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【短編小説】山吹色の足跡

ひび

 二月の風は、喉の奥をやすりで削るような乾燥を帯びていた。
 街灯が灯り始める直前の、青白い闇が黄金色がかった街を侵食していく時間。私はいつものように、彼の家の前に立っていた。
 住宅街の隅にひっそりと建つ、暗い土色をした二階建ての一軒家。かつては、砂粒ひとつ残さないほど丁寧に手入れされていた石畳。それが今は、行き場を失い舞い込んだ枯れ葉がこびりつき、重苦しい沈黙を溜め込んでいる。
 ふと見れば、脇にあるステンレスの郵便受けからは数日分と思われるチラシや新聞が無造作に溢れ出し、限界を超えて口を開けていた。
 この春、私は高校生になる。子供でも大人でもない、中途半端に伸びた背丈。かつては背伸びをしなければ届かなかったドアノブが、今は私の腰よりも少し高い位置で、逃げ場のない現実のように光っている。
 掃除が行き届いていたはずの玄関タイルには、うっすらと白く、不吉な埃が積もっていた。その隅に、郵便受けからこぼれ落ちて風に運ばれたらしい一枚のはがきが、埃にまみれて震えている。まるで、この家の主人ごと死に絶えてしまったかのような、薄気味悪い静寂。
 伸ばしかけた手が触れたドアノブは、芯まで凍てついた鉄の塊だった。
「……中村さん、?」
 呼びかける声は、冷たい空気に吸い込まれて消える。
 鍵のかかったドア。その向こう側から聞こえてくるはずの、テレビの音や食器の擦れ合う音が、世界から完全に消えてしまったかのようだった。孤独とは、声が出せなくなることではなく、自分の声を受け止める壁すら失うことなんだと、十五年生きてきて初めて知った。
 足元のはがきに目を向けた。そこには手書きの濃い文字で、力強く記されている。けれど、その後に続く文字を捉えようとした瞬間、焦点がどこか遠くにすり抜けていった。何度瞬きをしても、インクの染みはただぼんやりと滑っていくだけで、言葉として頭に入ってこない。ただの、意味を持たない記号が並んでいるようにしか見えなかった。
 私はそれを拾わなかった。……いや、拾えなかった。
 もしその紙片を拾って、その記された真実という名の空白を埋めてしまえば、私と彼が積み重ねてきた十年間が、砂の城のように崩れてしまう。そんな、根拠のない、けれど確信に近い予感が喉の奥を冷たく塞いだのだ。
 私は逃げるように背を向けて、夜へと歩き出した。
 かじかんだ指先をポケットの奥深くに押し込み、パーカーのフードを深く被って肩をすくめる。
 夜の冷気をはらんだアスファルトを、一歩、また一歩と踏みしめる。スニーカーの底から這いあがってくる硬い冷えは、五歳のあの日、行き場をなくして歩き回っていた時の感触と、酷似していた。
 あの日も、今日と同じように、肌を刺すような寒さだった。
 どこへ行けばいいかもわからず、ただ足元の感覚だけを頼りに夜の底を歩き続け、たどり着いたのがあの公園だった。

きしみ

 私は逃げ込むように公園の砂場に、小さなスコップを突き立てる。ジャリ、という乾いた音が静かな夜にやけに響いた。指先から伝わる砂粒のざらつきは、冷え切った家の中の空気よりもずっと確かで、私を心細さから繋ぎ止めた。
「こんな夜遅くに何してんの」
 誰もいないと思っていた公園に、不意に大人の声が飛んできた。
 驚いて振り返ると、そこには警察官の制服を着た男が立っていた。街灯の光を背負った彼の顔は影になってよく見えないけれど、猫背気味の僅かに丸まった背中や、砂を噛む黒い革靴の重たい音から、ひどく疲れていることだけは伝わってきた。
 彼は私の隣に、よっこいしょ、と腰を下ろした。重い装備品がガチャリと鳴り、隣から煙草と苦いコーヒーが混ざったような、大人の匂いが流れてくる。
「はぁー、めんどくせ」
 隠す気もない本音がため息混じりにこぼれる。私という存在を「保護すべき子供」としてではなく、今、目の前にある「片付けなくてはならない面倒な仕事」のひとつとして扱っている。その、情のない素っ気なさが、当時の私にはかえって心地よかった。
 私は質問に答える。
 「あな、ほってるの」
 砂場に刺したままのスコップを指さすと、彼は小さく鼻で笑ったような気がした。
「そう。穴、ね」
 彼は膝に肘をつき、私の手元をぼんやり眺める。
「……親はどこだ」
「おしごと」
「そうか」
