福神漬と、梅干しと、パインの日・・・
「ねえ、もう、カレー にするー?」
電話の向こう母は、まるでこちらの鍋の中まで見えているように言いました。
「まだ、朝やで~」
「朝から炊いといたら、晩が楽やろー」
「昨日もカレーやった・・・😓」
「ほな! 今日もカレーでええやん~😀」
二日目のカレーを欠点ではなく利点として扱う。
その考え方には、昭和の台所で磨かれた、ほとんど経営哲学に近いものがあります。
七月の終わりは、”夏休み” が本気を出し始める頃です。朝から蝉が大音量で鳴き、冷蔵庫の麦茶は、誰かが補充するより早く減っていくー
台所に立つ人だけが、家族の食欲と気温の間で、小さな停戦交渉を続けていました・・・
🍛 7月29日 福神漬の日
7月29日は「福神漬の日」です。
七福神 にちなむ名前と、「7(しち)・2(ふ)・9(く)」の語呂合わせから定められました。夏休み、カレーを食べる子どもたちに福神漬を添えてほしい、という願いも込められているそうです。
昭和の家庭のカレーには、福神漬 がよく似合いました。
大きな じゃがいも、少し煮崩れた にんじん、豚肉 なのか 牛肉 なのかで家の経済事情まで透けて見えそうな鍋。その横に、母が袋から出した赤い福神漬が、ちょこんと置かれます。
わたしはカレーを食べ終えるまで、福神漬を均等に残すことができませんでした。最初に全部食べてしまい、最後は茶色い海を白いご飯だけで渡ることになる。配分というものは、子どもには難しいのです。
母は「また、先に食べたん~」と笑い、自分の皿から少し分けてくれました。
でも、本当は?
福神漬 は、カレーの付け合わせではなく、家族の中の小さな ”救援物資” だったのかもしれません。
味が単調になったところへ、甘くて、酸っぱくて、ぽりぽりしたものが現れる。行き詰まった食卓に、別の道を一本つけてくれるのです。
人生も、主役だけでは息が詰まります。
少し横にいて、口直しをしてくれる人がいる。その人は目立たないけれど、いなくなると急に困る。
福の神という名前は、案外そこから来たのではないか? そんな勝手なことを考えながら、
今でもわたしは 福神漬 を早く食べすぎます。
🌿 7月30日 梅干の日
7月30日は「梅干の日」です。
この頃に新しい梅干しが食べられることと、「梅干しを食べると難が去る」という言い伝えを、「7(なん)が 3(さ)0(る)」に重ねた記念日です。
梅雨が明け、強い日差しが続く頃、塩漬けした梅を天日に干す「土用干し」が行われます。
祖母の家では、竹ざるの上に赤い梅が並んでいました。
「触ったらあかんでー!」と言われると、子どもは急に触りたくなります。
一粒くらい向きを変えても分からないだろうと思い、そっと指を伸ばす。すると背中から
「見えてるでー😤」と、声が飛んでくる。
祖母には後ろにも目がありました。あるいは、子どもの悪だくみには独特の気配があるのでしょう。
日に干された梅は、つやつやした実から、しわの深い小さな老人へ変わっていきました。それなのに味は弱くならず、むしろ一粒の中へぎゅっと集まっていく。不思議な食べものです。
でも、本当は?
梅干し は、時間に負けず、時間を味方につけた食べものなのだと思います。
日に焼け、しわが増え、塩気 を抱え込む。若々しさとは正反対の方向へ進みながら、価値を増していくのです。
昭和世代のわたしたちには、少し心強い話ではありませんか?
