緋色の着火点
モニターの向こうで、その「赤」は静かに、しかし強烈に主張していた。
VAIO SX14|R、ファインレッド。
ただの赤ではない。
血管を流れる動脈血のような、あるいは炭火の中心で揺らぐ炎のような、生々しい熱量を持った赤だ。
スクロールする指が止まる。
画面上の画素の集合体にすぎないはずの色彩が、網膜を焼き、記憶の底にある導火線に火をつけた。
私は知らず知らずのうちに、息を呑んでいた。
フラッシュバックする。
あれは三十年前の秋葉原だ。
当時の電気街は、埃っぽい熱気と、電子部品特有の焦げたような臭いに満ちていた。
並んでいるパソコンはどれも、無機質なベージュかグレーの箱にすぎない。
事務処理のための道具。
計算するための機械。
そこに「色」など求められてはいなかった。
だが、その一角だけが違った。
まるで東京モーターショーの会場が迷い込んだような、異質な華やかさがあった。
キャンペーンガールの笑顔の横で、紫色の筐体がスポットライトを浴びている。
バイオレット。
その物体は、明らかに周囲の空気と馴染んでいなかった。
道具であることを拒絶し、所有される喜びを強烈にアピールしていた。
その衝撃は、田舎から出てきたばかりの大学生の脳髄を痺れさせるには十分だった。
私のポケットには、アルバイトで貯めた三十万円があった。
皿洗いの洗剤で荒れた指先が、その重みを確認する。
本来の目的は別にあった。
友人に漏らした「コラージュをやってみたい」という何気ない一言。
「じゃあ、フォトショじゃね?」
「ホトショ? 鳥の仲間か?」
デジタルへの無知は罪ではないが、恥ではあった。
急いで雑誌を買い込み、活字の海を泳いだ。
小学生の頃、脳卒中で倒れた叔父から譲り受けたパソコンで、ベーシックやマシン語を打ち込んでいた記憶が蘇る。
ファミコンを買ってもらえなかった反動で、プログラムという玩具にのめり込んだ少年時代。
だが、十年ぶりに触れるデジタルの世界は、もはや別次元の怪物だった。
結局、私はその紫色の誘惑に負けた。
なけなしの貯金をすべて吐き出し、その美しい機械を手に入れた。
片道三時間。
大学までの長い通学路は、格闘の場へと変わった。
重たいバックパックが肩に食い込む。
言うことを聞かないデバイスと、難解な雑誌との睨み合い。
車窓を流れる田園風景など目に入らない。
画面の中のドットと格闘し、エラー音に舌打ちする日々。
それでも、指先から伝わる筐体の質感だけは、常に私を励ました。
デザインとは、単なる意匠ではない。
それは哲学だ。
無機質なシリコンの塊に「潤い」を与え、使う者の感情を揺さぶる魔法だ。
性能という数値の羅列よりも、どう在るべきかというストラテジーがそこにはあった。
デザインが世の中を幸せに導く。
その確信は、私の人生の羅針盤となった。
あれから幾星霜。
私は今、ストラテジックデザインという領域に身を置いている。
単に見た目を整えるのではない。
地域を動かし、行政を動かし、人々の心の奥底にある情熱に火をつける。
そんな目に見えない「仕組み」をデザインする仕事だ。
簡単なことではない。
壁は厚く、理解者は少ない。
時に心が折れそうになることもある。
だが、画面の中の「ファインレッド」を見た瞬間、身体の奥底が熱くなった。
この新しいモデルには、かつての紫色の衝撃とは違う、熟成された大人の風格がある。
しっとりとしたガジェットの重み。
騙されてもいいと思わせるだけの色香。
それは商売の道具という枠を超え、人間の本能的な所有欲を刺激する。
パチパチと音を立てて爆ぜる焚火のように。
その赤は、私の中の燻っていた種火を、再び燃え上がらせようとしていた。
私はマウスに置いた手に、力を込めた。
カートに入れるボタンが、やけに輝いて見えた。
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