時代を越える場所に、足が向く(旅日記⑨) 四万十川
立松和平とニュースステーション
さて、立松和平である。とにもかくにも、この話は立松和平から始める。
立松和平(1947-2010)
日本各地を歩きながら、自然と人間の営みを描き続けた作家。
川や森、山、そしてそこに暮らす人々に寄り添うまなざしは温かく、紀行作家としても多くの読者を魅了した。
四万十川をはじめ、日本の原風景を伝えた語り部の一人と言える。
ボクが立松和平と四万十川を知ったのは、
1987年の春(ちゃんと調べたので間違いない)、
中学に入学してすぐの頃だった。
テレビ朝日系列の夜の報道番組
「ニュースステーション」のコーナー企画で、
立松和平が四万十川から中継をしていた。
夜の番組なので、当然、
闇夜の四万十川から中継をしていたが、
ボクの記憶では、
その中継内で、昼間の映像も流していた。
そこでは、透明な川が流れ、不思議な橋が架かり、
深い緑に包まれた風景が広がっていた。
その映像にボクは一気に引き込まれてしまった。
美しい。とても美しい。
いつか、この風景に包まれたい。
立松和平の朴訥とした栃木訛りのレポートが、
またその美しさを引き立てているようにも思えた。
高知県 四万十川。
東北の田舎町で暮らしていたボクにとって、
高知県はずいぶん遠い場所に思えた。
東北新幹線の開業が1982年。
そう、そこからまだ5年。
日本はまだまだ広かった。
だから、当時のボクにとって、
東京より西側は未知の世界だった。
高知県なんて、世界の果てみたいな場所に思えた。
いつか訪れるなんて、まだ想像もできなかった。
だから憧れた。
四万十川へ、いつか行ってみたい。
そう思った。
四万十川へのアンテナはしっかり立っていて、
それからの約40年間、
四万十川はよく思い出していた。
学生時代にお付き合いした方や、就職先の同僚、
それから義理兄とも「四万十川に行きたいね」と話をした。
でも、いろいろあって、結局実現しなかった。
夢でも見た。何度も見た。
四万十川をカヌーで下り、
太平洋まで漕ぎ出す夢が多かった。
釣りキチ三平みたいに、
四万十川に向かって、釣竿を投げる夢も見た。
あ、夢かと目が覚め、いい夢だったなと想った。
そして、その都度、
立松和平とニュースステーションを思い出した。
あの放送をたまたま見てしまった宿命だと言い聞かせた。
よし、いつか、四万十川へ行くんだと決めていた。
四万十川という巡礼
その「いつか」は、思ったより長かった。
1987年の想いは、2026年でようやく成就できた。
当時、中学生だったボクへの約束を果たせたのは、
すでに50歳を過ぎたボクだった。
あの頃、世界の果てに思えた四万十川。
実際に行ってみても、やっぱり遠かった。
高知空港でレンタカーを借り、四万十市を目指す。
地図で見れば県内の移動に過ぎない。
しかし車はなかなか目的地に着かない。
海沿いを走り、山を越え、また山の間を抜ける。
中学生の頃に感じていた
「世界の果て」という感覚は、
案外間違っていなかったのかもしれない。
道中では何人ものお遍路さんを見かけた。
白い装束をまとい、杖をつきながら歩いている。
四国八十八ヶ所を巡る人たちだ。
なぜ、人は歩くのだろう、と改めて考える。
なぜ、わざわざ時間をかけて、
ある場所を目指すのだろう。
目的地だけではなく、
そこへ向かう時間そのものに意味があるのだろう。
歩くこと、そこに向かうことに、
意味を持たせるのだろう。
そう考えると、
ボクにとっても、この40年間は、
ある意味、巡礼だったのかもしれない。
40年という、ずいぶん長い巡礼だ。
行きたい、だけど行けないというジレンマも
ひとつの巡礼のように思えた。
四万十川を五感で。
実際に訪れてみた感想は、
圧倒的な川の存在だった。
ただ、川の存在がある。
川の存在を軸として、
山があり、森があり、空がある。
四万十川を感じたい。
ボクはカヌーを漕いだ。
透明な川面をゆっくり進む。
鳥の声が聞こえる。
風が吹く。
沈下橋の下をくぐる。

沈下橋。
普通の橋は洪水に耐えるためにつくられる。
しかし沈下橋は違う。
洪水が来ることを前提につくられている。
水の下に沈むことを前提として、
設計されている橋。
自然には勝てない。
だから自然と共に生きる。
その思想が橋の形になっている。
一緒にカヌーをしていた
地元の方が声をかけてくれた。
「沈下橋から飛び込んでみます?」
聞けば、地元の子どもたちにとっては
通過儀礼のようなものらしい。
もちろん飛び込む。
いや、正確に言うと、
飛び込まなければいけないと思った。
それは、勇気試しではない。
挑戦でもない。
なんだろうこの気持ちは、と想いながら
飛び込む準備を始めた。
中学生のボクと一緒に
沈下橋の上に立ったとき、不思議な感覚があった。
なるほど、そういうことかと思った。
40年前の中学生のボクが、
すぐ隣に立っているような気がしたのだ。
テレビの向こうで四万十川を見ていた少年。
いつか行きたいと思っていた少年。
世界の果てみたいな場所に憧れていた少年。
彼はずっとこの瞬間を待っていた。
だからボクは飛び込んだ。
40年前のボクに見せたかった。
大丈夫。
これから先、いろいろあるけど、
ダイジョーブ。
ほら、こうして、四万十川に来ているよ。
できるだけ、水しぶきを立てたかった。
できるだけ、ザブン!と大きな音を立てたかった。
飛び込んだ瞬間、水が全身を包み込んだ。
冷たかった。
そして気持ちよかった。
水から顔を上げたとき、
達成感というほど大げさなものはなかった。
ただ、
「ああ、来られたな」
と思った。
ちょっと、自分のことを誇らしく思えた。
40年越しの約束を果たした気分だった。
人生にはすぐに叶う夢もある。
努力すれば数年で届く夢もある。
でも、中には40年くらいかかる夢もあるらしい。
それでも悪くない。
むしろ、
そのくらい時間がかかるから
特別なのかもしれない。
四万十川は静かに流れていた。
僕が中学生だった頃と同じように。
そしてたぶん、僕がいなくなった後も
変わらず流れ続けるのだろう。
そんな川の中で、僕は少しだけ笑った。
長い巡礼だった。
四万十川に辿り着いたというより、
40年前の自分に追いついた気がした。