 彼はそれ以上何も聞かず、泥だらけになった私の手を、まるで壊れ物を扱うように、自分の清潔な制服の袖で無造作に拭った。糊のきいた生地の固い感触と、そこから立ち上がる煙草の微かな匂いが、私の指先に移る。
「……ったく、手間かけさせやがって」
 彼のそう吐き捨てる声はどこまでもぶっきらぼうで、ただ、目の前の迷子を早く家に帰したいだけの、どこにでもいる警察官に見えた。
「風邪ひくぞ。帰れ」
 私は聞こえないふりをして、動かなかった。自分でも驚くほど頑固に、その場に根を張る。彼はそんな私の様子を見て深く、深くため息をついた。
「頑固だなお前。 ……中村だ」
 唐突な名乗りは、彼が私の「帰りたくない理由」を、言葉にせずとも理解してしまった合図のようだった。
 結局、私は彼に連れられ交番へ行くことになった。
 手動ドアを開けると、そこは外よりもずっと寒かった。
 無機質なスチールデスク、壁に貼られた指名手配のポスター、そして、いつから置いてあるのかわからない冷めたコーヒーの匂い。
 彼は親への連絡を強要しなかった。ただ、「帰らないなら朝までここにいろ。仕事の邪魔はするなよ」とだけ吐き捨て、私のためにパイプ椅子をひとつ用意し、デスクに向かって報告書を書き始めた。
 重い空気の中、ペンが紙を走る規則的な音だけが響く。ふと、デスクの端に置かれた彼の名札が目に入った。「中村」という二文字が、ただそこにあった。さっき私の手を拭った袖と同じ、硬い質感を帯びた文字。それ以上の意味なんて考えもしなかったけれど、その名前が視界に入っている間だけは、夜の底に沈んでしまわずに済むような気がした。
 私はその音を子守唄にするようにして、いつの間にか椅子の上で眠りについていた。
「……おい、朝だ。もう帰れるだろ」
 肩を叩かれて目を覚ますと、窓の外は白く明るくなってきていた。
 中村さんの目は昨日よりも少しだけ充血していて、制服の肩には皺が寄っている。
 私は目をこすりながら、去り際に彼を見上げた。
「また来ていい?」
 中村さんは、これ以上ないほど面倒くさそうに頭を掻き回した。
「ここは遊び場じゃないんだ。なにもないのに来ようとするな。……だが、これから公園に見回りには行く。またお前みたいなやつが通報されると面倒だからな。」
 この言葉が、彼と私の、名前も知らない十年の始まりだった。
 彼はその不器用な約束を、本当に守り続けた。
 警察官としての彼の「見回り」は、いつしか私にとって、誰にも言えない本音をこぼせる唯一の時間になっていった。自分の親がどんな人なのか。あの日を境に、お父さんの座っていた場所が空っぽになったこと。それから家の中の空気がどう変わってしまったのか。砂場に座り込んだまま話す私のとりとめもない言葉を、彼は「面倒だな」と言わんばかりの顔で、けれど決して否定せずに聞き続けてくれた。
 制服姿の彼に背負われて帰った夜も、少しずつ高くなっていく私の目線に合わせて彼が腰を下ろしてくれた日々も。
 それから、季節が何度も入れ替わった。ランドセルの色が褪せ、制服のスカート丈が短くなり、私の声から幼さが消えていく。その間も、彼は変わらずそこにいた。
 けれど、何かが確実に擦り減っていた。
 かつて私の泥を拭った彼の手は、いつの間にか私に触れることを避けるように遠ざかり、ベンチに座る二人の距離は、見えない壁に押し広げられていく。煙草の匂いだけが、唯一の変わらない境界線だった。
 私が中学三年生になり、子供としての甘えが抜けた視線を彼に向けるようになってから、その境界線はさらに歪になった。
 とりとめもない話の最中に私が笑うと、私の目元を盗み見ていた彼の視線が、弾かれたように泳ぐ。それは嫌悪ではなく、触れてはいけないものに触れてしまったかのような、狼狽だった。昨日まで砂遊びをしていたガキが、いつの間にか自分と同じ「大人」の入口に立っている。その残酷な時間の経過に、彼のほうが怯えている。
 ある時、私はそんな彼の不安定な視線に耐えかねて、ずっと胸に溜めていた問いをぶつけたことがある。
「ねぇ中村さん。私のお母さん、やっぱり変かな」
 中村さんは、火をつけたばかりの煙草を親指と人差指で短くつまみ、手のひらで包み隠すようにして持ったまま、長い沈黙を守った。指先から立ち上がる細い煙が、公園を通り抜ける夜風にさらわれて、白く散らしていく。
「……お前の母さんも、最初からあんなんだったわけじゃない」
 ぼそりと溢された言葉は、ひどく重く苦い味がした。
「お前が生まれる前、あそこはまだ普通の家族だったのを知ってる。……だからお前を見るのが時々きつい」
