潔癖症のモンゴル人と中国で喧嘩して踊って暮らした八畳一間
とんでもない潔癖症のモンゴル人と、七年前、八畳一間で暮らしていた。
中国東北地方・長春の大学に留学していたころの話だ。
長春の二、三月は、日中でも零下15度を降るほど寒い。私は予想以上の寒さに震えながら、そして初めての海外留学にドキドキしながら、留学生寮の自室へ向かった。
寮は相部屋で、ルームメイトは20代後半のモンゴル人女性、サランだった。
部屋のなかは八畳ほどのワンルームに、シングルベッドが二つ並び、学習机が二つ並ぶ、プライバシーの無いシンプルな作りだ。それでも、トイレ兼シャワールームは各部屋にあるから、環境としては充分だと思った。
サランは半年ほど前からここで中国語を学んでいて、英語も話せて、モンゴル語とロシア語が母国語だと言った。一方の私は中国語で話せるのは「ニーハオ、シエシエ」くらい。英語も二歳児レベルの覚束なさだった。初めはなんとかスマホの翻訳アプリを駆使して話をした。
サランは可愛らしい女性だった。ただ、ちょっと面倒くさい性格だった。
「このコーディネート、どう思う? 可愛いかな?」
という問いが、毎日彼女の満足する返答が得られるまで続いた。
サランはものすごく清潔好きで、それはいいことなのだが、いかんせん求める基準が私からすると高かった。
毎日綺麗に保つことはもちろん、一週間に一回、交互に二人でバスルームを徹底的に掃除すること。まあ、これはわかる。
カーテンを数日おきに洗うこと。カーテンも?!
いや、洗わないよりは洗ったほうがいいのかもしれないけれど、怠惰な私には驚きの世界だった。
サランのルールを守るべくせっせと掃除していたが、彼女の満足するレベルではないようで、しばしば「汚い」と怒られていた。
サランは歌が上手だ。
暮らし始めて少し経った頃、「大学の歌唱コンテストに出る」と、毎夜23時ごろまで美声を部屋に響かせるようになった。「流石にうるさすぎる」と抗議したが、「コンテストまでだから、お願い!」と懇願され、渋々引き受けた。
コンテストが終わった翌日も歌っているので注意すると、「審査が進んで、また来週コンテストがあるの!」と嬉しそうに報告されてズッコケた。
こっちがサランに不満を持っていたように、サランも私に不満を持っていたと思う。特に、夜中に泥酔して帰ってくることに。
そんな私たちは、特別仲良くはなかった。ルームメイトと出かけたり、ご飯を食べに行くような仲の部屋もある一方で、私たちが会話をするのはこの狭いワンルームでだけ。電気を消す時間などについて、喧嘩や衝突もしばしばあった。
でも、お互いの国の知っている有名人について、相撲について、歌について、恋愛についてたまに語りあった。カーリー・レイ・ジェプセンの『Call Me Maybe』を、一緒に歌って踊って騒いだ夜もあった。
ある日、帰宅するとサランが号泣していた。長年付き合った彼氏に振られたのだという。狭い部屋でずっと泣かれると、こちらとしてもしんどい。
「もう死ぬしかない!」と騒ぐ彼女を宥めて、サランがいつも食べている、ロシアのチョコレートを売店で買ってきてあげた。サランは「マサ、あなたはなんて優しいの」とハグした。
翌日、「復縁した!」と明るい笑顔で言われて、再びズッコケた。
今思えば、中国語も英語も禄に話せなかったのに、私たちはどうやって会話をして、喧嘩をして暮らしていたのだろうか。
こんな生活を半年続けたのち、サランは夏にモンゴルに帰った。彼女が帰国したあとの、がらんどうになった部屋は、私にひとつの青春の終わりを告げているように涼しかった。


いいなと思ったら応援しよう!
面白いと思ったら応援のほどよろしくおねがいいたします!
いただいたチップは執筆活動に使わせていただきます。