイワツバメは、胸が白く、背中は青みを帯びた黒。スマートなツバメより少し丸っこくて、愛嬌がある。
知れば知るほど、気になる鳥になっていく。
彼らが北へ帰ってきたということは、季節がまたひと巡りしたということだ。

「八島湿原に行こう」

鳥たちに会えるとは限らない。それでも、見渡す限りの緑の中に身を置きたくなった。

転んで見上げた、あの日の青空とは違う。
今の空は、少しだけ重たい曇り空。
けれど、その曇天を見上げて、私はエンジンをかけた。

また旅の途中

上田から八島湿原を目指すくねくね坂道の途中、中山道の小さな宿場跡で車を停めた。

突如として現れる昔の風情

立派な建物が突然現れた。江戸時代、旅人をもてなした接待所だった場所らしい。

その傍らには、こんこんと水が湧いていた。勢いよくあふれ、澄んだ音を立てている。近づくだけでひんやりとして、手を浸すだけで、生き返る。ひと口飲むと、山の気配を含んだように、やわらかい。

「ああ、この土地の水だ。」
そんな味がした。
かつてここを行き交った旅人も、この水で喉を潤したのだろうか。

やさしい軟水


百五十年前と同じ水を、私は今飲んでいる。江戸の人も令和の私も、水を飲む姿だけは変わらない。
あー、おだんご買ってくればよかった。次に来る時はぜったい忘れない。

しばらく車を走らせると、山道のあちこちで葉っぱが白く光っていた。緑色に白い葉が浮かび、木漏れ日の中、風に揺れるたびに淡くきらめく。

ペンキでも塗ったような白い葉っぱ。マタタビだ。あの猫にマタタビの。

この開花の時期だけ、虫を呼ぶために葉を白く変えるマタタビ。白い色は葉に空気を溜めているからだという。季節が過ぎれば、何事もなかったように緑へ戻る。その閉店ガラガラみたいな潔さが好きだ。山道の空気は少し湿っていて、鬱蒼とした森の中で葉の白さがいっそう際立って見えた。

