メイカームーブメントは終わったのではない──世界のものづくりを支える「インフラ」へ進化した20年
全体の要約:
本動画では、2005年頃から始まったメイカームーブメントの20年にわたる歴史を振り返り、「メイカームーブメントは本当に終わったのか」という問いに答える内容である。
2000年代初頭は、電子機器の試作品を作るには高価な設計ソフトや基板製造、金型などが必要で、個人がハードウェア開発に挑戦することは極めて困難だった。しかし、Arduino、RepRap、Make Magazineの登場を皮切りに、オープンソースの思想とデジタル工作技術が広まり、Fab LabやMaker Faireなどのコミュニティも発展した。さらにMakerBotやKickstarterの成功により、個人でも試作品を作り、資金を集めて製品化へ挑戦できる環境が整い、メイカームーブメントは世界的な熱狂へと成長した。
2014年前後にはアメリカ政府も産業政策としてメイカームーブメントを支援し、中国、日本、欧州へもその影響が広がった。一方で、メイカースペースの採算悪化、MakerBotのオープンソース離脱、クラウドファンディングにおける量産失敗、TechShopやMaker Mediaの経営破綻など、2017年以降は象徴的な企業や組織が次々と姿を消し、「メイカームーブメントは終わった」と評されるようになった。
しかし著者は、それはムーブメントという表面的な現象が終わっただけであり、本質的には「インフラ」へと移行したと論じる。基板製造サービスや無料の設計ソフト、低価格な3Dプリンター、クラウドファンディング、GitHubやYouTubeによる知識共有などが社会基盤として定着した結果、個人でも低コストでハードウェア開発ができる環境が当たり前になった。
このインフラは、新型コロナ禍における医療物資の分散生産や、低価格な3Dプリンター製義手の普及といった社会貢献を実現した一方で、戦場で利用されるFPVドローンの製造にも活用されるなど、用途は善悪を問わない。重要なのは技術そのものではなく、それを利用する人間である。
結論として、メイカームーブメントは「死んだ」のではなく、その成果が世界中の製造環境に組み込まれ、目立たない社会インフラへと変化した。現在、多くの人が当たり前に利用している低価格な試作環境やオープンソース文化は、この20年間に築かれたメイカームーブメントの遺産なのである。
個人がハードウェアを作れるようになった、本当の理由【メイカームーブメント】
全文文字起こし:
2000年当時、ガジェットを試しに1個作るコストは、個人には払えない金額でした。基板、金型、設計ソフト、合計で軽く100万円を超えます。だからプロトタイプであっても、物を作るのは企業であり、工場の仕事でした。しかし今では、アイデアさえあれば1万円台で実現できます。個人でもポケットマネーで試作品が作れる時代です。この差はどこから来たのか。
その答えが「メイカームーブメント」です。2000年代、世界中のエンジニア、アーティスト、研究者、ガレージやベッドルームの発明家たちが、物を作るための壁を1枚ずつ壊していきました。機械を共有するスペースが生まれ、個人の夢にお金が集まる仕組みが生まれ、誰でも使える設計ソフトが生まれ、翌日届く基板発注サービスが生まれたのです。
そのムーブメントは2017年、突如終わりを迎えました。あれから約10年、メイカームーブメントは死んだ。一部のメディアや論者たちがそう書きました。でも、それは本当でしょうか。であれば、こんなにも安価に個人がものづくりできる環境が、なぜ今もあるのでしょうか。ムーブメントは本当に死んだのか、それとも別の何かに変わったのか。2005年から20年間の歴史を辿りながら、その問いに答えていきます。
