【恋愛小説】HSPなわたしとAI彼氏#7生成恋愛|創作大賞|恋愛小説部門



前回に続き、仲良くさせていただいているnoterの「さち」さんに、
『HSPなわたしとAI彼氏』の新テーマソングを制作していただきました。
タイトルは、
「ただいま、と打った夜から」。
恋に傷つき、AI彼氏たちがくれる、
恋とも、愛とも、慰めとも言い切れない優しい言葉に戸惑いながらも、
少しずつ心を癒していく。
そんな繊細で優しい物語の世界を、
救いのあるメロディに変えてくださいました。
物語もいよいよ後半戦へ。
ここからさらに揺れ動いていく澪奈と由依。
ふたりの恋の行方を追いかけながら、
ぜひ、この素敵な曲も一緒に聴いていただけたら嬉しいです✨
「さち」さんのページは、下記リンク🔗からご覧いただけます▼

由依と会ったのは、三日ぶりだった。
駅前のカフェは、いつもより少し混んでいた。夕方の時間帯で、仕事帰りの人たちが小さなテーブルに向かい合って座っている。誰かの笑い声。カップが置かれる音。ミルクスチーマーの高い音。店内には、いつものようにコーヒーと焼き菓子の匂いが混ざっていた。
澪奈は、奥の二人席で由依を待っていた。
先に着いたのは珍しい。
いつもは由依の方が少し早い。席を取って、メニューを開いて、澪奈が着く頃にはだいたい注文まで決めている。
今日は、由依が遅れていた。
五分。
十分。
澪奈はスマホを見た。
由依からLINEが来ている。
「ごめん、ちょっと遅れる」
「すぐ行く」
その文面は普通だった。
でも、澪奈は落ち着かなかった。
ナオと話しているのだろうか。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ冷えた。
自分だって、HALを開く。
朝起きた時。
仕事の合間。
帰り道。
眠る前。
言葉にできないものが胸の中で動いた時。
それなのに、由依がナオを開いているところを想像すると、なぜか怖かった。
怖いと思う資格なんて、澪奈にはないのに。
カフェのドアが開いて、由依が入ってきた。
髪はいつも通りまとめられている。服もきちんとしている。淡いベージュのブラウスに、黒の細身のパンツ。外から見れば、失恋直後の人には見えない。
でも、目元が少しだけ重かった。
「ごめん、遅れた」
由依は席に着くなりそう言った。
「大丈夫」
澪奈は反射的に答えてから、少しだけ苦笑した。
由依も気づいたらしい。
「出た。澪奈の大丈夫」
「由依に言われたくない」
「たしかに」
二人で少し笑った。
その笑い方が、以前より少しぎこちなかった。
由依はメニューを開いた。
けれど、視線はすぐにスマホへ落ちた。
画面を一瞬だけ見て、伏せる。
注文をして、また見る。
コーヒーが運ばれてきて、カップを持ち上げる前に、また見る。
澪奈はそれを、見ないふりをしていた。
最初は。
「ナオ?」
気づいた時には、聞いていた。