「マタタビ」という名前にも、旅が隠れている。

疲れた旅人が実を食べると、また旅ができるほど元気になったということから、その名がついたという。マタタビ酒なんてあるもんね。真偽はともかく、そういう話は大好きだ。

気づけば、私も、また旅の途中だった。

昨夜は本当に帰るつもりだった。

少し仮眠するつもりが朝になり、そのまま家へ戻らず、こうして山へ向かっている。

助手席には、昨日汲んだ湧水も、さっき汲んだ湧水もある。味の違いを楽しむ。真剣に。研ぎ澄ます。違う。ぜんぜん違う。
喉が渇けば飲み、また走る。

湧水も、マタタビも、昔の旅人も、旅は急ぐものではないと教えてくれる。

山へ向かう道は、目的地より、寄り道のほうがよく覚えている。

中山道も歩いてみたい


ウグイスはケキョで本気出す


八島湿原に着いたのは朝8時半だった。

思ったより車が多い。

みんな早起きだなぁ。

いや、人のことは言えない。
私は「起きたら車の中だった」のだから。

予定のない朝ほど贅沢なものはない。

来る途中コンビニで買った焼きそばパン、汲んだばかりの冷たい湧き水をリュックに放り込み、登山靴に履き替える。

「今日は湿原をぐるっと歩くだけ。」
一周1時間半。
そのつもりだった。

ビジターセンターの扉が開いている。

「おはようございます。」

ちょうど職員さんが開館準備をしているところだった。

「今、見頃の花は何ですか?」

ガイドブックには載っていない”今日”を教えてもらえる。

「ニッコウキスゲが咲き始めていて、きれいですよ。」

入り口にあった手描きの地図を眺める。
カモが見られるカモ!
イラストがかわいい。
写真に撮らせてもらう。

この湿原で見られる動植物の展示。
奥にあった立体地図もいい。
立体で見ると、頭の中にも立体で入ってくる。

予習学習は大切だ。

スマホは便利だけれど、山では時々、自分より迷子になる。
電波が一本立ったり消えたり。
結局、一番頼りになるのは紙だったりする。

さぁ、湿原へ一歩踏み出す。

名札を付けた職員さんと思しき女性とすれ違った。熊鈴はつけていない。

そういえば最近、熊のニュースばかり見ていた。萎縮して山歩きを控えていた。

「この辺、熊鈴は必要ですか?」

少し緊張しながら聞いてみる。

「木道を歩く分には大丈夫ですよ。」

その一言で、肩の力がふっと抜けた。
人は安心すると、景色がよく見える。

熊に怯えていた目が、ようやく花を探す目になった。
木道を踏む音が、コポンコポンと乾いて響く。

朝の少し湿った空気。
可憐なハクサンフウロ、凛としたアヤメ、ニッコウキスゲも咲いている。涼やかなオレンジ色、高原によく似合う。

コバイケイソウはニョキニョキと旺盛だ。
枯れた時しか見たことなかったカモ。
艶めく葉の葉脈も、集まった小花もレースのようで、今が一番美しい。

池塘とニッコウキスゲ
ハクサンフウロ
アヤメ
コバイケイソウ
レンゲツツジ


良い時に来た。

ホーホケキョ
おっ、ウグイスだ。いい声。

周りに誰もいないので、ウグイスの真似をしながら歩く。谷渡りまでやってみる。

ホーホケキョ
ケキョケキョケキョ

すると、すごい近くで鳴くウグイス。
喉の中も見えるほどの距離。
こんなに接近したのは生まれて初めてだ。私が居ても逃げないのね。
え?私、ウグイスに仲間入り?

知ってはいたけど、やっぱりウグイスはウグイス色じゃなかった。
ウグイスきなこの色じゃない。
例えるなら、茹ですぎたブロッコリーの色。
ごめんね、ウグイス。
もっといい例えがあったはず。

でも目は真っ黒で胸を膨らませて、思っていたよりも長いくちばしで、全身を使い鳴く姿は胸を打つ。
ホーホケキョのケキョの時に一番口を大きく開く。

人生で一番近くで見たウグイス



「ああ、来てよかった。」

イワツバメにきっかけをもらって訪れた八島湿原。
こんな出会いが待っているとは。

いつもは竹藪の中とか、灌木の奥で姿は見えず、声だけ聞く鳥。

これからはケキョの時に目いっぱい口を大きく開いているんだなーって、見えなくてもわかるよ。

足跡をひとつ 置いていく


ウグイスがさえずり、遠くでカッコウが鳴いている。
湿原を囲む木道には、鳥たちと私しか、いない。
駐車場にはあれほど車が停まっていたのに、みんなどこへ行ってしまったのだろう。私と逆の反時計回りに進んだのかな?
そんな疑問を抱きながら、この静寂を独り占めしていた。

分岐に差し掛かる。
そういえば、歩き始めてから一度も水を飲んでいなかった。

杭にリュックを掛け、ボトルに手を伸ばす。冷えた湧水が喉を通り抜ける。
さて、あと半周。
そう思った矢先だった。
湿原とは違う森の方から、二人の女性が急に姿を現した。
不思議に思い、

「どこからですか?」

声を掛けると、車山の駐車場に車を置いて蝶々深山を越えて歩いてきたのだという。
これから湿原を一周して戻る行程だそうだ。

「少し長いけど、気持ちのいい道ですよ」

そう微笑む彼女たちに、つられて私も口を開く。

「湿原一周のつもりが、まだ時間も早いし、もう少し歩きたくなってしまって。」

「それならぜひ。天気は怪しいけれど、午後までは持ってくれそうですし。」

「では、まったく逆コースですね。」

「行ってみます。ありがとうございます。」

水のボトルをしまい、行き先を即座に変更する。ひとりの気楽さだ。

木道と離れて違う道を進む。
やがて現れたのは、格子状のゲート。
鹿たちの侵入を防ぐための結界だ。
こうやって守られているからこそ、湿原の花たちは次々と咲くことができるんだな。


