「誰にも会わない山で、自由を思い出す」
ここのところ天気が良くないので、山へ行く機会がめっきり減っている。もっとも、天気が良過ぎると暑さや体力のことを考えて二の足を踏んでしまうのだから、我ながら勝手なものである。
それでも山に入ると、しんどさとは比べものにならないほどの清々しさを感じる。

私がよく歩くのは家の近くの醍醐の山だ。登山というよりハイキングに近いのかもしれない。歩き出せば十分に山の中なのだが、街からそれほど離れていないので、時折学生たちの声やバイクの音、工事の音などが聞こえてくる。その瞬間だけ現実に引き戻される。

けれど、それ以外の時間は深い緑に包まれながら山を楽しむことができる。
不思議なことに、この山ではほとんど人に会わない。二時間以上歩いて三人も出会えば多い方で、誰とも会わない日の方が珍しくない。

何時間も車を走らせて有名な観光地へ行かなくても、こんな場所が家の近くにあるのは本当にありがたいことだ。
昔から近くに山があることは知っていた。しかし、自分が山道を歩くようになるとは思ってもみなかった。

山道は静かだ。
鳥たちの声が響き、緑は心を穏やかにしてくれる。季節の移り変わりも街にいる時よりずっと近くに感じられる。

流行りの観光地で行列を作り、疲れて帰る休日も悪くない。だが私にとっては、山を歩く時間の方が何倍も心を癒してくれる。

黙々と歩くのもいい。
息を切らせながら登るのもいい。
滑りそうになりながら杉の葉や落ち葉を踏みしめて下るのも楽しい。
息が上がるまで小走りしてもいいし、のんびり歩いてもいい。立ち止まって空を見上げてもいい。
すべてが自分の自由だ。
目的地は決めていても、気が変われば来た道を引き返しても構わない。
「この急坂は帰りに登ると大変そうだな。今日はここで戻ろうか」

そんなことを考えながら歩くのも、一人ならではの楽しみである。

倒木があれば、上を越えるか下をくぐるかを考える。それさえ少し楽しい。
もちろん誰かと歩く山も好きだ。
話をしたり、景色の良さを分かち合ったり、コーヒーを飲んだりする時間は格別である。
ただ、一人で歩いている時ほど自由ではないかもしれない。
急に「戻ろうか」と言い出せば相手は困るかもしれないし、自分も気を遣うだろう。
人は知らず知らずのうちに相手を気遣い、忖度しながら生きている。
それも大切なことだ。
けれど、せっかく自然の中に身を置くのなら、人に気を遣う前に耳を澄ませたい。

風の音に。
鳥の声に。
土の匂いに。
木々の変化に。
そして、草花たちの小さな呼びかけに。

そんな時間を与えてくれるから、私はまた山へ向かいたくなるのだ。
添える詩
山には自由が落ちている
戻るも進むも
立ち止まるのも
誰かに決められることはない
風の音を聞き
鳥の声に耳を澄まし
足元の落ち葉を踏みしめる
ただそれだけで
少し忘れていた自分が
静かに戻ってくる

