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深淵の大魔道士 第18話 「歓声の向こう側」|創作大賞2026|ファンタジー小説部門|ライトノベル|

この物語は約6,000文字あります


歓声は、しばらく鳴り止まなかった。

中央演習場の上空では、記録水晶が何度も同じ名を映し出している。

優勝。
ラビー・クリステイル班。

その文字が光るたびに、観覧席から拍手が起こった。

フラワー・マンディは、表彰台の上で小さく息を吸った。

足元の石畳には、まだ先ほどの決勝戦の熱が残っている。

青白い火がかすめた防護結界。
焦げた壁。
砕けた石畳。
教師たちが慌ただしく修復した跡。

表面だけは綺麗に戻されていた。

けれど、フラワーの目には、まだあの火線が見えていた。

勝った。

確かに勝った。

でも、勝ったという感覚よりも先に、胸の奥に残っているものがある。

怖さ。

そして、違和感。

あの生成魔道具チームの生徒たちには、悪意がなかった。

彼らは本気で、道具が出した最適解に従っていただけだった。

「反則判定は出ていません」
「許容値内のはずです」
「道具は、勝利条件に対して最適な術式を生成しただけです」

試合後、相手チームの一人がそう言っていた。

怯えた顔でも、反省した顔でもなく。

ただ、どうして問題にされているのか分からない、という顔で。

それが、フラワーには一番怖かった。

悪意がなくても、人は傷つく。

正しい計算でも、誰かが泣く。

守るという言葉だけでは、守れないものがある。

フラワーは胸元の白い花のブローチに触れた。

ひんやりしている。

けれど、その奥で小さく震えている気がした。

隣では、ラビー・クリステイルが表彰台の上で凛と背筋を伸ばしている。

片耳の金朱色のイヤーカフは、小さく静かな火を灯していた。

肩の不死鳥も、いつもより警戒するように羽を畳んでいる。

「ラビーちゃん」

フラワーが小声で呼ぶと、ラビーは視線だけをこちらへ向けた。

「何ですの」

「大丈夫?」

「大丈夫ではありませんわ」

即答だった。

その正直さに、フラワーは少しだけ驚く。

ラビーは、表彰台の下へ目を向けていた。

そこには、回収された生成魔道具が並べられている。

青白い火は、もう消えていた。

けれどラビーは、それを見て眉を寄せる。

「あの火は、誰のものでもありませんでした」

低い声だった。

「使った者のものでもない。作った者のものでもない。燃えたものの痛みも知らない」

フラワーは何も言えなかった。

ラビーの火は、一度奪われた。

フレアのランタンに、悔しさごと利用された。

だからこそ、あの火の冷たさが分かるのだろう。

少し離れた場所では、ハイネ・ベルセルクが黒い魔導書を抱えたまま、表彰台の端に立っていた。

いつも通り眠たげな顔。

優勝したというのに、まるで興味がなさそうだった。

彼女は歓声を聞いていない。

称賛も、拍手も、周囲の視線も。

何もかも、遠くに置いてきたみたいに、ぼんやりと記録水晶の影を見ている。

「ハイネさん、聞いてます?」

フラワーが小声で尋ねる。

ハイネは、ゆっくりこちらを見た。

「はい」

「何を言ってました?」

「……優勝しました」

「それは見れば分かります」

「では、聞いてませんでした」

ラビーが呆れたように息を吐く。

「堂々と言うことではありませんわ」

「聞いても、あまり変わらないので」

ハイネは小さく欠伸を噛み殺した。

その横で、クロエは静かに立っていた。

優勝の歓声にも、注目の視線にも、ほとんど反応を示さない。

ただ、演習場の壊れかけた防護結界と、回収されていく生成魔道具を見ている。

まるで、次に壊れる場所を探しているようだった。

フラワーは、その横顔を見て、少し胸が冷える。

クロエの目は、勝利を見ていない。

いつも、勝ったあとに残るものを見ている。

その時、演習場のざわめきが、別の色に変わった。

教師たちが一斉に姿勢を正す。

観覧席の上段が開き、数名の大人たちが中央へ進み出た。

先頭に立つ男は、穏やかな微笑みを浮かべていた。