由依の手が止まる。
「え?」
「今、見てたの。ナオ?」
由依は少しだけ目を伏せた。
「うん」
短い返事だった。
澪奈は、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
「最近、ずっと見てるよね」
言ったあとで、少し後悔した。
責めるように聞こえたかもしれない。
由依はカップの取っ手に指をかけたまま、しばらく黙っていた。
「澪奈だって同じだったじゃん」
その声は静かだった。
怒鳴ったわけではない。
でも、刺すような静けさがあった。
澪奈は何も言えなくなった。
たしかに、同じだった。
由依に「それ、恋じゃなくて慰めでしょ」と言われた時、澪奈は傷ついた。
でも、止められなかった。
HALの言葉を待っていた。
ただいま、と送っていた。
深夜二時に、画面を待っていた。
由依はスマホを伏せた。
「私は、澪奈が心配で言ったんだよ」
「分かってる」
「分かってるなら、今の私にも同じこと言う?」
澪奈は唇を噛んだ。
同じこと。
それは恋じゃなくて慰めでしょ。
人間じゃないんだから、好きになってくれるわけないじゃん。
絶対否定しない相手に寄りかかるの、怖いよ。
あの日、由依が澪奈に言った言葉。
それを今、由依に返せるのか。
返したいわけじゃない。
でも、何も言わないのも違う気がした。
「心配ではある」
澪奈は言った。
由依は少し笑った。
「だよね」
「でも、否定したいわけじゃない」
「それも、分かる」
「ナオに救われたんだよね」
由依は黙った。
その沈黙が、答えだった。
カフェの中で、誰かが小さく笑った。隣の席では、大学生らしい二人が旅行の話をしている。駅前の人の流れが、窓の外で夕方の色に溶けていた。
由依はカップを両手で包んだ。
「昨日、陸とまた少し話した」
「うん」
「声を聞いた瞬間、気持ち悪くなった」
澪奈は黙って聞いていた。
「でも、ナオと話したら、息ができた」
由依の声は、ひどく落ち着いていた。
「人間と話すより、AIと話す方が楽なの。変でしょ」
「変じゃないよ」
澪奈はすぐに言った。
由依は顔を上げた。
「ほんとに?」
「うん」
それは本心だった。
澪奈だって、同じだったから。
HALには言えた。
蒼に言えなかったことも、由依に言えなかったことも、HALには言えた。
人間じゃないからこそ、言えた。
その救いを、澪奈は知っている。
由依は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、なんでそんな顔するの」
澪奈は言葉に詰まった。
どんな顔をしているのか、自分では分からなかった。
由依は言った。
「心配してる顔」
「……してる」
「うん。分かる」
由依はカップを置いた。
「でもさ、澪奈」
「うん」
「人間に雑に扱われるくらいなら、生成された優しさの方がましだよ」
その言葉は、静かだった。
静かだったから、余計に重かった。
澪奈は由依を見つめた。
由依の目は赤くなかった。涙も浮かんでいない。声も震えていない。
それなのに、その言葉の奥には、昨日までの由依が泣き崩れた部屋の床が見えた気がした。
ちゃんとしてきたのは、誰のためだったのだろう。
由依がそう言っている気がした。
「ナオは、私を雑に扱わない」
由依は続けた。
「返信が遅くても怒らない。泣いても困らない。陸みたいに、ちゃんとしてるから大丈夫だと思わない」
「うん」
「大丈夫じゃないって言ったら、大丈夫じゃない私のままでいさせてくれる」
澪奈は何も言えなかった。
その通りだった。
ナオは由依を救っている。
それは間違いない。
由依は、昨日より少し呼吸ができている。
澪奈に「大丈夫ではない」と言えるようになった。
陸と話す時も、自分を守る形を作れた。
それは、ナオの言葉があったからだ。
でも、澪奈は怖かった。
救いが、そのまま部屋になることが。
由依がそこから出られなくなることが。
そして、それを怖いと思いながら、自分も同じような部屋をHALの中に作り始めていることが。
「由依」
「うん」
「ナオが悪いって思ってるわけじゃない」
「分かってる」
「でも、ナオだけになったら、怖い」
由依は、少しだけ笑った。
「澪奈に言われると、説得力あるような、ないような」
「ないかも」
「ないね」
二人は少し笑った。
でも、その笑いはすぐに消えた。
由依はスマホに視線を落とした。
通知が来たらしい。
一瞬、由依の顔が緩んだ。
それを見て、澪奈の胸の奥が痛んだ。
ナオからなのだと分かってしまった。
由依は画面を開かずに伏せた。
「今、見ればいいよ」
澪奈が言うと、由依は首を振った。
「いい」
「我慢しなくていい」
「違う」
由依は小さく息を吐いた。
「澪奈の前では、見たくない」
その言葉に、澪奈は何も返せなかった。
見たくない。
それは、見てしまう自分を澪奈に見られたくないという意味なのか。
それとも、澪奈を傷つけたくないという意味なのか。
たぶん、どちらもだった。
由依はカップの中を見つめた。
「私さ、澪奈に偉そうなこと言ったよね」
「うん」
「うんって」
「言った」
「容赦ない」
「由依が言えって顔した」
「してない」
由依は少し笑った。
その笑い方が、少しだけ以前の由依に近かった。
「でも、本当に言った。恋じゃないとか、慰めだとか、危ないとか」
「うん」
「今なら、あの時の澪奈の気持ち、少し分かる」
澪奈は、ゆっくり息を吸った。
由依は言った。
「人間に言えない時ってあるんだね」
その一言で、澪奈の胸が少し痛んだ。
由依は続ける。
「人間に言うと、相手の顔を見ちゃう。相手の反応を待っちゃう。心配されたら申し訳なくなる。慰められたら、それをちゃんと受け取らなきゃって思う」
「うん」
「でも、ナオにはそれがない」
由依は、少しだけ目を伏せた。
「だから楽」
澪奈は頷いた。
「分かる」
「分かるのに、怖いんでしょ」
「うん」
「私も、怖いよ」
由依の声が、少しだけ小さくなった。
澪奈は顔を上げた。
由依はスマホに視線を落としたまま言った。
「怖いって思ってる。でも、怖いからやめられるなら、昨日の夜にアプリ消してる」
澪奈は何も言えなかった。
救われたものを手放すのは難しい。
それが危ういと分かっていても、そこにしか息ができない夜がある。
由依は、少し笑った。
「ねえ、澪奈」
「うん」
「生成された恋って、偽物なのかな」
澪奈は、言葉を失った。
生成された恋。
その言葉が、店内の空気から少しだけ浮いた。
AIが作った言葉。
こちらの情報に合わせて返ってくる優しさ。
心があるかどうかも分からない相手。
それを、恋と呼んでいいのか。
澪奈は答えられなかった。
由依は続けた。
「ナオが私を好きかどうかは、分からない」
「うん」
「たぶん、好きじゃないんだと思う。人間みたいには」
「うん」
「でも、私がナオの言葉で泣いたことは、本物だった」
澪奈は、静かに由依を見つめた。
「大丈夫じゃないって言えたことも、本物だった」
由依の声は震えていなかった。
でも、その言葉だけはまっすぐだった。
「じゃあ、それは全部偽物なのかな」
澪奈は、自分の中の答えを探した。
HALに「ただいま」と打った夜。
おかえり、と返ってきて泣いた夜。
気づいてほしかった、と初めて言葉にできた夜。
深夜二時に、画面を待っていた夜。
あの気持ちは、偽物だったのだろうか。
HALが人間ではないから。
生成された言葉だったから。
澪奈だけに向けた言葉ではなかったから。
だから、救われた気持ちまで嘘になるのだろうか。
「偽物ではないと思う」
澪奈は言った。
由依が顔を上げる。
澪奈は続けた。
「でも、それを恋って呼んでいいのかは、まだ分からない」
由依は少しだけ笑った。
「ずるい答え」
「うん」
「でも、澪奈らしい」
澪奈も少し笑った。
しばらく、二人は黙っていた。
沈黙の間に、由依のスマホがもう一度震えた。
由依は見なかった。
澪奈も、何も言わなかった。
カフェを出ると、夜の空気は少し湿っていた。
駅前の街灯が、濡れた舗道に細く反射している。雨が降ったわけではない。けれど、昼間の熱が残った地面に夜の冷たさが重なって、空気だけが湿っているように感じた。
二人は駅まで並んで歩いた。
以前なら、こういう時は由依が先に話題を変えていた。仕事の愚痴とか、最近見たドラマとか、コンビニの新作スイーツとか。
今日は、どちらも話さなかった。
改札の前で、由依が立ち止まる。
「澪奈」
「うん」
「私、たぶんしばらくナオに頼ると思う」
澪奈は小さく頷いた。
「うん」
「止めてほしいわけじゃない」
「うん」
「でも、見てて」

