この人生が繰り返されるとしても、僕は島根が好きだ。~『理不尽仕事論』を読んで~
ばんじまして、遣島使の山崎です。
最近『理不尽仕事論 「クソが!!」と思った時に読む本』を読みました。著者は坂井風太さんとぐんぴぃさん。
GERAというラジオアプリで『春とヒコーキのグピ☆グパ☆グポ』を聴いてたんですが、その流れで、ぐんぴぃさんと坂井風太さんがやってるGERAの『LAUGH & BIZ -笑える理不尽ビジネス論-(ラフアンドビズ)』も聴いていたんです。坂井風太さんはもともとXでフォローしていたのと、大好きな『グピ☆グパ☆グポ』のぐんぴぃさんが一緒にラジオ?!?!と当時はテンションが上がりました。
とても面白いしとても分かりやすい。
— 山﨑浩司@島根大好きおじさん (@Reijirou0103) December 17, 2024
#1 「挫折経験は、聖人も、悪人も生み出す」 | 坂井風太、春とヒコーキぐんぴぃ#GERAラジオ #理不尽ビジネスラジオhttps://t.co/bQtvzyEept
小学生並みの感想をかます僕
読み終わって思ったのは、これは「不器用でも、遠回りでも、それでも自分の人生を愛していいんだ」という話だな、ということでした。(それ以外にもビジネスの「あるある」な悩みを理論立てて説明してくれています)
僕のキャリアって、広告営業→島根の拠点立ち上げ→編集者→人事→カスタマーサクセス……と、われながらずいぶん遠回りしてます。「島根が好き」なんていう気持ちも、人から見たら、たぶん二束三文。何の役に立つの?と言われたら、何も言い返せない。
本書では、そういう二束三文の才能こそ、大事にしたほうがよいと説いています。人からどう見えようが、自分の胸の内に湧いた“躍動”を、誰にも奪わせちゃいけない。むしろ、その躍動のままに動いたほうが、人生はずっと面白くなるんじゃないか、と。
今日はそういう二束三文の才能と躍動、それを島根で見つけたよというお話です。(結局また島根の話になるんですが、これがポジショントークというやつです。)
「いい苦労」と「悪い苦労」を分けるのは、恩師がいるかどうか
本の序盤に、苦労話の話が出てきます。「苦労した奴ほど成果を出す」みたいな、あの居酒屋でおじさんが語りがちなやつ。一歩間違えるとマウントになり、「最近の若者は辛抱が足りん」になる。

それとは関係なく島根の居酒屋に行きたい。
過去の苦労…自分にとっては栄光と言ってもいいかもしれないですが、これが若手を追い詰める道具になるということですね。そんな話を聞かされる若者もたまったものではないですが、僕も島根の話は栄光なので語っちゃうもんな…
で、本の中に、苦労には「いい苦労」と「悪い苦労」があると書いてあります。そして両者を分けるのは何かというと、恩師がいるかどうかだと。挫折を「あれは糧だった」と解釈できるかどうかは、本人の根性じゃなくて、その解釈を周りが助けてくれたかにかかっている、と。
僕にとっての「いい苦労」は、松江拠点の立ち上げと、その前のアニメメディアの担当時代です。採用経験ゼロで島根に放り込まれて、よくまあ無事だったなと思うんですが、振り返るとあれは僕の能力で乗り切ったんじゃない。周りのいろんな人が助けてくれたおかげでなんとかなった。アニメのほうも、同僚や先輩、お客さんがいてくれたおかげで、なんとか黒字になった。
しまねIT企業交流会をやったときも、僕ひとりの力ではあそこまでのことは出来なかったと思うんすよね。IT企業の人たちがいて、島根県や松江市の職員の方々、学校の先生方の協力があってこそ場が立ち上がった。島根って、そうやって人が集まって、助け合って、気づいたら何かが動いてる。そういう土地だったように思います。

二束三文の才能こそ、お宝かもしれない
本書を読んで共感できたのが、「二束三文の才能」です。
天才に見える人だって、最初はみんな、誰でも持ってるような二束三文の才能から始めている。そして厄介なのは、その才能、本人にとっては当たり前すぎて価値に気づけないってこと。他人から見たら希少なのに、自分にとっては息を吸うようにできることだから、お宝だと思えないんですね。
で、僕にとっての二束三文ってなんだろうと考えてみました。たぶん、好きなことを発信し続ける力と場を和ませる力と共感力の高さと、いろんな人をわりとなんでも受け入れちゃう力かな…。顔もふにゃふにゃしてるからね、たぶん皆、和んじゃうんですね。

