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中国史小話集㉞

【蕭何の功績】
漢は秦の諸制度を引き継ぎつつ、郡県制と封建制を併用した郡国制を採用するなど独自色を出しているが、楚漢戦争で中国を二分する大乱となったにもかかわらず、天下統一後の国家運営は比較的スムーズだった印象を受ける。
これは後に初代丞相・相国となった蕭何の功績で、劉邦が咸陽に入城した際、蕭何は真っ先に書庫へ走り、諸記録を持ち出していたのである。その後、咸陽は項羽によって焼かれてしまうので、蕭何が機転を利かせて諸記録を持ち出していなければ、乱後の国家運営はもっと難しくなっていたと思われる。
蕭何の功績として、劉邦が項羽と戦っている間、兵糧と人員の補給を滞らせなかったことが挙げられるが、これも秦の諸記録を無傷で持ち出せたことで土地や住民の掌握がスムーズに行えたからだろう。
そう考えると、咸陽を焼き払った項羽は浅はかである。項羽の陪臣に、蕭何のように行政手腕に長けていそうな人物が見いだせないのだが、いたとしても項羽に天下統一後の国家運営ができていたかどうか疑問である(彼が政治をする姿が想像できない)。擁立していた義帝を殺害したあたり、自分が覇者として上に立とうとしたようだが、彼は根っからの軍人でワンマンだから、国家運営は早晩、行き詰まったようにも思える。その点、項羽が封建制を取ったのは正解だったか。

【李信のこと】
『キングダム』の主人公に採用され一躍有名になった李信だが、同時期に活躍した王翦や蒙恬と異なり、『史記』に登場はするものの立伝まではされていない。
『史記』白起王翦列伝内の記述によると、燕の太子・丹による秦王政(始皇帝)暗殺未遂に対する報復として燕を討伐した際、元凶である丹の捕縛に成功する大手柄を立てている(この部分は『史記』内でも記述に食い違いがあり、新始皇本紀では「丹は首都陥落時に討たれた」とされる)。
ところが、その後の楚征伐で、李信は大失敗をしてしまう。
この時、秦王政は楚征伐にどの程度の軍が必要か諮問した。王翦が「六十万必要」と慎重な意見を述べたのに対し、李信は「二十万」と答え、李信の意見が採用された。李信は蒙恬とともに軍を二分し、連戦連勝で楚を圧倒したが、両者が合流したタイミングで、敗残兵をまとめて追ってきた項燕に背後を急襲され、大敗を喫した。連戦連勝で油断があったものと思われる。これは先の燕での手柄を相殺するだけのダメージがあったと思われるが、李信は処罰されることなく、最後の斉征伐に従軍している。
『キングダム』作中で、李信最大の失敗といえる対楚戦がどう描かれるのか、『逃げ上手の若君』における北条時行の最期とともにずっと気になっている。
ちなみに漢の李広は李信の子孫である。

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親魏倭王(元学芸員:考古学) 現在、経済的な事情もあって、一部記事を有料にしております。 記事購入と併せ、内容が気に入っていただけましたら支援していただけると助かります。