9月4日
ゴミかチリのように労働していた瞬間があるかと思えば、ふと、代休というものが不意に降ってきたので、ここで映画を観に行くだとか、映画館に座りにいくだとか、色々なことをしようと企てていたのだけれど、これがまずかった。(仕事ではない)最低限の連絡とか、調整とか、溜まった家事とか、そういうものまで疎かになってしまうほど不毛な1日だ。
だいたい、どこかの誰かが無理に「夏は終わりだー!」と強がってみたところで、しかし身体は完全にバテてしまっているし、脳みそは疲れ果ててしまっている。朝からコーヒーなどを飲みに行き、仕事を済ませ、映画館に行く。みたいなことは、あくまで例えば冬のわたしの成功体験なのであって、つまりは自分にもできることだとは逆立ちしても思わないほうがいい。彼は、自分とはまったく、別の人間なのだ。彼のことをつくづく羨ましいなと思う。夏は終わったとはいえ、こんなに灼熱の中、労働でもなく外に出られるのならばそれは人間ではない。あれ?じゃあ労働ってなんなんだ?
理想では、増村保造の『大悪党』を観たかったのですが、現実は、悲しみを堪えてシャワーを浴びる。熱い風呂を沸かす。今度観られる機会はいつになるだろう。命を助けてくれているクーラーによって死にかけた身体をなんとか蘇らせながら、なんとサブスク解禁されてしまった「天使たちのシーン」を流した。
海岸を歩く人たちが砂に 遠く長く足跡をつけてゆく
過ぎて行く夏を洗い流す雨が降るまでの短すぎる瞬間
真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ
駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている
いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる
小沢健二が、今までこれをサブスク解禁しなかったことも理解できるし、『犬〜』をサブスク解禁していないのもまぁそうだよな、と思う気持ちもある。でも、アルバムを未解禁のままにしたまま、これを解禁するのならば、それならばずっとしまっておいて欲しかったな、と少し思う。コロナ禍の時期に配信したシングルをいまはもう引きあげていたり、活動休止前のシングルの解禁もまばらだったり。そういうのは全然イケてないよな、と思う。
でも、配信されない曲ってある層にとっては死んでいるというか、存在していないみたいなものなので、こういう風に誰でも聞けるところにこの曲が転がって、どんな形でも、誰かに、例えば、どんなに忙しい人にでも届くきっかけになるのなら、それは本当に素晴らしいことだよな、と恥ずかしげもなく考えた。andymoriの「すごい速さ」がTikTokでバズったらしいときもおんなじこと思ったな。
そんなことを考えてしまうように生きているのは、大いにこの曲のせいだと思うし、例えば散々っぱらみんなで、友達で、飲んで、集まって、話して、大人だったらそれぞれ別々のタクシーなんかに分かれて帰るときに、なんだかそれが素晴らしい気持ちだったとしたら、自分なんかはいちばん最後のタクシーに乗り込むふりをして、密かにカラオケなんかに寄って、せめてこの曲一曲だけでも歌って帰りたいと思うだろう。何が言いたいのかというと、それでも、こんな歌のはじめのほうに、夏を洗い流す雨について歌っているということを、幾度と聴いてきて初めて気づいたということと、この熱いシャワーが、そうなってくれればどんなに嬉しいかということ。
