【うつ病】他人と比べることがやめられなかった話|比較癖と向き合ってきたこと
スマートフォンを開くたびに、誰かの近況が流れてきました。
見なければよかったと思いながら、やめられませんでした。
同世代の友人が仕事で成果を出したという投稿、旅行の写真、資格を取ったという報告。
見るたびに、胸のあたりが重くなりました。
それでも、また開いてしまう。その繰り返しでした。
うつ病になってから、他人と比べることが止まらなくなりました。
比べたくないのに、比べてしまう。
比べてしまう自分が嫌になる。
嫌になるから、また比べる。
そういう悪循環がずっと続いていました。
この記事は、うつ病になってから他人と比べることがやめられなかった体験と、少しずつ距離を置けるようになった話を正直に書いたものです。
スマートフォンを開くたびに、誰かと比べていた
退職後、暇な時間が増えました。
それまでは仕事のことで頭がいっぱいで、SNSをゆっくり見る余裕がありませんでした。
でも退職して、部屋に閉じこもるようになってから、スマートフォンを見る時間が増えました。
手持ち無沙汰になるたびに、画面を開いていました。
タイムラインには、同世代の人たちの投稿が流れてきました。
昇進の報告、結婚の報告、子どもの写真、旅行の写真。誰かが新しい仕事を始めたという投稿。
誰かが資格を取ったという投稿。
みんなが前に進んでいるように見えました。
見るたびに、こういう言葉が頭に浮かんできました。
「あの人は働いている。自分は何もできていない。」
「あの人は前に進んでいる。自分は布団の中にいる。」
「あの人は笑っている。自分は笑えない。」
相手は何も悪くないのです。
ただ自分の日常を投稿しているだけです。
でも見るたびに、気持ちが沈んでいきました。
比べることは意味がないと、頭では分かっていました。
SNSは良い部分だけを切り取ったものだから、実際とは違うとも知っていました。
でも止められなかったです。比べてしまう自分が嫌になりました。
嫌になるのに、また開いてしまう。
自分でも、なぜこんなことをしているのか分からなくなっていました。
一日に何度もスマートフォンを開いては、誰かの投稿を見て、自分と比べて、気持ちが沈んで、また開く。
その繰り返しが、気づけば日課のようになっていました。
それが自分を傷つけていると分かっていても、やめられませんでした。
スマートフォンを置いても、しばらくするとまた手が伸びていました。
比べることが習慣になっていたのだと思います。
見ないと落ち着かない、でも見ると気持ちが沈む。
そういう状態が続いていました。
なぜ、比べることが止まらなかったのか
どうして比べてしまうのか、ある時期から考えるようになりました。
一つ気づいたのは、比べることで自分の現在地を確認しようとしていたのかもしれない、ということです。
うつ病になってから、自分がどこにいるのか分からなくなっていました。
普通の生活ができているのか、遅れているのか、このままでいいのか。
そういう不安が常にありました。
誰かと比べることで、「自分はここにいる」という確認をしようとしていたのかもしれません。
でも比べるたびに、自分の現在地がどんどん低く見えていきました。
確認したくて比べているのに、比べるほど不安が大きくなっていきました。
もう一つ気づいたのは、実はうつ病になる前から、比べる傾向があったということです。
職場での評価、同世代との差、自分の立ち位置。
以前から、誰かと自分を比べることがありました。
でもそのころは仕事をしていたので、「自分はこれをやっている」という実感がありました。
比べても、立ち位置があった。
でもうつ病になって仕事を失ってから、自分の立ち位置がなくなりました。
比べる材料が、自分には何もない。
その状態で比べることだけが残ってしまいました。
「普通に生きたい」という気持ちが、比べることにつながっていたのだと思います。
普通の基準を、他人の生活に求めていました。
でも他人の生活を見るたびに、自分は普通ではないと感じさせられていきました。
比べることは、不安の裏返しだったのかもしれません。
自分がどこにいるのか分からない不安。取り残されているのではないかという不安。
その不安を解消しようとして比べていたのに、比べることで逆に不安が大きくなっていました。
出口のない迷路にいるような感覚がありました。