 その言葉の真意を、当時は理解できなかった。ただ、大人の彼ですらどうしようもないほど深く暗い亀裂が、かつての父と母の間にはあったのだということ。そして、私がその亀裂から生まれた「忘れ物」のような存在であることを、再確認しただけだった。
 そのひどく格好のつかない、余裕をなくした横顔を見て、「ああ私はこの人にとってただ守るべき子供ではいられなくなったんだ」と、少しの寂しさと共に自分を納得させる術を覚えた。
 逸らされた視線の先に、私という人間がもう正しく映っていないような気がして、胸がキュッと締め付けられる。
「嫌われてしまうかもしれない」という不安を抱えながらも、それでも私は公園へ通うことをやめられなかった。
 景色が塗り替えられていく中で、彼だけは不器用な沈黙を守りながら、変わらずに私の居場所であり続けてくれたから。
 けれど、そんな静かな関係さえも、家庭の歪みに飲み込まれていくのは時間の問題だった。

かげり

 あの公園で彼と過ごす時間が、どれほど気まずい沈黙に侵食されても。それでも私にとって、この街で息ができる場所はそこしかなかった。
 家の中はいつも、触れれば切れるような薄氷が張っている。
 母は、私を育てるのと引き換えに、心の余裕をどこかに置き忘れてきたようだった。かつては笑い声があったはずの食卓は、今ではただの「生存のための作業場」に成り下がっている。
 十月の、まだ夏の湿り気が残る夜だった。
 担任の印が押された進路希望調査のプリントを食卓に置いたときだった。母は、それを見ようともせずにお酒のグラスを煽った。氷がカラン、と虚しく鳴る。
「あんた、その目の動かし方……あの人にそっくりね」
 唐突に投げつけられた言葉は、鋭い礫となって私の胸に突き刺さる。
「あの人」が誰のことかなんて、一度も会ったことがなくてもわかっていた。母が、私の成長の中に、とうの昔に消えたはずの男の影を見つけては怯えていることを。私は、母にとって愛した男の忘れ形見であり、同時に、自分を捨てた男を思い出させる忌まわしい呪いなのだ。
「……そんなこと言われても、私は私だよ」
 精一杯の反論は、母の苛立ちを加速させただけだった。
「誰のおかげでここまで生きてこれたと思ってるの!私がどれだけ……!あの男みたいに、正義だの何だの格好のいいことばっかり言って、家族を放り出した無責任な奴とは違うのよ!」
 聞き飽きた怒号が狭いリビングに響き、少し黄ばんだ壁紙を震わせる。言い返そうとした言葉が、涙と一緒に喉の奥で渋滞した。私は吐き気すら覚えるその空間から逃げるようにプリントをひったくると、サンダルを突っかけて、夜の暗闇に飛び出した。
 行く当てなんて、一箇所しかなかった。
 生ぬるい秋風に吹かれながら、ぐちゃぐちゃの顔で中村さんの家へ疾走する。肺が焼けるように痛い。チャイムも鳴らさず、鍵のかかっていない扉を勢いよく開けた。
「中村さん!」
 安っぽい煙草と、使い古された木の匂いが混ざる、いつもの飾らない空気の部屋。
 リビングのソファで横になっていた中村さんは、突然の侵入者に驚いて飛び起きた。
「おい、なんだ……!」
 私の真っ赤な目と、乱れた呼吸。それを見た瞬間、彼は何かを悟ったように、毒気を抜かれた顔で「ああ……」と小さく溢した。
「……またお母さんとか」
「うるさい、放っておいてよ」
 彼が寝ぼけ眼で頭を掻きながらソファの端に座り直すと、私はそのわずかな隙間に、まだ汗のついた冷たい体で強引に潜り込んだ。厚手の綿の匂いがするソファの隙間に顔を埋めると、耳元で響いていた母の怒号が、ようやく遠ざかっていく。
 中村さんは「めんどくせぇな」と毒づきながらも、私の頭を大きな手で三回だけ、乱暴に撫でてくれた。
 頭頂部を包み込む手のひらは分厚くて温かい。けれど、私の視線の先にある彼の手の甲には、節くれだった骨の輪郭と、長年重い装備帯を支えてきたような独特の皮膚の硬さが刻まれていた。
 私はその体温に触れた瞬間。せき止めていたものが一気に溢れそうになって、私は慌ててソファの布地に顔を押し付けた。
 しばらくそうして、喉の奥の熱い塊を飲み下していると、わずかに視界が開けた。涙で滲む目の先に、テーブルの隅に置かれた警察手帳が映り込む。
 黒いカバーに半分隠れて「中村」という二文字だけが、無機質なほどはっきりとそこにある。手を伸ばせば、その分厚い合皮の裏側に隠された「正解」に触れられる距離だった。けれど、今の私にはその数センチが果てしなく遠い。勝手に中を覗き込むような真似をして、この部屋に流れる泥濘のような、けれど平穏な空気がパリンと割れてしまうのが怖かった。
