2026宇陀松山植物博覧会
宇陀を訪れるのは、今回がはじめて。
榛原(はいばら)駅からバスに乗り込み、大宇陀へと向かう道中、車窓の景色は少しずつ、けれど確かに自然豊かな表情へと移り変わっていきます。
水田には、五月の光を浴びてスクスクと育つ青々とした稲。畑仕事に精を出す人たちの姿。 そんなのどかな風景を眺めているうちに、胸の奥から小さくワクワクとした気持ちが湧き上がり、止まらなくなっていました。

今回の博覧会は、宇陀の美しい街並みのあちこちに会場が点在しています。 予約していたお弁当を受け取りに行くため、のんびりと街の散策を始めました。 古い木造の建物、どこか懐かしい看板、今ではあまり見かけない味わい深い書体……。
歩を進めるごとに、昔ながらのノスタルジックな空気感に、身体がどっぷりと浸っていくのがわかります。日々の忙しさでいつの間にか浅くなっていた呼吸が、自然と深く、ゆったりとしたリズムを取り戻していくみたいです。
道すがら、素敵な出店者さんたちとの嬉しい出会いもありました。
よもぎ屋さんでは、「よもぎはね、瑞々しい若葉よりも、しっかりと成長した葉っぱの方がずっと効能が高まるんですよ」と教えていただき、植物の生命力の不思議に深く納得。

セージを使ったヒーリングのブースでは、摘みたてのフレッシュなセージの香りを体験させていただき、その香りに頭の芯がすうっと軽くなりました。
米粉パン屋さんとの何気ないおしゃべりも、心に心地よい余白をくれます。

そして、楽しみにしていたお弁当。
蓋を開けた瞬間、思わず嬉しくて溜息が出ました。 おかずの下には、抗菌やおもてなしの意味を込めて、美しい黒文字の葉がそっと敷かれていたのです。さらに、お茶の葉っぱの天ぷらも。
自然の恵みをそのまま、命を養うために仕立てる――。
そんな「薬膳」ならではの、細やかで優しい心遣いに、胸がじんわりと温かくなりました。食べることで、身体の内側から優しく調律されていくような感覚です。
午後からは、薬草と薬学、そしてケミカルな世界と歴史についての講義に参加しました。
過去の人たちが、どれほどの情熱と時間をかけ、どれほど緻密な観察と経験を積み重ねて植物の力を紐解いてきたのか。
その果てしない蓄積の凄さに、ただただ圧倒される時間でした。 講義の中で、特に印象に残った言葉があります。
「学べば学ぶほど、限定的な言葉が失われる」
物事を深く知れば知るほど、安易な言葉でカテゴライズしたり、決めつけたりすることができなくなる。世界はもっと広くて、曖昧で、そして豊かな循環の中に存在している。
そんな言葉をいただきましした。

宇陀のまちは、本当にゆっくりとした時間が流れる場所でした。
見上げれば遮るもののない広い空があり、見渡せばどこまでも瑞々しい緑が広がっている。
心がきゅっと縮こまったとき、この宇陀の広い空と黒文字の香りを思い出せるように。 お腹いっぱいに満ちた宇陀の心地よい余韻を抱きしめながら、「また来年、この季節に訪れたいな」と感じました。
