「桜の大門」 ~18歳・春①~
3 18歳・春①
無事に高校を卒業した3月末、警察学校への入寮に先駆けて教科書や必要な物品を購入するための販売会が開かれた。2月末には制服の採寸があったのだが、それは警察本部で行われたため警察学校を訪れるのは今回が初めてだった。
最近建て直されたばかりだという警察学校は真新しく、やたらと広い。車の運転をしている母は、駐車場として指定されたグラウンドから販売会場が遠いことに、早くも文句を言い始めた。
「近くにいくらでも止められるスペースあるのに!」
「スーパーに買い物に来てるわけじゃないんだからさ…。」
「それにしたって…。」
母は慣れないことにストレスを感じるタイプだ。そしてそのストレスを発散するため、時に子供のように愚図りだす。今回は初めて訪れる場所が警察施設であるということ、大金を持っていることがストレスの要因となっているのだろう。
いずれにしてもまともに相手をするとドツボにハマることになるから、なだめすかしながら慣れてくれるのを待つより他はない。
それに、警察への過剰な反応の原因は世文にある。あの事件の時、警察署に呼び出された母の顔色は尋常ではないほどに白かった。天真爛漫で人当たりがよく、何より純粋で人を疑うということを知らない母は、犯罪や警察からは対極に位置しているような人だった。
大金を所持しているのは、今回の買い物が日常では考えられないほどに高額だからだ。
六法全書をはじめとした図書類だけで総額30万円に届きそうな上に、柔道着や剣道着、校内での普段着となるトレーニングウェアなども含めると、総額は50万円近くになる。以前カードで失敗をしている母は現金以外の決裁手段を持っていないから、必然的に現金を所持することになった。
世文は母と視線が合わないように窓から外を眺めた。同じような親子連れがたくさん歩いている。子供の方は4月からは同級生ということになるのだろう。
皆一様に大きめのショッピングカートを押していた。中には配送業者が使うような台車を押している人もいた。
「そういえば荷物を運べる物を準備しろって書いてあったよね?」
「エコバッグ、多めに持って来たわよ?」
「どうやらそういうことじゃないみたいだ。」
買い物を終えて戻って来た家族の様子を見て、世文は間違いに気が付いた。持っている荷物の量が尋常ではない。遠目に電子レンジか何かのように見えていたのは、分厚い本の束だった。それが三段重なって、さらにその上に30冊くらいは本が乗せられている。
「………エコバッグじゃどうしようもないな。」
「そうみたいね…。」
会場で一条に会わなければ、親子で汗をかきながら車まで何往復もする羽目になったに違いない。一条家の買い物はさすがに手慣れたもので、図書類も父親の物で使える物もあるらしく、その量は極端に少なかった。
一条家のキャンプカートを借り、一条本人にも手伝ってもらったが、それでも二往復が必要だった。全ての荷物が積み終わると、軽自動車の後席はいっぱいになってしまった。
「助かったよ。こんなに荷物になるなんて思ってなかった。」
「エコバッグじゃ何枚あってもどうしようもなかったな?」
「それだよ。なんだこの分厚い本。」
「いわゆる『大六法』ってやつだな。帰ったら中身見てみろよ。細かい文字がビッシリだぜ?眠れない夜には最適な読み物だよ。」
「これ、普段使うのか?」
「いや、ほとんど使わない。要点だけまとめた『小六法』ってのがあるんだ。普通の辞書みたいなやつ。」
「なんだよ。じゃあ要らないだろ。」
「お守りみたいなもんだよ。ありがたいお経だと思え。」
「途端に胡散臭くなってきたな。」
一条と笑い合っている隣では、お互いの母同士が同じように話を弾ませていた。母親同士も気が合ったらしく、話はまだまだ続きそうな気配だった。
その時、駐車場の方に歩いてくる一人の小柄な女性が目に入った。見た感じは4月からは共に学ぶことになりそうな年齢のようだが、どうやら一人で買い物に来ているらしかった。
