母に料理を作る意味の答え合わせ
皆さま、こんばんは。
都内は、天気も曇りがちで暖かいのか肌寒いのか判断に悩む一日でしたが、いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は、昨日から実家にある用事があり、久しぶりに帰っていました。
若干体調がすぐれないことや、私が今後すべき事への報告が中心。
しかし、もう一つの目的は母に料理を作ることでした。

ほうれん草のお浸し豆腐とネギのお味噌汁、トマト
私が料理を始めるきっかけは、小学校高学年だったと記憶しています。
当時は、男子は料理を率先してする世代ではなく、女性がするのが当たり前だった時代。
普通ならば、料理なんてしなくていいから、外で友達と会うとか将来のために何かをすべきでは?と母は考えていたと思いいます。
料理をする登竜門の卵焼き、何かのテレビで見た牛丼のお肉なしもどき。笑
どんな味になるのだろう?
これを家族が食べたらどう思うのだろう?
そんな実験的な考えの私に、母は全く反対もせずに、
「やりたいならやってみなよ」なスタンスで肯定をしてくれた。
その時に頭ごなしに、「男が料理なんてするな!」なんて言われたならば、今のように率先して料理をしていなかったと思います。
大人になるにつれ、作る品目は少しづつグレードアップしていき冷蔵庫のある食材から調理する料理を決めるといった感じで進化していったと思います。
生鮮食品の販売の頃は、誰かに食べてもらうではなく
「どう料理したらその品目が活きるかだろうか?」を探るための料理だったと思います。
サラダなのか、加熱なのか。
加熱でも、炒めなのか焼きなのか、蒸すや茹でる等、色々と調理方法の選択肢があります。
それを販売するお客様に「こんな調理でしてみたら美味しかったですよ!」と説明する事で頭の中にイメージしてもらい、「試してみたい!」と買いのスイッチが入る。
それは、売上が上がるためというのは二の次で、こんなに美味しくなる食べ方がありますとお伝えしたかっただけなのかもしれません。
当時は、俯瞰する余裕はありませんでした。
そして、昨年の12月に母が外出先で倒れ、外傷性くも膜下出血を発症し、それと並行して乳がんと診断されます。
調理の好きだった母が、自分が何が食べたいのかすらも忘れ、ただ生きるための栄養としか考えなくなり、少しづつ食欲への興味を失っているのを察知しました。
それを見ていて、私はとても悲しかったのだと思います。
母がHCU病棟に入り、経過を直接見れたのは転倒後の次の日の午後でした。
たくさんの管に巻かれ、自分が倒れた時の記憶すら覚えていない。
なぜここにいるのか?
そして、いつ病院を出れるのか?
お産の時以外、大きな病気をせずに80代半ばまでは元気であった事と現実の自分を見つめた時の乖離度を感じた時に、今後の人生に失望したかも知れません。
帰りがけに母の手を握り、また来るよとだけ伝えて後にしましたが、母自身は私が手など繋いだりするキャラでない事を知っているから、反射的にビックリしたのだと思います。
味の薄い病院食を経て、自宅療養に切り替わってからの1月半は、母や同じ実家で暮らす姉のために調理をしました。
その時の私の料理は、母の手をぎゅっと握った時と同じ気持ち。
もっと生への執着を取り戻し、前と同じまでとはいかなくても「生きることは素晴らしいよ」と必死に調理を通して励ましたかったのです。
今は、乳がんの手術も終え、再度の自宅療養になっていますが、片胸を切除した痛みの後遺症が続いているので緩和するリハビリを行ってはいますが、まだ少しスッキリしないのだと思う。
今は、実家での生活から私も通常の生活に切り替わっていますが、たまに顔を出した時くらい、調理をして何となく励ましたい。
手の温もりとは違った方法。
声に出さなくても私にとっての料理は、母の手を握るのと同じ意味なのだなと自分の気持ちに気づくことができました。
母も病気になって家事をする機会は減りましたが、その分私の料理したものを嬉しそうに食べてくれる姿に対して、継続して料理し続けることへの頑張りを言葉で認めてくれています。
私が、直接的に言葉として伝えなくても、その評価を言葉でもらえることは喜びでもあります。
午後は、母の元を離れ自分の用事を済ませ今は自宅に戻っています。
Apple Watchから発信される母の体調を間接的に知る毎日ではありますが、私自身も母の励ましと同じように、今度は自分を励ましてあげたい。
そんなことを思う、静かな夜です。

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