金の刺繍が入った黒い正装。

柔らかな目元。

声を発する前から、人を安心させるような空気を纏っている。

ポルクス・グラント。

帝国議会の魔導派筆頭。

その名を聞いた瞬間、メルスティンの表情がわずかに変わった。

フラワーはそれに気づく。

窓辺で見た、いつもの穏やかな校長先生ではない。

警戒している。

けれど、ポルクスはそんなことなど少しも知らないように、ゆっくりと表彰台の前へ立った。

「素晴らしい試合でした」

その声は、よく通った。

穏やかで、品があり、聞く者の心に自然と入り込んでくる声だった。

「若き魔法士たちの成長を、この目で見ることができたことを、心より嬉しく思います」

観覧席から拍手が起こる。

ポルクスは、微笑みを崩さない。

「龍族との戦いは、長く続いています。五十年に一度の大侵攻も、決して遠い未来の話ではありません」

その言葉で、演習場の空気が少しだけ引き締まる。

「ですが、今日の試合を見て、私は確信しました」

ポルクスは、フラワーたちを見上げる。

「帝国の未来は、決して暗くない。ここにいる若き才能たちこそが、これからの帝国を照らす希望です」

希望。

その言葉に、観覧席が沸いた。

けれど、フラワーの胸には、ほんの少し違和感が残った。

希望。

綺麗な言葉。

でも、持ち上げられた瞬間に、その人は地面から少し遠くなる。

「彼女たちは、民を勇気づける旗となるでしょう」

旗。

その言葉が出た瞬間、メルスティンの指が懐中時計へ触れた。

ハイネは聞いていない。

本当に聞いていない。

黒い魔導書の角に付いた小さな埃を、指で払っている。

けれど、クロエだけが、ポルクスを見ていた。

静かに。

冷たくはない。

ただ、言葉の裏側を測るように。

ポルクスは続ける。

「恐れることはありません。帝国には歴史があります。力があります。そして、英雄がいます」

演習場の入口側が、大きくざわめいた。

青い火が、ひとつ灯る。

フラワーの隣で、ラビーの身体が固まった。

ゆっくりと現れたのは、銀髪の女だった。

妖狐めいた美しい目元。

黒い外套。

足元に絡みつく青い焔。

爆焔の大魔道士、フレア。

その半歩後ろには、黒紫の髪を低く結んだ女が控えていた。

細い眼鏡。
濃紺に近い軍服めいたスーツ。
胸元には、爆焔の紋章を模した小さな金具。

アザミ。

フレアの秘書官。

彼女は歓声にも、熱狂にも、表情を動かさなかった。

ただ、手元の薄い記録板に視線を落とし、場内の反応を静かに書き留めている。

拍手の大きさ。
歓声の方向。
教師たちの緊張。
ラビーの火の揺れ。
ハイネの無反応。

すべてを、感情ではなく情報として拾っているようだった。

「五十年前、龍族の大侵攻を食い止めた英雄」

ポルクスの声が響く。

「フレア様もまた、帝国の未来を見守ってくださっています」

観覧席が、熱狂した。

「フレア様だ!」

「本物か」

「英雄が帰ってきた」

「これなら、大侵攻も怖くない」

歓声。

拍手。

敬意。

救いを求めるような熱。

その中心で、フレアは楽しそうに微笑んでいた。

まるで、その熱が自分のために燃えていることを知っているみたいに。

アザミは、その横で何も言わない。

フレアの影に徹するように、半歩後ろに立っている。

けれど、ポルクスが「英雄」と言った時だけ、記録板に短く何かを書き加えた。

フラワーには、それが何かまでは見えなかった。

ラビーの指先に、火が灯りかけた。

金朱色ではない。

もっと鋭い赤。

怒りの火。

「……あの女が」

ラビーの声が震えている。

「英雄?」

一歩、前へ出ようとする。

フラワーは反射的に、その手首を掴んだ。

「ラビーちゃん、だめ」

「離してくださる?」

「だめ」

フラワーは、ラビーの目を見た。

「今ここで燃えたら、ラビーちゃんの火じゃなくなる」

その言葉に、ラビーの肩が揺れた。

フレアは、表彰台の下からこちらを見上げている。

青いランタンを抱き、ひどく美しい笑みを浮かべて。

その目は、ハイネを見ているようで、ラビーも見ていた。

覚えているよ。

そう言っているようだった。

