日傘の群れ、授業参観(2025.07.01)
通勤時、市役所の近くで信号待ちをしていると向こうの方から傘の群れがわさわさとやってきて、私は一瞬「雨か!?」と思うが、空は完璧に晴れていて、凶悪な日差しが地上に降り注いでいる。つまり傘の群れの正体は市役所職員がみんな日傘を差しているわけであって、ヤクルトスワローズの7回の応援みたいにそれらが上下しながらうごめいている。眩く光りながら。
市役所職員に日傘を差しがちな傾向というのがあるのか分からないが、もはや日傘は老若男女問わず差すものになったのだなと思う。というか、ここ何年かの日差しは人類のキャパをいよいよ超えてきており、近いうちに夏というのは基本的に出歩かないというのが常識になっていく気がする。
午後の仕事を休んで長男(小3)の授業参観に行く。校舎の中は若干涼しいくらいの絶妙なラインでエアコンが効いていて、外よりはだいぶまし。長男の担任の先生は相変わらず全身黒の服を着ていて、マスクまで黒。「葬式帰りかァ?」と私の中の金田(AKIRA)が毒づく。
廊下の窓から隣の校舎を見ると、その教室でも授業参観をしていて、それぞれに先生や生徒や保護者がうごめいているのが見える(「うごめく」という言葉を私は多用しているが、夏のうだるような暑さの中で大勢の人たちが身を寄せ合って生きている様がそのように見えるのじゃないかと思う)。
でかい大人が小学生用に作られた空間にぎしぎし無理やり押し込められて、我が子の授業風景を「見て」いる。何か意見を言ったり、授業に介入したり、影響を与えるわけでもなくただ「見て」いる。先生もあたかも保護者たちが存在しないかのように振る舞い、その視線を意識から排除しようと努めている。
生徒の方でも保護者が気になりながらも気にしないふりをして、普段どおりを装って授業を受ける。その全体を包む「授業参観」という連帯感が一種独特な雰囲気を醸成して、そこに各家庭から持ち込まれた匂いのようなものが混ぜ合わさり、ここにしかない空気を作り上げている。
一番後ろの席の子が机に突っ伏して眠っている。先生はそれについては特に触れることもなく、授業を進める。私はその生徒の、その長い人生の中の、この居眠りに気持ちを添わせてしまう。この授業参観のこの風景を、この生徒は他の生徒と一生共有する事ができない。この先思い返す事があるのか分からないが、この授業参観はこの子の記憶からすっぽりと抜け落ちてしまっている。その事実に私は愛おしいような気持ちを覚える。この記憶の固有性みたいなものに。
というような事を考えていたら授業参観は終わってしまった。長男は頑張って一度だけ皆の前で手を上げて発言したが、その発言が微妙すぎて、まぁそのとおりっちゃそのとおりなんだけど、特別言う程の事でもないかなという感じで、教室全体を微妙な空気にしてしまった。さすがだ。
わらわらと帰る保護者と生徒。外は圧迫感のある暑さ。霞む太陽と海。そして保護者の運転する車列。
良いところが全然見つけられない。