ゲートを抜けた先で、小さな足跡を見つけた。鹿だろうか。北八ヶ岳の苔の森で見たものより少し小さい。

まだ新しい足跡

かんかん照りではない薄曇りの空が、この湿原を見下ろす丘の気配にはよく似合う。

カラマツの球果

物見岩へ向かう少し急な登り。
風が服の中を通り抜け、背中の荷物が羽のように軽い。

ずんずん歩ける。今の私は、なんだか無敵の勇者のようだ。
翻すマントと手に旅人の杖がほしいところだ。

そういえば今日は木道だけの予定で、トレッキングポールは車の中。

物見岩に立ち、見下ろした湿原は、まるで眠っているように静かだった。

物見岩
岩のモンスターにも見えてくる

ここへ来て、ようやく数人のハイカーとすれ違うようになった。どうやら逆コースが主流なのかな。

見渡す限りの笹原

向かう先の道には、私以外の影はない。いや、影は見えないけれど、土の上には小さな小さな足跡が。

ビジターセンターで見た剥製の姿を思い出す。テンだろうか。剥製、少し心が痛んだけれど、この足跡からなら、彼らが跳ねる姿を想像できる。

すれ違う誰かと、短い挨拶を交わす。
足元には、名前も知らない小さな命の気配。
地図を広げれば、ただの黒い線に過ぎないルート。
けれど、自分の気持ちの赴くまま選んだ道は、歩くたびに頭の中の地図を立体に変えてくれる。

もうすぐ午後になる。
空の向こうの怪しい雲が、少しだけこちらを伺っているみたいだ。

雨が降るなら、それはそれで構わない。
傘も雨具も準備万端だ。
雨が苦手なのに、こんなことを言い出すなんて、人ってわからない。
広がる草原のように、気持ちが大きくなっている。