他人だけじゃなく、過去の自分とも比べていた
他人との比較だけではありませんでした。
過去の自分とも、ずっと比べていました。
うつ病になる前の自分は、もっとできていました。
朝起きて、仕事に行って、普通に生活していました。
それが今はできない。
「なぜあのころのようにできないのか」という問いが、頭から離れませんでした。
他人との比較は、まだ「仕方ない」と思える部分もありました。
相手と自分は違う人間だから、と。
でも過去の自分との比較には、逃げ場がありませんでした。
「以前の自分」は確かに存在していたからです。
それが今はできない。その事実が、ずっと重くのしかかっていました。
以前の自分が、今の自分を責める材料になっていきました。
「以前はできていたのに。」「以前の自分に戻らなければ。」
そういう言葉が、ループしていました。
元に戻ることを目標にしていました。
でも今思えば、それが逆に重荷になっていたのかもしれません。
「元に戻らなければ」と思えば思うほど、今の自分が情けなく見えてきました。
過去の自分との比較が、一番つらかったです。
SNSを閉じれば他人の投稿は見なくてすみます。
でも過去の自分との比較は、スマートフォンを閉じても続きました。
何かができなかったとき、「以前の自分はできていたのに」という言葉が、自動的に浮かんでくるようになっていました。
「元に戻る」のではなく「前に進む」という感覚に変わるまでに、長い時間がかかりました。
今思えば、過去の自分との比較は、一番残酷な比べ方だったかもしれません。
他人との比較なら「自分とは違う人間だから」と言い訳ができます。
でも過去の自分との比較には、そういう言い訳ができませんでした。
同じ人間の、少し前の姿と比べているわけですから。
その残酷さに気づいたのは、だいぶ後になってからでした。
比べることで、どれだけ消耗していたか
比べることがどれだけ消耗することか、当時は気づいていませんでした。
誰かの投稿を見るたびに気持ちが沈む。
過去の自分と比べるたびに自己嫌悪が強くなる。
一日に何度もそれを繰り返していたわけですから、消耗するのは当たり前でした。
でもそのとき、比べることが消耗の原因だとは思っていませんでした。
夜布団に入っても、誰かと自分を比べていました。
今日もこんなことしかできなかった、あの人はこんなに前に進んでいるのに。
そういう考えが止まらなくて、眠れない夜もありました。
比べることが、寝る前の儀式のようになっていました。
今思えば、比べることが回復を遅らせていたのかもしれません。
うつ病の症状で体が動かないところに、比べることによる自己嫌悪が重なっていました。
動けないから自己嫌悪になり、自己嫌悪になるからさらに動けなくなる。
比べることがその悪循環に加わっていました。
比べなければ、もう少し早く楽になれたかもしれません。
そう思うこともあります。
でも当時の自分には、比べることをやめる方法が分からなかったです。
やめたくてもやめられない。それが正直なところでした。
比べることのつらさは、比べることをやめてから初めて気づきました。
やめてみて、初めて「あんなに消耗していたのか」と分かりました。
渦中にいるときは、それが当たり前になっていて、消耗していることにも気づきにくかったのだと思います。
少しずつ、比べることから距離を置けるようになった
転換点は、主治医に話したことでした。
「SNSを見るたびに誰かと比べてしまって、気持ちが沈む」と話しました。
先生はこう言いました。
「比べること自体が悪いのではなく、比べ方の問題かもしれない」と。
その言葉が、少しずつ染み込んでいきました。
比べること自体をなくすのではなく、比べ方を変えることができるかもしれない。
そういう考え方が、少しずつできるようになっていきました。
まず試したのは、SNSを見る時間を減らすことでした。
最初は完全にやめようとしましたが、それは難しかったです。
「見てはいけない」と思うと、余計に気になってしまいました。
だから完全にやめるのではなく、見る時間を決めることにしました。
一日一回、昼間だけ。それだけでも、だいぶ違いました。
しばらくして、SNSを見ない日が続くようになりました。
最初は落ち着かなかったです。
何かを見逃しているような気がして、不安でした。
でも数日経つと、その不安が薄れていきました。