上位10個の内、8個(青色)が「人間関係構築力」。ピーキーすぎる。
躍動を殺す3つの呪いと、編集長の一言
本書のクライマックスは、躍動を殺す3つの呪いについてです。
・目的の呪い:「なぜやるの?」と説明を求められた瞬間、躍動は消える
・効率の呪い:コスパ・タイパで測った瞬間、躍動は消える。躍動は無駄の中にしか宿らない
・俯瞰の呪い:客観視・メタ認知が美徳化されすぎて、没頭できなくなる
この3つ、全部「現代のビジネスで良いとされてること」ですよね。
で、僕にとっての「躍動」って何だろうと考えたとき、二つ、忘れられない瞬間が浮かびました。
ひとつは、アニメメディアの担当時代。本当に楽しく働いていて、滅多に人を褒めない編集長から、最後の最後に「僕は山崎さんに感謝している」と言われたこと。これは生涯忘れられないと思います。
もうひとつは、IT企業と学生の交流会に参加してくれた松江の女子高生から、手書きの手紙をもらったこと。「IT企業って楽しい場所なんだと知れてよかったです」って。あれは今も大事に取ってある、松江でもらった宝物です。

この二つの躍動の瞬間に至るまで、目的も効率も俯瞰もなかったんですよね。「なぜやるか」も「コスパ」も「客観的にどうか」も、一切関係なかった。楽しいからやってただけ。コーチングでよく「遠回りが最大の近道」って言いますけど、躍動が無駄の中に宿るっていうの、完全にあれと同じ話だなと思いました。
本書は、躍動は計算の外側にある、とも言います。コスパや投資対効果で測れるものの、外側。そもそも僕が松江拠点と立ち上げに手を挙げたのだって、「なんか面白そう」ってだけだったんです。キャリア戦略でも投資対効果でもない、完全に計算の外側。でも、その外側に飛び込んだ結果、僕は躍動した。
そして、ここがいちばん言いたいところなんですが、この“計算の外側”こそ、たぶんAIには踏み込めない領域なんですよね。AIはすごいけど、僕が島根を好きになった体験は書けない。あの土地で結んだ人間関係も作れない。コスパで測れない無駄に飛び込むこと、人に会って縁を結ぶこと。その“計算の外側”こそ、これからの時代、むしろ自分だけの武器になるんじゃないかと思っています。

「なんとなく」という計算の外側の行動がこんな絶景に出会わせてくれました。
そしてもう一個。本書を読みながら、娘のことを考えました。娘が歌を歌ってるとき、ダンスをしてるとき、絵を描いてるとき。あれは目的も効率も俯瞰もない、ただの没頭です。あの姿が、躍動の原型なんだと思う。僕はその時の娘がたまらなく可愛いし、ずっとあの没頭を失わないでほしいなと、本気で思っています。

絵を描いているとき、お喋りな娘が一言も発さないのでめっちゃ没頭してるんだなぁと思う。
この人生が繰り返されるとしても、僕は島根が好きだ
ここまで、二束三文の才能も、躍動も、ぜんぶ島根(というかキャリア)に紐づいてきました。その「島根が好き」という気持ちを突き詰めていくと、本書の終盤に出てくる、ニーチェの永劫回帰の問いにたどり着きます。
「この人生が永遠に繰り返されるとしても、それを肯定できるか?」
これは究極の自己肯定の問いです。同じ喜びも、同じ失敗も、同じ理不尽も、ぜんぶもう一回。それでも「やる」と言えるか。
で、39歳の僕は今のところ、肯定できるかなと思ってます。
大してお金持ちでもないし、胸を張れる肩書きがあるわけでもない。でも、妻と娘という、かけがえのない存在がいて、そして島根という場所に行けた。あの土地で出会った全てが、あれが全部、もう一回繰り返されるなら、僕はそれでいい。
数字はなくていい。意味は後からでいい。でも、あの躍動だけは、もう一回味わいたい。それが僕にとっての「肯定できる人生」の正体です。

本書には、運命愛という言葉も出てきます。永劫回帰を「しかたなく受け入れる」という受け身の肯定じゃなくて、「いろんなことがあったけど、このために生きてたんだ」と、過去をぜんぶひっくるめて積極的に愛する態度のこと。『衛府の七忍』でも同じようなセリフがありましたよね、「大した世の中ではないが、もう少し生きてやるか」って。
『覚悟のススメ』、『シグルイ』の山口貴由先生の漫画。
めっちゃオモロイけどいいところで終わる。
理不尽な仕事の世界で、僕たちはつい「意味」を探しがちです。でも本当に欲しいのは、胸が高鳴る躍動。そして躍動は、無駄の中にしか宿らない。だからこれからも、僕はせっせと遠回りをしようと思います。だって、道草食う人生のほうが楽しいし、僕がやってる組織開発も遠回りじゃんね。
それではまた。最後まで読んでくれてだんだん。