この道なら、どこへだって歩いていける。
そう思える今の足取りが、我ながら頼もしい。

湿った土に、私の足跡もひとつ、そっと置いてみた。
昨夜の車中泊で始まった、この不思議な旅のあかし。

北の耳 南の耳

80代だろうか、ぜい肉のないスリムなご夫婦。
年季の入ったリュックサック。

車山の分岐で出会ったお二人。

「どちらまで?」

「ここまで来たらあそこに見える車山の気象観測の球体のところまで上がってみようかと。」

「ええっ?あら、お強いのね。八島湿原に戻るんでしょ。それなのに。」

へなちょこ登山を専門としている身としては、身に余る賛辞。
確かに気づけば3時間以上歩いてきた。

照れくさくて、
「荷物が軽くて、つい。」
我ながら要領を得ない返事をしてしまう。
以前の17kgでへこたれた話は今はすまい。

「近そうに見えても、麓まで来ると標高ありますね。」

「そうよ、リフトで上がるぐらいだもの。」

見ると左側にリフトがゆっくり動いて雲の中へ吸い込まれている。

車山の頂上付近はさっきまで見えていた銀色の球体が白い雲の中に隠れて見えなくなった。

今から自分の足で登っても、どうやら眺望は期待できそうにない。

欲張らずに湿原へ帰ろう。
まだ半周残っているんだ。

「同じ道を戻りたくなければ、あそこの建物、コロボックルヒュッテのところまで行ってそこから湿原へ下る道があるよ。」

どうやら、この辺りのことは知り尽くしていらっしゃるご様子。

「今来た蝶々深山からの道、とても良かったです。もっと歩きたくなるくらい。」

白いヒゲを触りながら、
「あそこに見える北の耳と南の耳、ずっと稜線が続いていて気持ちがいいよ、今度行くといい。」
「ほら、あそこ、少し尖って耳に見えるでしょ。」

並ぶ二人のトレッキングポールが、シンクロして同じ方向を指した。
長い時間一緒に過ごしてきた人たちの動きだった。

「ほんとだ、耳ですね。」

「ありがとうございます。お気をつけて。
今度、おすすめの、あの山、歩いてみます。」

次の旅への羅針盤になってくれる、名も知らぬ、たぶん再び会うことはない人たち。

教えてもらった道を行くとあの有名なコロボックルヒュッテ、平日だというのに大勢の観光客。駐車場からすぐ来られる気軽さ。

今まで歩いてきた雰囲気とはまるで違う。人、人、人。賑やかな声が飛び交う。
バイクや車の音も近く聞こえる。

ヒュッテ脇の木では、カッコウが人など眼中にないという顔で鳴いていた。

カッコウの声が響き渡る

私は人を避けるように、湿原への下り坂へと急ぐ。カッコウの声が遠のく。

途中の車山のニッコウキスゲの群生地は八島湿原の方がもっと開花していた。
気温が違うんだな。標高差を実感する。

どんどん下るにつれ、思ったより軽快に足が動くから、普段走るなんてありえないのに、トレランの真似事もしてみる。
もっと筋肉、鍛えたいな。あのご夫婦みたいに歳を重ねても歩けるように。

教えてもらうまでは、ただのなだらかな山だったのに。
北の耳、南の耳が寄り添って見える。
老夫婦を重ねて眺めながら下る道。

またここを歩く日も、きっとあのお二人を思い出すだろう。

北の耳 南の耳

緑の窪地でほどけたもの

車山から八島湿原へ戻る途中、今まで歩いてきた広い道から、草の細道に入る。緑の窪地へと分け入っていく。

するとただならぬ雰囲気の場所があった。
社殿はないが、神社のようだ。
周りを囲むモミの木の大木に比べて、小さな祠がひっそりと佇んでいた。両脇には御柱も立てられている。

何かが違う。
吸い寄せられるように、近くへ。
足元は小川とも、湿地ともつかない、気をつけないと靴に染み込む水の道だ。

人影もなく、私だけ。
どこまで近寄っていいのか、わからない。
恐る恐る近寄ってみると、目の前に立った瞬間、誰かと1対1で囲碁を一局打つ前のような静けさがあった。
なんだろう、この対峙する感覚。

雲行きも気になって、先を急いでいたのに、しばらくここに留まりたい気持ち。

一面緑の草原、そこかしこに、クリンソウの鮮やかな赤紫色が浮かんでいる。
傍に流れる小川のせせらぎが耳に心地いい。


小川の水を手の平で掬ってみる。

冷たっ!

昨日から湧水に触れること三度目。
こんなに冷たいのははじめて。

しばらく両の手をつけたままにした。

胸の奥で固く結ばれていたものが、少しずつほどけていく。

ここへ呼ばれたんだな。

そう思えた。

ふと足元を見ると白いキノコ。
二段に重なった珍しいキノコかと思った。よくよく目を凝らす。
いや違う。
2本のキノコが寄り添っているんだ。
思わず見入ってしまう。
その姿を見ているだけで、胸がじんわり温かくなった。

片方が、もう片方にそっと傘を差し掛けているようなキノコに出会えるなんて。

寄り添うキノコ


あたたかな気持ちを胸に、静かに湿原の木道へ。

木々の間から湿原の向こう側を見る。遠くに緩やかな曲線を描いて今朝から歩いた稜線が薄くけぶっている。

物見岩 蝶々深山


あそこを歩いたんだ。

よく歩いたな。

ケンケーン、バサバサバサと、左の斜面でキジが鳴いた。

自然と自分との境界が、静かに滲む旅だった。

旦過の湯

八島湿原に別れを告げ、車へ戻る。すると湿原の向こうから霧が湧き、たちまちあたり一面が真っ白になった。

長時間の駐車で車内温度が上がった車に、ひんやりとした空気が窓から入ってくる。
汗冷えになる前にお風呂にドボンしないと。

山の中で心許ない電波を頼りに、ようやく下諏訪の「旦過の湯」を見つけた。
「旦過(たんが)」はじめて聞く言葉だった。

鎌倉時代、諸国を旅する雲水(修行僧)たちが夕方に着いて、翌朝には旅立つ。そんな「仮の宿」に由来する名前だという。
「旅の一時的な安らぎ」
まさに今の私にうってつけ。
立ち寄らせてもらう。

印象は綺麗なこじんまりとした温泉だ。
湯船は「銭湯」そのものだった。
熱い。とにかく熱い。
入れないくらい熱い。
45〜47℃の激熱湯。
2つある内のぬる湯と書かれている浴槽が44℃。
試されている。