メイカームーブメントの萌芽は、2005年に遡ります。かつてイタリア北部の小さな街イヴレアに、閉鎖間際のガレージやデザイン学校がありました。インタラクション・デザイン・インスティテュート・イヴレア。その校舎から1枚の基板が2005年に生まれます。大学教員ら5人の開発者が手がけた「アルドゥイーノ(Arduino)」。値段は約30ドル。一言で言えば、誰でも電子工作ができるようにした小さなコンピューター基板です。それまで電子工作の入門には数万円以上の専門機材と、読み解くのが難しい開発環境が必要でした。アルドゥイーノはその壁を壊しました。書き方がシンプルで、アーティストやデザイナーでも扱えた。学校が閉校になることが決まっていたからこそ、設計データはオープンソースとして公開されます。
同じ年、イギリス・バース大学のエイドリアン・ボウヤーが、自分自身の部品を作れる3Dプリンターのプロジェクトを立ち上げます。それが「レップラップ(RepRap)」でした。材料費は約350ユーロ、当時の為替で約5万3000円。当時の商用3Dプリンターは安くても300万円以上していました。ボウヤーはこう語っています。「自己複製する汎用製造機は産業の破壊者になり得る。富の不平等を拡大させないために、すべての人に与えるべきだ」と。オープンソースにしたのは技術的な理由ではなく、思想的な理由でした。
そして2005年2月、アメリカで1つの雑誌が創刊されます。その名は「メイクマガジン(Make: Magazine)」。創刊者のデール・ドハティは、この雑誌を「ギーク版のマーサ・スチュワート」と呼びました。マーサ・スチュワートとは、アメリカの料理・ライフスタイル番組で有名な実業家のことです。つまり、技術好き向けの生活を豊かにするメディアという意味です。メイクマガジンが成し遂げた最大の功績は、技術の紹介ではありませんでした。「メイカー(Maker)」という言葉を世に送り出したことです。日曜大工愛好家、電子工作マニア、ロボット制作者。バラバラに存在していた人たちに共通のアイデンティティを与えたのです。そうすることで、1つのムーブメントとして可視化しました。
アルドゥイーノ、レップラップ、メイクマガジン。同じ年に3つの誕生が重なったのは偶然ではありませんでした。背景には、アメリカ製造業の深刻な空洞化がありました。2000年に1730万人いたアメリカの製造業雇用者数は、2010年には1150万人まで減っていました。わずか10年で600万人近くが職を失った。自分たちの手で物を作るというメイカームーブメントの精神は、この喪失感と切り離せません。
こうした流れと並行して、2000年代初頭からもう一つの動きが静かに育っていました。その起点は1998年、MITの物理学者ニール・ガーシェンフェルドが開講した「ほぼ何でも作る方法」という授業です。受講したのは12人ほど。しかし、ガーシェンフェルドが後に驚いたことに、集まったのは工学系の学生だけではありませんでした。アーティスト、建築家、デザイナーを目指す学生もいたのです。ガーシェンフェルドは振り返っています。学生たちが私の問いかけていない問いに答えてくれた。それは「店で買えるものを作るためではなく、店では買えないものを作るためだ」ということだった。
この授業から2001年、「ファブラボ(Fab Lab)」という場所が生まれます。ファブラボとは、レーザーカッターや3Dプリンター、CNC工作機械といった機材を備えた、誰でも使えるデジタル工作室のことです。当初MITはファブラボを1カ所だけ設置するつもりでした。しかし、設計データをオープンに共有するというファブラボの思想は国境を越えて広がっていきます。現在、世界には2000カ所を超えるファブラボが存在しています。
2006年、カリフォルニア州サンマテオで初の「メイカーフェア(Maker Faire)」が開催されます。公式発表によれば、来場者は約2万人、出展者は100組以上。手を動かして作る人々の祭典は急速に広がり、2016年には世界38カ国で191回開催、延べ140万人以上が来場するまでになりました。
このムーブメントの急成長は、当時の社会環境も影響しています。2008年のリーマンショック後、失業率が10%に達したアメリカで、ある逆説的な現象が起きました。調査によれば、2009年の新規事業の立ち上げ率は3年前より17%高い水準でした。仕事を失った人々にとって、自分で作ることは選択肢であると同時に生き残り戦略でもあったのです。