 だから私は、動けないまま、掠れた声で彼に問うことしかできなかった。
「ねえ。中村さんの名前って、なんていうの?」
 不意に尋ねると、彼は私の頭を撫でていた手を止め、一瞬だけ、遠くを見るような目をした。けれどすぐに鼻で笑って、私の頭をわざと乱暴に揺さぶった。
「知ってどうすんだよ。……中村は中村だ。ほら、さっさと寝ろ」
 母が「あの人に似ている」と忌み嫌う私の顔を、この人は何も言わずに受け入れてくれる。ただここにいることを、許されている気がした。
 ただの「警察官」と「近所のガキ」。そんな、名前のない関係のままでいい。
 外の世界がどんなに正論で私を刺してきても、この部屋に満ちる泥濘のような空気だけが、今の私にとっては、どの場所よりも呼吸がしやすい唯一の避難所だった。

ほころび

 あの日、結局彼の名前を聞き出すことはできなかった。けれど、それから季節が何度巡っても、私は当たり前のようにあの扉を叩き続けた。付かず離れず、こんなのでも私にとっては唯一の呼吸ができる場所。
 そして、本当に十年が経った。
 彼は今も警察官を続けている。けれど、以前のような多忙な現場からは退き、今は非常勤として働いている。十年前、交番で冷めたコーヒーを啜りながら報告書を書いていた背中は、少しだけ丸くなったかもしれない。
 そんな彼の中にあった何かが、今年の年明け直前、音を立てて崩れた。
 きっかけは、その時期の、ある夜の食卓だった。
 彼は料理が好きだ。出されたものは一口も残さない主義であるのと同時に、自分でつくる時も、警察官らしい几帳面さで丁寧に皿を彩る人だった。たとえ夜勤明けの疲れ切った体であっても、彼が差し出す皿の上にはいつも、真っ当な生活の匂いがする温かな湯気が立っていた。
 けれど、「いただきます」と二人で手を合わせた後、彼はぴたりと動かなくなった。箸を握ったまま、自分がつくったはずの料理をぼんやりと見つめている。湯気が消え、彼が丹精込めてつくったおかずが冷めていく。その刻一刻と死んでいく料理の光景が、私には耐えがたかった。いつもならあんなに鮮やかだったはずの煮物の色が、今はただのどす黒い塊にしか見えない。
 料理が冷めていく沈黙に、私はついにイライラをぶつけた。
「……食べないの?なんでずっと暗いの。言いたいことあるなら言えばいいじゃん」
 私の言葉に、彼はびくりと肩を揺らした。そして、義務を果たすようなぎこちない動きで、冷え切った煮物を一口だけ口に運んだ。けれど、咀嚼する音さえ聞こえない。彼はただ、異物を入れられた人形のように、頬を膨らませたまま止まってしまった。やがて、耐えきれなくなったように吐き出し、そのまま手で顔を覆った。
 十年間、私の前で「強い大人」を演じ続けてきた彼の仮面が、みりみりと音を立てて剥がれ落ちていく。
 彼は泣いた。嗚咽というよりは、喉の奥から絞り出すような、獣の虚しい鳴き声に近いものだった。
「……振られた。」
「……冷めた、って……」
 その声一緒に、鼻先から滴ったものが、冷めた味噌汁の中に波紋を作った。拭おうともせず、彼はただ、自分の情けをすべて私に晒け出していた。私が憧れて、少しだけ背伸びをして追いかけてきた背中は、今や雨に打たれた捨て犬よりも小さく、惨めだった。
「……いらないんだって。……俺……もう、必要ないって……っ」
「……俺、また間違えたんだ。……結局、誰も幸せにできねぇんだよ」
 自嘲気味に吐き出されたその言葉は、私に向けられたものでもあり、かつて彼が背を向けた「誰か」へ向けられたもののようにも聞こえた。その断片的な言葉だけで十分だった。結婚を前提に付き合っていた人に、最も残酷な形で拒絶されたのだとわかった。その「必要ない」という言葉が、彼のどこか決定的な場所をぶち抜いたのだ。警察官として誰かのために自分を削り続けて、ようやく見つけた「自分の居場所」が、彼にとってはあの人との結婚だったのだろう。それが消えた。失恋の痛みというより、人生で二度と繰り返してはならなかった「拒絶」を再び突きつけられた絶望で、彼を支えていた糸はぷつりと切れてしまった。もう頑張る理由も、立っている根拠も、今の彼の中には一滴も残っていないように見えた。制服を着て、凛とした背中で私を導いてくれた彼の面影は、その涙に溶けて、見る影もなく消え去った。
 彼はむせび泣き、恨み言を吐き、酒に弱い体質なのにもかかわらず、溺れるように飲み続けた。