露天風呂の方が少しはぬるいかと思い、逃げるように、外へ行ってみる。こちらも入れはするが、やはりなかなかの熱さ。
熱さを我慢しつつ入ってみる。

飲み水を持ち、慣れた感じで入っている若い女性と、思わず顔を見合わせて、
「熱いです…よね?」と声を掛けてみる。
初めてのあまりの熱さに同意が欲しかったのだ。

自分は今日初めて来たこと、八島湿原、車山ハイクからの帰りだと話した。
彼女は地元でカフェを営む女性だった。
おばあちゃんに連れられて小さな頃から通っている温泉なんだとか。
見たところ施設が新めなので、そんなに前から?と不思議に思うと一度建て替えがあったらしい。昔は熱い浴槽しか無くて、帰りにおばあちゃんにアイスを買ってもらうのが楽しみだったとか。

いつしか2人とも浴槽の縁に腰を掛けて、足湯しながら、山歩きの話が弾んだ。

彼女は山に行きたい気持ちはあるが、膝が心配だという。白駒池に行きたいと。なんたる偶然、この前行って来たばかりなんです、私。
彼女のご友人がその近くの明治温泉にいるそうで、夏はカフェのかき氷ポップアップを計画中だそう。
先日の白駒池の帰りに入ろうかと候補に上がった温泉の名前だ。不思議とつながっていくのが嬉しくなる。

何気なく温泉の熱すぎる温度に共感を得たくて話しかけたのに、こんな偶然が。

彼女の戸隠への参拝、白駒池への憧れ、私は蝶ヶ岳、白馬岳、互いの旅路を束の間話して、熱い湯気の中で笑い合った。
身体も心もアツアツぽかぽかだ。

最後に熱いお湯にチャレンジ。
どう頑張っても一番熱いお湯の中で50数えられない。
耐えきれず飛び出した。
でも全身の疲れが一瞬で霧散したように思えた。

本当に気持ちよかった。いいお湯だった。クセになる熱さ。また入りたい。

湯を出て汲んできた湧水をがぶ飲みする。火照った身体に、冷たい水が駆け巡る心地よさといったら。

車に戻りエンジンをかけると、地元のお客さんが颯爽と目の前を自転車で横切り、桶を片手にお風呂へ入っていくのが見えた。
これから夕方の地元の人で混む時間だ。その前に滑り込みできた。

少ないカランの横に
「子どもや、一見さんにも見本を見せましょう」という貼り紙があった。
「一見さん」という言葉に、ここが地元の人たちの暮らしそのものであることを教えられる。
「お邪魔しました」
正真正銘の一見さんは心の中で呟く。

駐車場から大きい道に出る時、下諏訪独特の急な坂道に差し掛かる。
これがもしもマニュアル車だったら、エンストしたらどうしようと冷や汗の出るような角度の急坂。一時停止。ブレーキいっぱい踏みつける。

ふと見ると坂の手前のお家の前のベンチに座った可愛らしい小柄なおばあさんが笑顔でこちらに手を振っていた。
あれ?誰かと似てるのかな?私。
ついつられて全力で振りかえす。

何の見返りもなく、ただ通り過ぎる旅人に向けられた、あの無垢な笑顔。
琴線に触れたのか、わけもなくなんだか急に泣きそうになった。
その瞬間、車のハンドルを握る指先まで温かくなるような気がした。

家に帰り、教えてもらったお店の名前を検索して知った。
あのおばあさんが手を振ってくれた建物は、彼女の営むカフェだった。

「旦過」の名の通り、夕方にやってきて、朝には立ち去る旅の身。

けれど、この熱いお湯と、誰かの笑顔が、旅の記憶と一緒に身体にしっかりと
染み込んだ。

またいつか、彼女のカフェにもお邪魔してみたい。真夏の白駒池へ、かき氷を食べに行く旅を計画しようか。
思いは巡る。

時の境目に落ちた私の旅は、こうして誰かの温度を重ねながら、終わりを迎えた。

家に帰りついても身体の芯は、まだ熱を持ったままだった。

あのお湯の熱なのか。
それとも、また旅へ出たいという種火なのか。

一方通行のトンネル


























































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