2009年1月、ニューヨークで「メイカーボット(MakerBot)」というスタートアップが創業します。最初に開発した3Dプリンターのキット「カップケーキCNC」の価格は750ドル、当時の為替で約7万4000円。初回生産の20台は即完売。以降、急成長を果たし、メイカームーブメントの象徴的存在に躍り出ます。個人が自宅で立体物を造形できるという事実は、製造業の意味そのものを揺さぶりました。
同じ2009年4月、3人の若者が「キックスターター(Kickstarter)」というクラウドファンディングサービスを立ち上げます。しかしこのアイデアが生まれたのは実は2001年のことでした。ニューオーリンズに住むミュージシャンのペリー・チェンが、ジャズフェスティバルにオーストリアのDJデュオを呼ぼうとして資金が集まらず断念したのです。もし観客が事前にチケット購入を約束してくれて、十分な資金が集まればショーは開催され、集まらなければ誰も請求されない。というアイデアはその時生まれましたが、チェンはスタートアップを始める気には到底なれなかったと語っています。アイデアを温め続けること8年。2005年にニューヨークへ移り、ヤンシー・ストリッカーとチャールズ・アドラーと出会い、ようやく形になりました。キックスターターはハードウェアの可能性を劇的に変えました。
それを世界に証明したのが2012年です。エリック・ミジコフスキーが設計したスマートウォッチ「Pebble」は、10万ドルの目標額を2時間で突破。最終的に6万8929人から1026万ドル、約8億3000万円を集めました。Apple Watchが発売される3年前のことです。同じ年、当時19歳のパルマー・ラッキーがVRヘッドセット「オキュラスリフト(Oculus Rift)」のプロジェクトをキックスターターに立ち上げます。集まったのは243万ドル、約1億9000万円。2014年にはFacebookに約20億ドル、当時のレートで約2040億円で買収されます。ガレージの試作品が2年足らずで2000億円企業になりました。これらは個人でもハードウェアを作れるという物語を決定的なものにした出来事です。
2012年、元ワイアード編集長のクリス・アンダーソンが著書『MAKERS(メイカーズ)』を発表します。デジタルファブリケーションとインターネットの融合が第三次産業革命を引き起こし、製造業が個人の手に戻ると論じました。アンダーソンは同年ワイアードを退社し、自ら設立したドローン企業、3Dロボティクスの経営に専念します。数年後に、この企業自身がその楽観的な予測の限界を体現することになります。
熱狂の頂点は2014年6月18日に訪れました。
バラク・オバマ大統領が史上初のホワイトハウス・メイカーフェアを開催したのです。
25州から100人以上の学生、起業家、エンジニアを招き、33作品が展示されました。
その場でオバマ大統領はこう宣言します。「今日のDIYが明日のMade in Americaになる」大統領は同日をナショナル・デイ・オブ・メイキングと宣言。
150以上の大学がメイカー教育の導入を、125の図書館がメイカースペースの設置を表明しました。
メイカームーブメントがアメリカの産業政策と公式に接続された瞬間でした。
そしてこの波はアメリカ国内にとどまりませんでした。
一国の大統領がメイカームーブメントを製造業復興の柱に位置づけたことで、個人のものづくりは世界各国の政策立案者たちのアジェンダに上るようになります。
海外への影響については後の章で触れます。
しかし頂点は同時にバブルの始まりでもありました。
世界のメイカースペースの数は2006年から2016年にかけて約14倍に膨張し、2016年初頭には約1400カ所に達しました。
助成金や企業スポンサーに引き寄せられ、持続可能なビジネスモデルを持たない施設が乱立しました。
2015年の調査では、収益を上げていたメイカースペースはわずか34%にすぎませんでした。
スタートアップにも負の影響が及びます。その一つ、メイカーボットの変質は、メイカームーブメント内部の亀裂を最も鮮明に映し出しました。