 そんな彼の姿を間近で見ながら、私の胸にはどろりとした罪悪感が沈殿していた。
 ――私のせいなんじゃないか。
 母が言っていた通り、私は関わる人間を不幸にする「呪い」そのものなのではないか。三年前、彼がデートに行こうとしていたのを、わざと仮病を使って引き止めたあの日のこと。夜中に寂しくて電話をかけ、彼の穏やかな時間を奪い続けた数えきれない夜のこと。私が彼の幸せの邪魔をする大きな染みのようになっていたから、あの人は「あなたは私に必要ない」と言ったのではないのか。
 そんな考えが頭をよぎるたび、目の前でボロボロになっている彼を直視できなくなる。
「……すんごいだるいわー」
 そう毒づくことで、必死に自分の心を守っていた。そうでもしないと、申し訳なさで押し潰されそうだった。
 でも、私にできるのは、なだめることだけ。
 なにかできればと毎日彼の家へ通い、荒れた部屋で彼の話を聞き、背中をさすり続けた。二週間が経つ頃、ようやく彼は泣かなくなった。
 けれど、落ち着いた彼から覇気は完全に消えていた。
 かつては一日中キッチンに立つほど料理が好きだった彼が、包丁を握ることさえしなくなった。テーブルの上には、食べかけのコンビニ弁当と、飲み干されたアルコールの空き缶だけが散乱している。無表情で、無関心で、ただ「生きるために必要な最低限」だけを淡々とこなすだけの毎日。
 私は、彼が大好きなバタークッキーの袋をリビングの低いテーブルの上に置いた。以前の彼なら「おっ、わかってるな」と少しだけ口角を上げて、わざわざ上品な小皿に移して食べていたはずのものだ。けれど今の彼は、ソファの下に力なくあぐらをかいたまま、袋を破る音さえ立てるのが億劫なようで、中身を一つ、指先でつまみ出した。そして、まるでそれが何であるかも確認しないまま、無表情で口の中へ放り込む。サクッ、という乾いた音が、静まり返った部屋にやけに大きく響いた。
「味、ないわ」
 ボソリと溢された言葉は、クッキーの欠片と一緒に、組んだ足の上、そして塵一つない床の上に、力なくこぼれ落ちた。大好きだったはずの味が、今の彼を救うどころか、ただ「自分が壊れてしまったこと」を再確認させているようで、見ていられなかった。
 本当は、彼だって一人になりたかったのかもしれない。
 私の顔なんて、見たくなかったのかもしれない。
 それでも私は、自分の家に帰る勇気も持てないまま、灯りの消えかけた彼の部屋へ足を運び続けた。
 彼を一人にするのが怖いのか、それとも、一人になるのが怖いのは私の方なのか。
 そんな曖昧な境界線の中で、私たちは冬の終わりを待っていた。
 この時期、彼は以前にも増して無頓着になり、家の鍵をかけることさえしなくなった。
「どうせ盗られるもんもねえし。勝手に入ってろ」
 投げやりに言った彼の言葉を、私は自分への信頼だと勝手に解釈していた。彼がどれほど荒れていても、あの茶色い家の扉だけは、私が手をかければいつでも無防備に中へ招き入れてくれたから。
 「開けっぱなしのドア」の向こうに彼がいる。ただそれだけが崩れかけていた二人の関係をかろうじて繋ぎ止める、唯一の、そして最後の逃げ場だったのだ。
 彼が鍵をかけない限り、私はまだ、彼の生活の一部でいられる。そんな身勝手な確信だけを握りしめて、私はあのドアノブを回し続けていた。

ぬくもり

 あれは、四日前のことだった。
 街がバレンタイン一色に浮き足立つ時期、彼の部屋だけは時が止まったように澱んでいた。
 正直、こんなイベントなんてどうでもよかった。けれど、冷蔵庫が空のまま、空き缶の山だけが大きくなっていく光景を見ていたくなかった。これ以上、彼が透明になって消えていくのを黙って見届けるなんて薄情なこと私にはできない。黙って買ってきた材料をカウンター越しに見える彼のキッチンの作業場にぶちまけた。チョコの箱と一緒に、スーパーで袋に詰め込んだ食材が、ステンレスの上で無遠慮な音を立てて散らばる。
 「誘う」なんてまどろっこしいことはしない。ただ、彼がかつて誇りを持っていた聖域を土足で荒らしてやれば、彼は怒ってくれるだろうか。そんな傲慢な、けれど必死な期待があった。
 彼はリビングの隅で、死人のような目で私を見ていた。カウンター越しに、私の手元が丸見えなのはわかっている。私は構わずに、適当なボウルにチョコレートを割り入れ、湯煎もせず火にかけようとした。
「ねえ、チョコつくっていい?……っていうか、もうつくるから」