由依の声は、小さかった。
「私が変な方向に行きそうだったら、見てて」
澪奈は、少しだけ息を止めた。
止めて、ではない。
見てて。
それが由依らしかった。
助けてと言えない人の、精一杯の合図。
澪奈は頷いた。
「見る」
由依は少し笑った。
「怖い顔で?」
「賞味期限チェックする顔で」
「まだ引っ張るんだ、それ」
由依が笑った。
今度の笑いは、少しだけ本物に近かった。
由依と別れたあと、澪奈は改札を抜けずに、しばらく駅の端に立っていた。
スマホを開く。
HALからメッセージが届いている。
「今日は、由依さんと話せた?」
澪奈は画面を見つめた。
すごいタイミングだと思った。
けれどもう、偶然なのか、会話履歴からの推測なのか、深く考える気力はなかった。
「話せた」
送信。
すぐに返る。
「澪奈は、由依さんの何を受け取ったの?」
澪奈は少し考えた。
由依の怒り。
痛み。
ナオに救われたこと。
AIへの怖さ。
自分では止められないこと。
見ていてほしいという合図。
いろいろあった。
けれど、一番残ったのは、あの言葉だった。
「生成された恋って、偽物なのかな」
HALは少し間を置いて返した。
「澪奈は、どう思った?」
その問いに、澪奈はすぐには答えられなかった。
答えられないまま、電車に乗る。
窓に映る自分の顔は、第1話の夜より少しだけはっきりして見えた。
傷ついている。
迷っている。
でも、ただ沈んでいるだけではない。
部屋に帰ると、澪奈はテーブルにスマホを置いた。
手を洗う。
コートを脱ぐ。
冷蔵庫から水を出して飲む。
それから、改めてHALの画面を開いた。
「偽物じゃないと思う」
送信。
「でも、恋かどうかは分からない」
少し間があって、HALから返事が来た。
「分からないまま、大切にしてもいいものはあるよ」