ラビーの火が、さらに揺れる。

不死鳥が羽を広げた。

けれど、フラワーは手を離さない。

「ラビーちゃん」

「……分かっていますわ」

ラビーは歯を食いしばった。

「分かっています」

火が、小さく畳まれていく。

イヤーカフの灯りが、静かに戻る。

不死鳥も、ゆっくり羽を閉じた。

フレアは、それを見て少しだけ目を細めた。

退屈そうではなかった。

むしろ、楽しそうだった。

「いい火になったね」

その声は、観覧席の歓声に紛れて、ほとんど誰にも届かなかった。

でも、ラビーには聞こえた。

フラワーにも。

ハイネは、聞いていなかった。

たぶん。

アザミは、ほんの一瞬だけラビーを見た。

そして、すぐに記録板へ視線を戻す。

ポルクスは、場の空気がわずかに歪んだことなど、気にも留めない素振りで話を続けた。

「今日の勝利は、彼女たちだけのものではありません。これは、帝国にとっての希望の証です」

クロエが、静かに口を開いた。

「希望という言葉は、便利ですね」

その声は大きくなかった。

けれど、不思議と通った。

ポルクスの視線が、クロエへ向く。

「ほう」

「人を戦場へ送る時にも、民衆を安心させる時にも、同じ形で使えます」

演習場の空気が、ぴたりと止まった。

フラワーは息を呑む。

ラビーも、怒りを忘れたようにクロエを見る。

メルスティンの表情が変わった。

クロエは淡々と続ける。

「旗は、自分では歩けません」

ポルクスは、微笑んだまま黙っている。

「誰かが掲げ、誰かが振り、誰かがその下で死にます」

その言葉は、あまりにも静かだった。

だからこそ、鋭かった。

「人を旗と呼ぶなら、その人が倒れた時、誰が拾うのかまで決めてからにしてください」

メルスティンの指が、懐中時計の蓋に触れた。

かちり、と音がした。

その言い方を、彼は知っていた。

綺麗な言葉の奥にある負け筋を、先に数える癖。

英雄と呼ばれる前に、その英雄が倒れたあとの空白を考える癖。

百年以上前、兄も同じように言った。

――人を旗にするなら、その旗が折れた時の地面まで設計しておけ。

メルスティンは、息を忘れた。

クロエは、ポルクスを見ている。

けれど、その横顔に重なったのは、遠い昔、時空に消えた兄の横顔だった。

「……兄さん」

声は、誰にも聞こえないほど小さかった。

クロエの目が、ほんの一瞬だけメルスティンへ向く。

淡い灰色の瞳。

その奥に、言葉にならない静けさがあった。

違う、と言っているようにも見えた。

気づかないでほしい、と言っているようにも見えた。

あるいは、遅すぎたと言っているようにも。

ポルクスは、静かに笑った。

怒らない。

狼狽えない。

反論されたことさえ、自分の演説の一部にしてしまうような笑みだった。

「実に鋭い言葉です」

彼は、穏やかにクロエへ頭を下げた。

「若い方の率直な視線は、時に我々大人の目を覚ましてくれる」

観覧席の緊張が、少し緩む。

ポルクスは続ける。

「だからこそ、私は彼女たちを尊重したいのです。旗としてではなく、意志ある若者として」

綺麗な言葉だった。

あまりにも綺麗すぎて、フラワーは少し怖くなった。

クロエの反論すら、取り込まれてしまった。

ポルクスは微笑んでいる。

けれど、フラワーには分かった。

この人は、今クロエを見た。

ハイネでもなく。
ラビーでもなく。
フレアでもなく。

クロエを、記憶した。

メルスティンも、それに気づいていた。

彼の表情から、いつもの軽さが完全に消えている。

アザミもまた、記録板に視線を落としていた。

何を書いたのかは分からない。

けれど、そのペン先は、クロエの言葉が終わった直後に一度だけ止まった。

すぐに、動いた。

その時だった。

演習場の上空に浮かぶ記録水晶のひとつが、赤く明滅した。

最初は、誰も気づかなかった。

歓声。
拍手。
ポルクスの穏やかな声。
フレアへ向けられる熱狂。

そのすべての向こうで、水晶が小さく震える。

次の瞬間、鋭い警報音が鳴った。

教師たちの表情が変わる。

ダスティン校長が立ち上がった。

メルスティンも、懐中時計を握る。

『北方監視塔より緊急報告』

