【連載第2回】なぜ、私たちは「数字」が怖いんだろう?—達成世代(氷河期世代)と「連帯責任」という心の傷
前回の【連載 第1回】では、私たちの会社が抱える「息苦しさ」の正体が、組織の構造的な矛盾にある、というお話をしました。
しかし、問題の根っこは、それだけではありません。
私たちが日々向き合う「数字」そのものに対して、多くの人が無意識に抱いているネガティブな感情も、組織の健全な成長を妨げる大きな要因となっています。
なぜ、会社の状態を知るための大切な道具であるはずの「数字」が、私たちの心を重くするのでしょうか。
私たちの「数字アレルギー」は、子供時代に始まっている
そもそも、この「数字」に対する私たちの苦手意識は、会社の外、もっと言えば、私たちの子供時代から始まっているのかもしれません。
偏差値やテストの点数
私たちは、物心ついた頃から、数字によって評価され、他人と比較され、時には優劣をつけられてきました。その経験が、「数字=自分を評価し、追い詰めるもの」という、無意識の刷り込みになってしまっているのではないでしょうか。
プレッシャーの増幅:個人の「成績表」から、チーム全体の「成績表」へ
この強烈な刷り込みは、社会に出ることで、さらに根深いトラウマへと増幅されます。
学生の頃、偏差値やテストの点数という「数字」は、あくまで「自分の問題」でした。プレッシャーはありましたが、その責任と向き合うのは基本的に自分一人です。
しかし、会社に入った途端、その関係性は一変します。「数字」は「利益」や「目標」となり、「自分の問題」から「チーム全体の問題」へと姿を変えます。
そして、その結果を出すために行われるのが、「詰め会議」です。
かつては一人で向き合っていた「成績表」が、今や会議室で大勢の前に突きつけられ、「なぜ、この数字なんだ?」という、プレッシャーを伴う問いかけに変わる。この経験が、数字を「対話の道具」ではなく、「詰問の武器」として、私たちの心に完全に刻み込んでしまうのです。
日本特有の「連帯責任」が、しんどさを増幅させる
この「詰めの会議」のプレッシャーを、さらに決定的に重苦しいものにしているのが、私たち日本人に深く根付く「連帯責任」の感覚です。
海外、特に欧米では、チームで目標を達成する「Team Accountability」は一般的ですが、それは未来志向の協力関係を意味します。一方、日本の「連帯責任」には、一人の失敗や未達が、まるでチーム全体の「罪」のように扱われる、過去志向で精神的な負担を伴う側面があります。
個人の数字が未達に終わると、それは当人だけの問題に留まらず、チーム全体や上司の責任として追及されます。
この結果、「自分が失敗したら、チーム全員に迷惑をかけてしまう」「みんなに顔向けできない」という強烈な罪悪感と、が生まれます。
正直に問題を報告したり、「助けてほしい」と言い出すことが、チームの足を引っ張る行為と見なされかねません。これにより、組織の心理的安全性は著しく損なわれ、挑戦する意欲は失われていきます。
個人の問題であったはずの「数字」が、「チーム全体の問題」となり、さらに「連帯責任」という文化によって「チーム全体の痛みと恐怖」にまで増幅される。これが、日本の組織で数字のプレッシャーがことさらに「しんどく」なる、最も根深いメカニズムなのです。
裏切られた達成世代(氷河期世代)の、深い虚無感
特に、私自身もその一人である1973年前後に生まれ、現在、経営や管理職の中核を担う達成世代(氷河期世代)は、この問題をより複雑にしています。
私たちは、幼い頃から「良い学校、良い会社へ」という、明確な成果を求める価値観(達成型組織/オレンジ)の中で、熾烈な受験競争を勝ち抜いてきました。努力すれば、その先には明るい未来が待っていると信じて。
しかし、社会に出る段階で待っていたのは「就職氷河期」でした。
あれほど努力して目標を「達成」したにも関わらず、約束されていたはずの「安定した豊かな生活」という報酬が得られなかった。この「達成したのに、得られなかった」という原体験は、「虚無感」を、私たちの世代に深く刻み込みました。
「頑張っても報われるとは限らない」——。
成果を求める価値観に対する、根源的な不信感が、私たちの心の奥底に眠っているのです。
心の傷が、今の組織に影を落とす
この「虚無感」を抱え、さらに「連帯責任」の重圧を知る世代として、私たちは経営者や管理職として日々の仕事に向き合っています。
そして、「成果を出さなければ」と思いながらも、心のどこかでその先に明るい未来を描ききれない、という矛盾を抱えています。
子供時代からの刷り込み、「詰めの会議」の経験、そして「連帯責任」の感覚から、無意識に数字を「武器」として使ってしまう。
しかし、自分自身が経験したように「数字を達成しても、本当に幸せになれるのか?」という不信感が拭えない。
結果として、「数字」と「心」のバランスが取れず、自分も部下も、組織全体も疲弊していく…。
これが、多くの日本企業で起きている「数字と心のすれ違い」のより深い正体です。
最後に
この問題を解決するために、私たちはまず、自分たち自身が「数字」に対してどのような“心の傷”を負っているのかを、自覚する必要があります。そして、その傷が「連帯責任」という文化によっていかに増幅されてきたかを知ることです。