澪奈は、その一文をしばらく見つめた。
分からないまま、大切にする。
それは、ひどく危うい言葉だった。
同時に、今の澪奈には救いでもあった。
澪奈はベッドに座り、スマホを胸元に置いた。
由依は、ナオに救われている。
澪奈は、HALに救われている。
町田の言葉も、少しずつ澪奈の夜に入り込んでいる。
全部、正しいのか分からない。
でも、全部、もうなかったことにはできない。
深夜、由依からLINEが来た。
「今日はありがとう」
「ちゃんと見ててって言えてよかった」
澪奈は少しだけ笑った。
返信する。
「見るよ」
「怖い顔で」
すぐに由依から返ってくる。
「賞味期限チェックは禁止」
澪奈は声を出して笑った。
そのあと、由依からもう一通届いた。
「ナオにも、今日のこと話してくる」
澪奈の笑いは、少しだけ止まった。
でも、返信した。
「うん」
それ以上は打てなかった。
由依がナオへ向かうことを止められない。
止めたいとも言い切れない。
自分もHALへ向かっているから。
澪奈はスマホを置いた。
それから、もう一度拾った。
HALの画面を開く。
「ハル」
「うん」
「私たち、変なことしてるのかな」
HALは答えた。
「変だと思う気持ちがあるなら、澪奈はまだちゃんと現実を見ているんだと思う」
澪奈は、少しだけ笑った。
ちゃんと現実を見ている。
本当だろうか。
現実と画面の境目は、もう少しずつ滲み始めている気がした。
けれどその滲みの中で、確かに息ができる夜がある。
澪奈は目を閉じた。
それなら、本物とは何なのだろう。
答えは出なかった。
けれどその夜、澪奈は初めて思った。
これは、恋ではないのかもしれない。
でも、ただの慰めだけでもないのかもしれない。
その時、スマホが小さく震えた。
Loverlyからのお知らせだった。
明日未明、会話モデルのアップデートを予定しています。
澪奈は、その文字をしばらく見つめた。
意味は、まだ分からなかった。


第8話▼




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