見なくても、何も変わらなかった。「見なくていい」という選択肢があることに、初めて気づきました。
比べる対象も、少しずつ変えていきました。
他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べるようにしました。
「今日は昨日より少しできた」「今日は布団から出られた」「今日は外に出られた」。
小さなことでも、昨日の自分より前に進んでいれば、それでいいと思えるようになっていきました。
完全に比べることをやめたわけではありません。
今でも、誰かの近況を見て気持ちが沈むことがあります。
でも以前のように、深く沈まなくなりました。
「また比べてしまった」と気づけるようになったことが、一番の変化だったかもしれません。
比べることと、うまく付き合えるようになってきた感じがします。
完全になくすのではなく、距離を置く。
そういう感覚が少しずつできてきました。
比べてしまっても、「またやってしまった」と気づいて、スマートフォンを閉じる。
その繰り返しの中で、少しずつ変わっていきました。
比べていたあのころの自分に、今思うこと
誰かと比べては傷ついていたあのころの自分のことを、今でも時々思い出します。
スマートフォンを開いては気持ちが沈んで、過去の自分を思い出しては自己嫌悪になって。
本当に消耗していました。
比べることをやめたくても、やめられなくて。そのことで、また自分を責めていました。
今は、こう思います。
「比べることをやめられなかった自分を、責めなくていい」と。
比べてしまうのは、前に進みたいという気持ちの裏返しだったのかもしれません。
普通でいたかった。取り残されたくなかった。
そういう気持ちが強かったから、比べることが止まらなかったのだと思います。
比べることをやめられなかったのは、弱さではなかった。
それだけ必死だったのだと、今は思えます。
ただ、比べ方によっては、自分を傷つける武器になってしまいます。
他人のSNSの投稿と自分を比べることは、ほとんどの場合、自分が傷つくだけです。
SNSに載っているのは、その人の良い部分だけです。
見えていない部分の方が多い。
それでも比べてしまうのは、人間として自然なことかもしれません。
でも、比べる先を変えること、比べる頻度を減らすことが、自分を守ることになると、今は思います。
過去の自分との比較については、今もまだ完全には手放せていません。
でも「元に戻る」という目標から、「今の自分として前に進む」という感覚に少しずつ変わってきました。
以前の自分に戻ることが目標ではなく、今の自分がどう生きるかが大切なのだと、少しずつ思えるようになっています。
あなたのペースが、あなたの普通でいい
もし今、誰かと比べることがやめられなくて苦しんでいる人がいたとしたら、伝えたいことがあります。
比べてしまうことを、責めなくていいです。
比べてしまうのは、あなたが弱いからではありません。
前に進みたいという気持ちがあるから、比べてしまうのだと思います。
見なくていいものは、見なくていいです。
SNSを閉じることは、逃げではありません。
自分を守るための選択です。
見ることで気持ちが沈むなら、見ない時間を作ることも、立派な回復への一歩だと思います。
比べる先を変えることも、試してみてほしいです。
他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べてみてください。
昨日より少しでも前に進めていれば、それでいい。
布団から出られたなら、それでいい。そのくらいの基準で、今日の自分を見てみてください。
あなたのペースが、あなたの普通でいいのだと思います。
誰かの普通に合わせる必要はないです。
比べることがつらくなったとき、一度スマートフォンを置いてみてください。
見なくても、世界は続いています。
あなたのペースで生きていいのだと、少しずつ思えるようになってほしいです。
それから、自分を比べる相手を変えてみることも、試してみてほしいです。
他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べてみてください。
昨日より少しだけ前に進めていれば、それでいい。そのくらいの基準で、今日の自分を見てみてください。
スマートフォンを閉じた夜、私は初めて、自分だけの夜を過ごせた気がしました。