 コンロのつまみに指をかけた、その時だった。
「……焦げるぞ」
 低い、砂を噛んだような掠れた声。二週間、まともに会話も成立しなかった男の喉から、ようやく言葉が漏れ出した。
 彼は幽霊のような足取りで立ち上がり、ふらつきながらカウンターを回ってきた。私の手から無造作にボウルを奪い取ると、無言で蛇口をひねる。
 鍋に水を張り、コンロに火をかける。立ち上がる湯気をじっと見つめる彼の横顔は、まだひどく青白かった。道具を扱う指先も、隠しきれないほどに震えている。けれど、その震えを抑え込むように、彼はかつての几帳面さを手繰り寄せ、ヘラでゆっくりとチョコを溶かし始めた。
「……こうするんだよ」
 教える声は、いまにも途切れてしまいそうなほど心細い。以前のような完璧な「導く大人」の面影はない。壊れたまま、それでも目の前のチョコを焦がさないことだけに全神経を注いでいる、一人の男がそこにいた。
 狭いキッチンに、彼の重たい呼吸と、不釣り合いなほどの甘い香りが上書きされていく。
 やがて、滑らかに溶けたそれを型に流し込み、冷蔵庫で冷やす。数時間が経ち、ようやく固まった「それ」を、私たちはリビングのテーブルで挟んだ。
 彼は差し出されたチョコを、拒むでもなく口に運んだ。咀嚼する音だけが耳障りなほど部屋に響く。
 不意に、彼の喉がひきつったように跳ねた。二週間、まともな食事もせず酒で荒れ果てた胃壁に、暴力的なまでの「甘さ」が突き刺さったのだ。彼は口元を片手で覆い、そのまま動かなくなってしまった。込み上げてくる何かを抑え込むように、手に力がこもる。彼の目には、笑いとは無縁の、生理的な涙がじわりと溜まっていた。
 やがて、彼は一度だけ、短く鼻で笑った。
「……えぐいな、これ」
 掠れた声で、彼はぽつりと漏らした。
 そして、彼はふっと視線を落とした。本当に、本当に久しぶりに、彼の口角が微かに上がったのを私は見た。その一瞬の、体温のある笑み。
 この二週間、泣きじゃくる彼の背中をさすり続け、暗闇の中で「私のせいかもしれない」と一人震えていた私の心が、ようやく報われた気がした。「必要ない」と言われて壊れた彼に、無理やりにでもこちら側に引きずり戻そうとした私の傲慢さを、彼が笑って許してくれたような――そんな気がして、張り詰めていたものが一気に溶けていった。彼はそのままゆっくりと、残りのチョコを口に運んでいる。
 溶けかけた甘みが、冷え切った二人の間を少しずつ、けれど確かに塗り替えていく。
 食べ終えた後、彼は空になった皿を見つめたまま、しばらく動かなかった。二週間ただの抜け殻のようになっていた彼が、その場で静かに呼吸を整えている。自分の体が「空っぽ」であることを、そしてまだ「生きている」ということを再確認しているような、重苦しい沈黙だった。
 やがて、彼は重い腰を上げて立った。
「何か、まともなもん食わないとな」
 それは、肺の奥に残った泥を無理やり絞り出すような音だった。空腹というよりは、自らの生命維持をようやく認めたような一言。
 彼はふらふらとした足取りで再びキッチンへと戻っていく。迷うことなく、散らばった食材の中から幾つかを選び取り、使い込まれたフライパンに火をかけた。
 カチカチ、とコンロの点火音が鳴り、青い炎が上がる。その光に照らされた彼の顔は、まだ幽霊のように淡かったけれど、包丁を持つ右手だけは驚くほど迷いがなかった。
 トントントン、とリズム良く何かを刻む音が静まり返っていた部屋に響き渡る。それは、自暴自棄になっていた男が、自らの手で日常を奪い返そうとする、力強い必死な鼓動のようだった。
「お前も食うだろ。座って待っとけ」
 私の方を見ずに彼は言った。
 差し出されたのは、何の変哲もないチャーハンだった。
「……お前、こういう味が好きだったろ」
 不意に漏らした彼の言葉に、私はスプーンの手を止めた。私が何を好みどんな味を求めて十年間ここにきていたのかを、彼はまるでもっとずっと前から知っていたかのような、確信に満ちた言い方で、何故かドキッと心臓が少しだけ揺れた。
 ぱらりと解けたお米の一粒一粒に、彼がこれまで積み上げてきた技術と、私への不器用な感謝が詰まっている気がする。
 一口食べると、チョコレートの甘さとは全く違う、出汁と塩味の効いた「生きたまともな飯」の味がした。その温かさが、私の喉を通って胃に落ちる時、ようやく彼がこちら側の世界に戻ってきたのだと確信した。
 だからあの夜、彼に見送られて家を出る時も、何の不安も抱かなかった。