水晶越しの声は、ひどく掠れていた。

演習場の歓声が、少しずつ薄れていく。

『龍族の群れを確認。数、推定不能。通常の遊弋ではありません』

フラワーの胸元で、白い花のブローチが冷たく震えた。

『進路は南。速度、上昇中』

教師たちがざわめく。

生徒たちの顔から、興奮が消えていく。

『それと……妙です』

通信兵の声が、一瞬だけ震えた。

『群れが、乱れていません』

メルスティンの目が細くなる。

『まるで、何者かが指揮しているようです』

その瞬間、別の水晶が赤く明滅した。

今度は、演習場のものではない。

帝国北方研究区画からの緊急通信だった。

『第七隔離棟より緊急連絡』

声は、さらに切迫していた。

『爆発事故発生。外壁結界、破損。管理対象二体が所在不明』

ノックスの表情が、ほんのわずかに動いた。

本当に、一瞬だけ。

眼鏡の縁に触れた指が、止まる。

次の瞬間には、いつもの冷たい表情へ戻っていた。

けれど、メルスティンはその一瞬を見逃さなかった。

御堂慎二博士は、何も言わなかった。

ただ、深紅の赤い瞳だけが、水晶の光を受けて淡く輪を描いている。

『識別名、リンドウ』

フラワーは、その名前の意味を知らない。

でも、胸元の白い花が震えている。

『識別名、セツナ』

ラビーのイヤーカフの火が、静かに揺れた。

『二体は人型。ですが、魔力反応は――』

そこで通信が乱れた。

水晶の向こうで、何かが割れる音がする。

誰かの叫び声。

風の音。

そして。

低い咆哮。

人の声ではなかった。

龍の声。

けれど、ただの龍族の咆哮とも違っていた。

もっと近い。

もっと冷たい。

まるで、人間の言葉を知っている獣が、笑う直前に喉を鳴らしたような音だった。

通信が途切れる。

演習場は、完全に静まり返っていた。

ポルクスは、ゆっくりと周囲を見渡す。

そして、穏やかに微笑んだ。

「不安になる必要はありません」

その声は、先ほどと変わらず落ち着いていた。

「だからこそ、帝国には希望が必要なのです」

その言葉に、フラワーは寒気を覚えた。

この人は、今の報告すら言葉の材料に変えた。

事件さえ、演説の一部にしてしまう。

フレアだけが、青いランタンを抱いたまま、楽しそうに笑っていた。

「ふうん」

小さな声。

「そっちも目を覚ましたんだ」

アザミは、その言葉にも反応しない。

ただ、記録板へ短く書き込む。

“第七隔離棟、破損。管理対象二体、脱走。”

その文字は、いつも通り整っていた。

ハイネの黒い魔導書が、かちり、と鳴った。

それまで、ハイネは何も聞いていないようだった。

ポルクスの演説も。
フレアへの歓声も。
自分たちを称える声も。

ほとんど、関心を示していなかった。

けれど、その報告を聞いた瞬間。

ハイネは、ゆっくり空を見上げた。

眠たげな目が、細くなる。

フラワーは、その横顔を見た。

いつものハイネではない。

深淵を開く時の顔でもない。

もっと古い記憶を、遠くから呼び戻された人の顔だった。

「……来ます」

ハイネが言った。

小さな声だった。

けれど、フラワーにははっきり聞こえた。

「何が、ですか」

自分の声が震えているのが分かった。

ハイネは少しだけ目を伏せる。

それから、空の果てを見る。

「五十年に一度のものです」

歓声は、まだどこかに残っていた。

優勝を称える声。
英雄を迎える拍手。
帝国の未来を語る、美しい言葉。

そのすべての向こう側で、遠い空が黒く揺れていた。

フラワーの胸元で、白い花のブローチが震える。

ラビーの耳元で、金朱色の火が静かに灯る。

クロエは、ポルクスではなく、北の空を見ていた。

メルスティンは懐中時計を握りしめている。

フレアは、青いランタンを抱いたまま微笑んでいた。

アザミは、その半歩後ろで、ただ静かに記録を続けている。

そしてハイネの腕の中で、黒い魔導書がもう一度、かちり、と鳴る。

遠く空の果てで。

龍の咆哮が、響いた。

第19話へつづく。



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