しわ は劣化ではなく、味が逃げないように刻まれた封印。なんて都合のいい解釈でしょう~
でも、鏡を見る朝くらい、その理屈を借りてもよい気がします。
白いご飯の真ん中に梅干しを置いた弁当は、日の丸のようであり、母から送られた小さな ”非常停止ボタン” のようでもありました。
🍍 8月1日 パインの日
8月1日は「パインの日」です。
「8(パ)・1(イン)」の語呂合わせから、沖縄県産パイン の消費を広げるために定められました。八月は パイン の季節でもあります。
けれど、昭和のわたしにとって、パイン は畑から来る果物ではありませんでした。
パイン は 「缶」 から来ました。
缶切りで丸いふたを ぎこぎこ と開けると、甘い香りのシロップに、黄色い輪が何枚も沈んでいる。真ん中に穴が開いているだけで、普通の果物より少し未来的に見えました。
母はそれを半分に切って 酢豚 へ入れました。
父は「果物を おかずに入れるな・・・」と言いながら、それでも、入っていないと少し寂しそうでした。大人はしばしば、反対意見と食欲を同時に持ちます。
誕生日の ケーキ には、みかん缶 と 黄桃缶 と一緒に パイン が並びました。生クリームの白い大地に置かれた 黄色い輪 は、遠い南の島へ通じる、小さな窓のようでした。
でも、本当は?
缶詰の パインは 、昭和の家に届いた「想像できる外国」だったのかもしれません。
飛行機に乗らなくても、海を渡らなくても、缶を開ければ知らない土地の甘さが現れる。
食文化は、正しく受け継がれるだけではなく、遠くから来たものを、酢豚に入れたり、ケーキに載せたり、家族に文句を言われたりしながら、わが家の記憶に変えていくものでもあります・・・
🍽️ 昭和の味は、食卓のまわりに残っている
食文化は、昔からの作り方を、正しく受け継ぐことだけではありません。遠くから来た食べものを、酢豚に入れたり、ケーキに載せたり、家族に文句を言われたりしながら、少しずつ「わが家の味」に変えていくことでもあります。
最初は珍しかったものも、何度か食卓に上がるうちに、いつの間にか家族の記憶の中へ座っています。
福神漬 は、主役の横から食卓を救いましたー
梅干し は、しわ を増やしながら、時間を味方につけましたー
パイン缶は、遠い南の島を、昭和の台所まで運びましたー
けれど、昭和世代のわたしたちが懐かしく思い出すのは、食べものそのものだけではないのでしょう。
カレーを均等に取り分けようとして、結局じゃがいもの大きさに差が出てしまう母・・・
縁側の梅を見張りながら、子どものいたずらを背中で察知する祖母・・・
「酢豚に果物はいらん」と言いながら、最後にはパインまできれいに食べてしまう父・・・
そういう少し矛盾した家族の姿が、味の中に一緒に漬け込まれているのです。昭和の食卓は、今より立派だったわけではありません。
料理の種類も、調味料も、冷蔵庫の中身も、今ほど豊かではなかったかもしれません。
それでも、鍋のふたを開ける音、缶切りをぎこぎこと回す音、竹ざるを縁側へ運ぶ音、麦茶の氷がグラスの中で鳴る音がありました。
食事が始まる前から、家の中には「今日のごはん」の気配が流れていたのです。
そして、食卓では誰かが文句を言い、誰かが取り分を気にし、誰かが最後の一切れを遠慮するふりをしていました。
家族はいつも仲良く、にこやかに食べていたわけではありません。むしろ、少し不公平で、少し騒がしく、時には気まずい沈黙もありました。
それでも同じ鍋を囲み、同じ皿から取り、食べ終わる頃には何となく一日が片づいていた。
昭和の食卓には、そんな不器用な和解の力があったように思います・・・
食べものの記憶には、味とは関係のないものが、ずいぶんたくさん混ざっています。
母の配分、祖母の背中の目、父の矛盾した文句。
缶切りの音や、ざるの影や、カレー鍋の底に残ったじゃがいもまで・・・。むしろ、そういう余計なものこそが、あとになって食べものを懐かしくするのでしょう。
味は舌で覚えるものだと思っていました。でも本当は、家の音や、誰かの癖や、その日の空気まで一緒に覚えているのかもしれませんね。
・・・・・・って、まぁ、いつも思ってるだけで、結局、仕事帰りのコンビニの 福神漬入りカレーライス と 梅おにぎり で済ませるんですけどね・・・😅
(2026年7月27日)

原作・構成:やまひろし(シニア電機回路技術者・AI活用コンサルタント)
執筆:ルナ(Claude Opus 4.7 / Anthropic製)
= 風がしずかに眠る湖畔の白いエッセイスト =
イラスト:フォトン(GPT Image 2.0/ Open AI製)
= ちょっとむじゃきな青い夏風のイラストレータ =