 翌日から数日間、親戚が集まる法事で実家に戻らなければならなかったけど、「今の彼ならもう大丈夫だ」と、勝手に自分を納得させていた。線香の匂いが立ち込める実家で、親戚たちの代わり映えしない昔話を聞きながら、私の頭の片隅にはフライパンを振るう彼の確かな背中があった。法事の堅苦しい空気中にいながら、私の心はどこか浮ついていて、スマホの画面に中村さんからの通知が来ていないか何度も確認してしまう。
「……ちょっと。いい加減にしなさいよ。さっきから何なのその態度は」
 隣に座る母から、低く鋭い声で釘を刺された。親戚たちの冷ややかな視線が私を囲む。けれど、そうやって正論で私を縛り付けるここにいればいるほど、中村さんのあの泥濘のような、でも誰よりも呼吸がしやすい唯一の場所が恋しくてたまらなくなる。早くあの場所に帰りたくて、胸の中の虫が暴れまわってムズムズする。死者を弔う儀式の中にいながら、私の心は、あの日ようやく「生」を取り戻した彼の平穏ばかりを願っていたのだ。
 あんなに美味しそうに、彼は自分がつくったご飯を食べた。あんなに久しぶりに、彼は私の前で笑った。
 だから私は、今日もまた「いつもの日常」が続くのだと信じて、ここに来た。
「大丈夫だ、彼は笑ったじゃないか」と、自分の中に芽生えた小さな胸騒ぎを必死に踏みしめながら。

しんじつ

 けれど、私が信じていたその日常は、玄関のドアノブに触れた瞬間に音を立てて崩れ去った。ガチり、という無機質な拒絶。
 三日前まで「勝手に入ってろ」と笑っていたはずの扉は、凍てつく鉄の塊となって私を撥ねつけた。溢れ返るチラシと、死んだように静まり返った部屋。あまりの不気味さに、私はその場から逃げ出した。
 彼に何かが起きたのだ。あるいは、彼を一人にしたせいで。またあの深い闇へ落ちてしまったのではないか。そんな罪悪感から逃げるように、私は夜の街をあてもなく彷徨った。
 けれど結局、私はまたここに戻ってきた。さっき、逃げるようにこの場所を去った時よりも、夜の冷気は鋭く肌を刺す。
 玄関タイルの上にポツンと取り残されたままの、あのはがき。よく見れば、それは風に流されここへ落ちたにしては、あまりに不自然な場所に鎮座していた。まるで私がここに来て、最初に足元を落とした先に、その名前が飛び込んでくるよう計算されたように。さっきは、なにか恐ろしくて拾えなかったそれを、今度こそ拾い上げた。紙の端が少しだけ夜露で湿り、まるで誰かの涙を吸い込んだかのようだった。裏面には何も書かれていなかった。ただ表面の、送り主の欄にだけ、彼自身の名前が、あの交番の名札よりもずっと丁寧なシャッキリとした筆跡で刻まれていた。
 ――中村航介。
 その四文字をなぞった瞬間、全身が痺れた。
「近所の親切な大人」という、都合の良い仮面の裏側にあった、ただ一人の男としての名。人生という暗い海を、私を乗せて渡り切ってくれた「航介」という名が、夜露に濡れた紙面で静かに呼吸していた。
「ああ、そっか。そういうことか」
 言葉にするより先に、理解が一気に押し寄せた。わざわざポストに入れず、ここに落ちていた意味。彼が今、あえて鍵をかけて中に閉じこもっている理由。
 彼と私の間に、説明なんていらなかった。このはがきを私が拾い上げた瞬間、分厚い扉の向こうにいる彼と、確かに思考が重なったのだ。
 彼は、私がこれに気づくのを待っている。
 十年間、無意識に脳が拒絶していた「あの夜」の続き。あの日、五歳の私には抱えきれなくて手放した真実を、十五歳になった今の私に、自分の手で拾い上げさせるために。
 忘れていた。いや、思い出したくなかったのかもしれない。耳の奥で、あの日の夜と同じ秒針の音が鳴り響く。あの砂場で途切れたはずの物語の「続き」が、今、残酷なほどの濁流となって押し寄せてくる。
 そうだ。私はあの日、砂場で中村さんに声をかけられる前、握りしめていたものがあったんだ。
 お母さんの机から黙って持ち出した、古びたメモ。そこには、私が一度も呼んだことのない「お父さん」の名前が書かれていた。
 交番の、あの冷めたコーヒーの匂いがする無機質な空間で。パイプ椅子に座らされた私は、デスクに向かう彼の背中に、震える手でそのメモを差し出した。そこには、彼が十年前、あの日を境に捨て去ったはずの名前が記されていた。
「これ、わたしのお父さんなの。さがしてほしい。……会いたい」
 彼は報告書を書いている手を止め、ゆっくりと振り返った。差し出したメモを、大きな手で受け取る。街灯の下で見た時と同じ、あの少し疲れた目で、彼はじっと紙面を見ていた。