グレーのスーツに黒のパンプスという出で立ちだが、どうにも歩きづらそうなところを見るとあまり履き慣れていないのだろう。体の半分ほどを隠すようなくたびれた台車を押していた。荷物の重さに耐えかねた車輪が、悲鳴のような音を立てている。
アスファルト舗装の僅かな凹凸にも苦労している様子が見て取れた。この分だとグラウンドに降りるための段差が越えられないだろう。少なくても山積みになった図書類は台車から滑り落ちることになりそうだった。
世文の視線に気付いた一条も同じことを考えたらしく、二人は手伝うために女性の方に近付いて行った。
両脇に立ち、台車の前部を持ち上げようとしたことろで意外な声が飛んで来た。
「大丈夫!手出し無用よ!」
軽く息を弾ませながら掛けられたその声の言葉の強さに、二人はギョッとなって立ち上がった。台車はその間を縫うように進んでいったが、案の定段差を越えた時の衝撃で本の山が崩れ落ちた。
「全然大丈夫じゃなかったじゃん…。」
一条が呟きながら落ちた大六法を拾おうとした時、また声が飛んだ。
「触るな!自分で拾える!」
今度は明らかに敵意を感じる言葉だった。さすがの一条も興醒めした形となり、面白くなさそうな顔をする。
その後一人で黙々と本を積み直し、固いとは言え砂地のグラウンドを、それこそ渾身の力で台車を押していく女性を見送った。
「なんだ、あれ。」
「なんだかな。…いろんな人間がいるってことだな。」
「あの感じで警察職員ってどうよ?」
「さぁな。まぁ犯罪者にしたら怖い存在にはなりそうだ。」
今日ここにいるということは、彼女も警察職員として入校予定いうことになる。婦警課程なのか一般職員課程なのかは分からなかったが、どちらにしてもまた顔を合わせることになるだろう。
自分たちの車に向かって歩き出すと、彼女の運転するSUVが脇を通り抜けていった。運転席から二人を睨みつけるようにして走り去って行く。
「おっかねぇ!なに?俺らそこまで気に障ることした?」
「ありゃマトモじゃないな。入校したら近付かないようにするリストの一番上に躍り出たぜ。」
「車、岩手ナンバーだったな?運転して来たってことは大卒か?」
「お、さすが警察官の息子だけあるな。しっかりチェックしてんだな。」
世文と一条は高卒程度の学力で受験資格のある「警察官B」という採用区分で受験をしている。大卒程度の「警察官A」と違い、生まれ月の関係で自動車の運転免許が取得できないまま採用される場合もある。
そんな事情もあり、警察官Bで採用された者は入校後に実施される運転技能検定を受けてからの運転を推奨される。
もちろん完全にダメというわけではないが、入校前に事故や違反があった場合は採用取り消しになる可能性もあるため、しないのが一般的なのだ。今回の販売会に私有車で訪れたということは、警察官Aでの採用という可能性が高い。
また、警察官採用試験は一度の受験で複数の勤務地を選択することができる。採用人数の関係もあり、競争倍率にも多少の差が生まれてくる。世文は宮城県警を受験すると同時に警視庁と神奈川県警も受験し、いずれも合格していた。
あの女性も同じように岩手県警と宮城県警を同時受験し、宮城県警を選択した可能性がある。一条は車からそこまでの可能性を導き出したということだ。
その後、息子たちのちょっとした事件に気付きもしないまま話に花を咲かせていた母親たちの希望で、近くの商業施設に行くことになった。母親同士がカフェで時間を過ごしている間、世文と一条はゲームコーナーの『頭文字D』で公道最速を競い合った。
結果は6勝1敗で一条の圧勝となった。
「桜の大門」 ~18歳・春①~
了。
いいなと思ったら応援しよう!
記事が「いいな」と思っていただけたら「心付け」よろしくお願いします!
犬や猫などの動物保護活動に使わせていただいております!
¥300でノミダニ忌避薬が1か月分買えます!