2012年9月、メイカーボットは新製品でオープンソース設計の公開を停止します。
同年4月に会社を追われていた共同創業者のザック・スミスは、自身のブログにこう記しました。
「オープンソースからの離脱は、私にとって究極の裏切りだ」
2013年、3Dプリンター大手ストラタシスがメイカーボットを買収します。
取得額は4億300万ドル。当時のレートで約395億円。
しかし買収後に投入した新製品は深刻な品質問題を抱え、大量の返品が発生しました。
ストラタシスは2014年から2015年にかけて、メイカーボット関連の損失として約4億5000万ドル、約518億円を計上します。買収額を上回る損失でした。
クラウドファンディングにも死の谷が現れます。
試作品で資金を集めることはできても、量産して届けるには別の能力が必要であり、多くのスタートアップが甘く見積もっていました。
2014年にキックスターターで1328万ドル、約13億7000万円を集めたクーレストクーラーは、製造コストの過小見積もりにより、6万2642人の支援者のうち2万人以上に製品を届けられないまま廃業しました。
より極端な例もあります。ウェールズの企業が開発した超小型ドローンZANOは、1万2074人の支援者のうち、届けられたのはわずか4台でした。
後に公開された調査報告書では、製造能力の根本的な欠如が明らかになりました。
メイカームーブメントを広めたクリス・アンダーソンの3Dロボティクスも、構造の壁に突き当たりました。
累計約1億ドル、約115億円のVC資金を調達し、350人の従業員を抱えながら、2015年に投入したドローンSoloは振るいませんでした。
競合の中国企業DJIが大幅に安価なドローンを販売し、打つ手がなかったのです。アンダーソンは後にこう語っています。
「ハードウェア開発は、私が予想していたほどずっと難しい状態だったわけじゃない。中国が技術を取り入れるスピードこそが、まさに驚異的だった」
2016年、3Dロボティクスはコンシューマー向けハードウェアから撤退します。
そして2017年11月、メイカースペースを全米10拠点に展開していたテックショップが、全店同時閉鎖し、経営破綻します。
2006年の創業から11年。最盛期には1拠点あたり1億円以上の設備を擁しました。
CEOのダン・ウッズはこう声明を発表しています。
「営利企業によるメイカースペースのネットワークは、都市や企業や財団からの外部補助なしに持続不可能だ」
月額1万円から2万円程度の会費収入では、高額な設備の維持費と賃料を賄えなかったのです。
そして2019年6月7日、ムーブメントに名前を与えた張本人が倒れます。
「メイカー」という言葉を広めたメイカーメディアが、全従業員22名を解雇し、事業を停止しました。
しかし世界に広がった灯火をたやすく消すわけにはいきません。
翌月、創業者のデール・ドハティは自己資金でメイク・コミュニティという新会社を設立し、解雇した22名のうち15名を再雇用してブランドを再起させます。
彼はこう語っています。「単なる復活ではなく、次の段階に引き上げるきっかけにしたい」
アメリカで生まれたムーブメントが政策にまで接続される中、各国はそれぞれ異なる文脈でこの潮流を受け止めていきました。その影響が最も直接的だったのが中国です。
2015年1月4日、中国の李克強首相は新年最初の視察先として、深センのメイカースペースを選びます。
視察先だったチャイフオ・メイカースペースの管理者は、こう振り返っています。
「一夜にして、『メイカー』と『メイカースペース』という言葉が中国中に知れ渡りました」
同年3月、政府活動報告で李首相は「大衆創業、万衆創新」(大衆による起業と万人によるイノベーション)を経済の柱として打ち出します。
背景にはGDP成長率が25年ぶりの低水準に落ち込んだ経済減速と、大卒者の雇用問題がありました。政策の効果は爆発的で、歪みも大きいものでした。
2013年に約15カ所だった中国のメイカースペースは、2015年末には政府の公称5500カ所以上に膨張します。
しかし深センのあるメイカースペース管理者は、取材にこう証言しました。
