「赤子の手をひねる」って、実はとても困難なことだと思う。
「赤子の手をひねる」と言う慣用句がある。
「物事を極めて容易に行うことができる様子」として使われるものだけれど、果たして本当にそうだろうか?
今日、よんどころない事情のため、生後12日という生まれたばかりの男の子を抱いていることになった。
首も座っていないし、新生児特有の朝焼けのような、どこか夢の残り香を感じさせる肌色が、まだはっきりとその顔に出ている、まさに「赤ちゃん」と呼ぶにふわさしい子をこの腕に抱いた。
まだ小さく、軽く、頼りなく、見るからに弱い生き物。
それなのに、この溢れ出る生命力はなんなのだろう?
腕に乗せた瞬間に「負けた」と思った。
「生物」として敗北感が、全身を貫いた。
まず、全身が温かい。
冷え性の私にはとてもうらやましい。
そして何とも言えない、かぐわしい甘い香り。
加齢臭を科学的な方法で何とか誤魔化そうとしている私とは大違いだ。
手足の小さな指を懸命に動かし、ぴーんと伸ばしたりギュッと縮めたり。
私はもはや、足の指などろくに動かせもしないと言うのに。
腕の中でもぞもぞ動き、耳を澄ますような仕草を見せたり、まだよく見えていない目で見つめてきたり、小さな口で大きく欠伸をしたり。
何をしていても、とにかくかわいい。
とにかく愛らしい。
同時に親でなくても「命を懸けても守らなければならぬ」という、強い使命感が芽生えて来る。
いつまで見ていても、きっと飽きると言うことがないに違いない。
ほんの40分ほどのことだったが、私には「神にも劣らぬ存在」をこの手の中で抱いていたのだ、という自負がある。
なぜだか自分まで、神々しい生き物にさせてもらったような感覚。
新生児の持つこの特殊性、神秘性。
何よりもまだ朧気で儚げなのに、力強い生命力を同時に感じる「非論理的な存在」を、この手に抱いていたという事実が、得も言われぬ感動となって私を包み込む。
そこで「赤子の手をひねる」だ。
実際に赤子の手をひねることができる人など、この世に存在するのだろうか?
それはもう、神に背き、全人類を敵に回す所業と言えると思う。
そんなことができる人間が、本当にいるのか?
「それは物の例えだよ」
と言われるかも知れないが、そうした「物の例え」を生み出した背景はなんなのだろう。
昔からある言葉だからこそ、今でも当たり前に使っているが、これが最近になって生み出された言葉であるならば、間違いなく糾弾され、排斥される言葉の一つだろう。
少なくても私には「絶対にできないこと」の例えだな、などと考えながら、いつにも増して慎重にハンドルを握っていた。
そんな午後だった。
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