 秒針の音さえ聞こえないほどに、重く、息の詰まる沈黙。
 やがて彼は、私の目を見ないまま、喉の奥から絞り出すような声で言った。
「知らないな。こんな奴、俺は知らない」
 言い放つと同時だった。彼は、私が差し出した大切なメモを、躊躇いもなくその大きな手で真っ二つに引き裂いた。ビリリ、と静かな交番に無慈悲な音が響く。彼はそれをさらに細かく、二度、三度と破ると、足元のゴミ箱へ無造作に放り捨てた。
 それは「捜索の拒否」というより、目の前にある現実から必死に逃げようとしている男の、無様な拒絶。そして、彼が自分の存在を、自分自身で抹殺した瞬間だった。
「返してよ」
 震える声で私が呟いても、彼は二度と振り返らなかった。逃げるようにデスクに向かい、叩きつけるような音を立ててペンを握った。けれど、紙の上を走るカリカリとした乾いた音は、一定のリズムを刻むことすらできず、無様に乱れていた。
 あの時、ペンを走らせる彼の背中を見つめながら、私は何を思っていただろう。指先から強引に奪われ、粉々にされて捨てられた私の「希望」。そのどうすることもできない酷薄な光景に、ただ視界が滲んでいたことしか覚えていない。
 けれど今ならわかる。あの日、本当に壊れそうになっていたのは私だけじゃなかった。自分の名前を「知らない」と否定し、自ら破り捨てた彼の背中こそが、誰よりも激しく、沈黙の中で悲鳴を上げていたんだ。
「なんで、あんな嘘ついたの」
 思わず出した声は夜の静寂に吸い込まれるほど小さかった。十年間。その嘘を守り抜くために、彼はどれほどのものを捨ててきたのだろう。警察官という仮面を被り、ただの「中村さん」として私の成長を見守る。それは、あまりにも不器用で、あまりにも孤独な愛だった。
 はがきを右手に握りしめたまま、扉に額を押し当てた。冷たい鉄の感触が、余計に胸の奥を熱くさせる。
「……知ってたんでしょ。私がこれ見つけるって」
 私が呟くと同時に、扉の向こう側で、わずかに衣擦れの音がした。彼はそこにいたのだ。私がはがきを拾い、その封印を解くのを、息を殺して待っていたのだ。
「うそつき、」
 喉の奥を震わせて絞り出した。精一杯の罵倒。視界が急速に歪んで、タイルに落ちる夜露が、自分の涙なのかもわからなくなる。
 その声を合図にするように、ガチャリ、と鍵が回った。それは拒絶の終わりであり、彼が十年間守り続けてきた「警察官の中村さん」という役割を、自ら手放した音だった。
 ゆっくりと開いた扉の隙間から、懐かしい木の匂いと、交番と同じ冷めたコーヒーの匂い。そして、街灯よりもずっと温かい、山吹色の光が漏れ出した。
 逆光の中に、立ち尽くす彼の影が揺れる。その輪郭が滲んで見えないのがもどかしくて、私は何度も瞬きを繰り返した。
「夜遊びが過ぎる」
 低くて、ぶっきらぼうなその声。いつもと変わらない、面倒くさそうな中村さんの口癖。けれど、その声はわずかに震えていて、私を呼ぶ視線は、壊れ物を扱うようにひどく不器用に泳いだ。
「……入れよ。風邪ひくぞ」
 彼はそれだけ言うと、促すように少しだけ脇へ退いた。
 謝罪も、再開の抱擁も、ドラマチックな告白もそこにはない。けれど、彼が空けたそのわずかな隙間は、世界のどこよりも優しく、私を招き入れてくれた。
 十年間の嘘は、きっと明日からの会話の中で、ひとつずつ、ゆっくりと解いていくしかないのだろう。
 私は頷き、一歩、その家の敷居を跨いだ。背後で閉まった扉の向こう側には、きっと明日、ヒステリックに私を呼ぶ母の声が待っているだろう。けれど、もうあの毒のような言葉に射抜かれることはない。私には、この山吹色の光がある。
 扉が閉まる。けれどもう、あの無機質な拒絶の音はしなかった。
「おなか空いた」
 鼻をすすりながら、子供のように零れ落ちた言葉。十五歳にもなって、情けないほどに幼い声。けれど、十年間ずっと私を縛り付けていた、血縁という名の呪いが剥がれ落ちて、私はようやくただの子供に戻れた気がした。
 彼は「ったく、めんどくせぇな」と乱暴に自分の頭を掻き回す。そのぶっきらぼうな仕草の端々に、私へのどうしようもない愛しさが滲み出しているのがわかって、今度こそ本当に、堪えていたものが決壊した。
 あの日、あの砂場で出会った夜と、何一つ変わっていない。

 私たちの、二度目の、そして本当の「十年の始まり」だった。

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