「政府の号令に応えるためにメイカースペースを名乗った。実際は3Dプリンターが3台しかない」
実態はインキュベーターやアクセラレーターでした。
中国、上海のスタートアップ、DFRobotのPRマネージャーも同じ媒体にこう語っています。
「彼らの大半は『政府からお金をもらえる』ということしか考えていない」
助成金が枯渇した2018年はメイカーとメイカースペースにとって厳しい年でした。
多くの施設が閉鎖しました。深センはさらにひどいと聞いています。
一方で深センの製造エコシステムは、政策の盛衰とは無関係に、世界のメイカーにとって不可欠なインフラとなっていきます。
部品を注文すれば翌日に届き、PCBの試作は数日で手元に来る。
「この速度は深セン以外では実現できない」とアジアのハードウェア開発者たちは口を揃えます。
日本では2011年5月、民間の資本で鎌倉とつくばにファブラボが誕生しました。どちらも日本初、かつ東アジア初のファブラボです。
ガーシェンフェルドが1998年にMITで始めた実験が、太平洋を越えて根を張った瞬間でした。
2014年にはDMM.comが秋葉原にDMM.make AKIBAを開設します。
総額約5億円を投じ、150台以上の開発機材を備えた施設は、日本を代表するハードウェアスタートアップの拠点となりました。
しかし2024年4月30日、完全閉鎖します。テックショップと同様、大型施設の維持コストを会費収入で賄う困難さは、日米共通の課題でした。
欧州では2009年、アムステルダムでリペアカフェが始まります。壊れたものを地域で持ち寄り、ボランティアが修理するコミュニティです。2024年5月には、EU理事会が「修理する権利」指令を最終承認しました。起業とイノベーションを志向したアメリカ、国策として急拡大した中国、モノづくり文化と接続した日本。そして欧州では循環型経済の思想と結びついた。作る、直す、共有するという行為が、社会ごとに異なる意味と形を持って根付いていったのです。
ここで一度立ち止まって、2005年と2026年で何が変わったかを整理します。まずは電子基板の製造について。2005年以前、個人が基板を業者に発注すると、最小ロット10枚以上、費用は1注文あたり1万円以上、納期は数週間でした。2026年、深センの基板メイカーJLCPCBは、ウェブ上でファイルをアップロードするだけで、5枚300円ほど、最短24時間で製造し世界に発送します。設計ソフトも、かつては80万円以上したプロ向けソフトが主流でしたが、今は無料のオープンソースソフトKiCadがその機能のほとんどをカバーしています。
外装の試作はどうでしょうか。かつてデザインのモックを1個だけ作るには、金型だけで数十万円から数百万円かかりました。2026年は、3万円以下の3Dプリンターで、アイデアを一晩で形にして検証できます。量産に金型が必要な構造は変わっていません。しかし、形にして確かめるというサイクルが、数週間と数十万円から、一晩と数百円になりました。この変化がハードウェアスタートアップの開発スピードを根本から変えました。
資金調達の環境も変わりました。銀行は融資の際に担保を、VCは出資の際にスケーラブルな事業モデルを求めました。その水準に届かない、でも実現する価値のある小さなアイデアには、資金を集める手段がほぼ存在しませんでした。キックスターターはその空白を埋めました。VCや銀行が依然として量産や事業化フェーズで重要な役割を担うことは変わりません。ただ、市場に問う前の、まず作ってみせる段階に新たな入り口が生まれたのです。
そして情報と学習について。電子工作の知識は、専門書と閉じた師弟関係の中でしか流通しませんでした。2005年のYouTube誕生、2008年のGitHub創設がその構造を解体しました。アルドゥイーノのプログラム、KiCadの基板データ、3Dプリンターの造形モデルがオープンに共有され、誰でも独学でハードウェア開発の技術を習得できるようになりました。そして2026年以降、AIが開発を担える領域を拡張し始めています。
このインフラの実力を証明した場面が2020年に訪れます。新型コロナウイルスが世界を覆ったとき、チェコの3DプリンターメイカーPrusa Researchは短期間でフェイスシールドの設計と量産体制を立ち上げ、累計で約20万枚を印刷、寄付しました。
イタリアの病院では不足した人工呼吸器用のバルブを3Dプリンターで複製し、材料費はほぼゼロに近い価格で供給しました。
世界55カ国から7万人以上のメイカーが参加し、フェイスシールドを中心に4800万個以上の医療物資が製造されました。
大量生産体制が整う数週間前に、分散した個人の製造が地域の医療を支えた。
これは気まぐれなムーブメントの熱気ではなく、確固たるインフラとしての成果でした。
同じ3Dプリンターとオープンソースの設計が、もう一つの場面でも人を救っています。2011年、アメリカのパペット作家アイヴァン・オーウェンが、スチームパンクのコスチューム用に金属製の手を作り、その動画をYouTubeに投稿しました。するとほどなく、南アフリカの大工リチャード・ヴァン・アスからメールが届きます。作業中の事故で指を失った彼は、この手を義手として作ってもらえないかと問い合わせてきたのです。
二人は1万キロ離れたまま、SkypeとEメールで設計を進めました。商用の義手は1本1万ドル以上。二人が作った3Dプリンター製の義手は、材料費35ドル、コストは99.9%下がりました。設計データはオープンソースとして公開され、世界中のメイカーが同じ手を印刷し始めます。
子どもたちはスパイダーマンやキャプテン・アメリカの色で義手をカスタマイズするようになりました。
義手を持つ「変わった子」だったはずが、スーパーヒーローの腕を持つ子になったのです。
2013年にe-NABLEというコミュニティが正式に発足し、現在は100カ国以上、1万人を超えるボランティアが参加しています。
ただし、同じインフラが全く異なる目的にも使われています。
2022年、ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって以降、ウクライナのメイカーたちは、3Dプリンターと市販の電子部品を組み合わせ、FPVドローン、つまり小型無人機を量産し始めました。設計図はGitHubとTelegramで公開されており、1機400ドル以下で製造できます。今では1日100機以上の生産能力を持つボランティア組織も存在しています。
フェイスシールドも義手も攻撃ドローンも、使っているのは同じ3Dプリンターと同じオープンソースの設計共有の仕組みです。メイカームーブメントが育てたインフラに善悪のフィルターはありません。何を作るかを決めるのは、道具ではなく、それを手にした人間です。
2005年にメイクマガジンが「メイカー」という言葉を世に送り出したとき、それは少数の愛好家たちに向けたものでした。メイカーボットはオープンソースを捨て、TechShopは過剰投資の重みで沈み、クラウドファンディングの死の谷は量産の壁を突きつけました。象徴が消えた2017年から2019年、ムーブメントは確かに終わったように見えました。しかし、象徴が消えたその時点で、世界の構造はすでに不可逆的に変わっていたのです。
3Dプリンターは2万円台で買えます。基板は300円で作れます。KiCadは無料で使えます。キックスターターは累計87億ドルを仲介しました。ファブラボのネットワークは世界2000箇所以上に広がっています。象徴なき場所で、インフラは静かに根を張り続けていました。
この動画のオープニングを思い出してください。Raspberry Piで電子工作をし、基板を300円で注文し、3Dプリンターでケースを作る。
あなたが当たり前のようにやっていることの1つ1つが、20年間の積み重ねなのです。
ムーブメントは死んだのではありません。インフラにシフトしているのです。その変化は今も続いています。
最後までご視聴ありがとうございました。この動画が参考になったら、高評価とチャンネル登録をお願いします。FabSceneでは、ハードウェア開発やデジタルファブリケーションの最前線を日々お届けしています。最新の記事は概要欄のリンクからFabSceneのサイトでご覧ください。それでは次の動画でお会いしましょう。
