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「桜の大門」 ~18歳・春④~

6 18歳・春④
 世文と一条がその存在に気付いたように、向こうもこちらの存在に気が付いたようだった。その瞬間に何とも言えない緊張感が漂った。
 「待ち構えてまで文句かよ…。」
 一条が呟いた。心の声が口から飛び出してしまうタイプの一条といると、いつ無用のトラブルに巻き込まれるかわからないという問題がどうしても付きまとう。今回の声は向こうまで届いていないといいが。
 「あの…!お疲れ様です!さっきはありがとうございました!それと…ごめんなさい!」
 最初に口を開いたのは走り方の下手な方の女性だった。本来その言葉を言うべき女性は無言で、何やら不満そうな表情で立ったままだ。
 「いや、別に大したことはしてないし謝られるようなこともないよ。…大門世文。コイツは一条隼人。どっちも18歳だけど…。」
 期せずしてちょっと棘のある言い方になってしまった。口ではそう言いながら、やはり心のどこかに引っ掛かったものがあるのかも知れない。
 「あ!ごめんなさい。名乗りもしないで…あの…私は宇治川桃花です!高卒の18歳で…。」
 宇治川はチラッと脇に立つ女性に視線を送った。視線に気付いた方は不満顔を隠す様子もなく、渋々と言った感じで自己紹介をした。
 「私は紅野桜子。………21歳。」
 「宇治川さんに紅野さん…。とりあえずこれからよろしく。じゃっ。」
 瞬間的に『この人とは合わない』と悟った世文は、早々に会話を切り上げようとした。ここで話をするよりは同じ班になった仲間と早く話がしたかったし、現在総代3人だけで行われている話の内容も、終わり次第江藤総代から聞いておきたい。そしてできればその前に、鈴木教官からの話をみんなに伝えておきたかった。
 「なんだなんだ世文!ずいぶん冷たいじゃないか!せっかく待ってていただいたのに。それにほら、紅野さんがまだ話してないだろ。」
 一条にも何かしらの考えはあるようだった。大半は下心という呼び名のものだったのかも知れないし、何かを期待したのかも知れない。
 「私?特に話すことなんかないわよ?」
 「またまたぁ!何か言い忘れてることとか、ないですか?」
 一条らしくないとも言えるし一条らしいとも言える。曲がったことの嫌いな直情傾向の強い男なのだ。しかしそれだとしても言い方が嫌味くさい。
 「何?販売会の時のこと、まだ根に持ってんの?」
 「まぁ、それもありますけど…。」
 「?…何よ。ハッキリ言ったらいいじゃない。」
 「段ボール、重かったなぁ。それに何往復もしたしなぁ。」
 わざとらしいにも程がある。一条は違う方向を向いて、筋肉をほぐすように伸びをするという臭い演技まで交えてそう言った。
 「あ…あのっ!ほ、ほんとに…ごめんなさいっ!」
 深々と頭を下げて再度謝ったのは宇治川の方だった。ここでようやく事態が飲み込めてきた。あの荷物は紅野の物ではなく宇治川の物だったのだ。世文も一条も紅野の荷物だと思い込み、手伝っていたのが宇治川だと思い込んでいた。が、事実は真逆だった。
 販売会での出来事と、荷物を運んでいる姿を見たのが紅野だけだったことでとんでもない勘違いをしていたようだ。
 まだ頭を下げたままの宇治川を除いた3人が同時にそのことに気が付いた時には、事態は最悪の方向に向かっていた。宇治川が泣き出してしまったのだ。
 無理もない。最初から謝っていたのに、まるで「謝り方が足りない」とでも言うような小芝居を見せられたのだから、居たたまれなくなるのは当然だった。それでなくてもここまで緊張の連続だっただろうに。
 今や完全に立場が入れ替わった。事情を説明し、平謝りに謝るしかない。こうしている間にも食堂で話をしている総代3人が戻ってくるかも知れないと言うのに、謝れば謝るほどに宇治川が泣いてしまう。
 「呆れた。そもそも人間の器が小さいからこんなことになるのよ。カッコつける前にもう少し大人になりなさいよ。」
 事態の収拾を図ってくれたのは紅野だった。トラウマ級の捨て台詞は喰らったが、宇治川の肩を抱くようにして女子寮に連れて行ってくれた。その後ろ姿を二人で拝むようにして見送った。
 慌てて寮に戻ろうとした時、宇治川の立っていた位置にビニール袋が置かれているのが目に入った。広げてみるとスポーツドリンクとチョコが二つ入っている。もしかしたらお礼のつもりだったのかも知れない。
 そのままにもしておけないので世文が回収し、明日にでも返すことにしよう。マヌケで子供な男二人は、このお礼に値しない。
 「明日にでももう一回きちんと謝ろうぜ。」
 「だな…。悪いことしちゃったな…。」
 「お前が余計な下心持つからだ。あの時帰ってればこんなことには…。」
 「あっ!それ言っちゃう?お前だって勘違いしてたろ!」
 その時、本棟側の出入り口から総代の3人が渡り廊下に出てくるのが見えた。二人はコソコソと寮に戻り、何事もなかったかのように伝達を始めた。
 とにかく今は、紅野がうまくやってくれることを祈るしかない。矢島総代に気付かれないようにしてくれると良いのだが…。

 どうやら紅野は上手くやってくれたようだった。翌日以降もどこからもお咎めを受けることなく、多忙な寮生活が始まった。
 宇治川にも紅野にも再度きちんと謝りたかったのだが、その機会はなかなか訪れなかった。全ての行動が教場ごとに割り振られているので、そもそも顔を合わせる機会が少なくなった。空いた時間もやることが多く、仮にあったとしても女子寮から二人を呼び出すわけにもいかない。
 この「教場」と言うのは、受験時の括りでそのまま分かれることになるもので、警察学校での入校訓練の長さの違いから「長期課程」「短期課程」「女性警察官課程」と分類される。
 大卒で入校した者と女性警察官は6か月間の入校訓練を必要とし、高卒の場合はこの期間が10か月間となる。その後実際の警察署に配属されて実務研修を行った後「初任総合科」としてまた数か月間の入校訓練を行い、それが終わるといよいよ一人前の警察官としての職務が始まることになるのだ。
 ここ数日はそれぞれの教場に分かれ、制服の着用方法や整列・行進などの基礎訓練を繰り返す日々となっていたが、明日からは入校式に向けて教場合同のリハーサルを行うことになる。その休憩時間になら、少し話をする時間が得られそうだった。
 
 その間も世文は副総代としてかなり忙しく動き回った。
 24時間いつでも気が抜けない生活と言うのは10代後半の若者にとって苦痛以外の何物でもなく、そうしたイラつきが不平不満となって江藤と世文に向けられることになったのだ。
 二人とも決して好きでこの役割を受けているわけではないと言うのに、ほとんど敵の扱いを受けなければならない。教官からの指示を取り次いでいるだけで何かと反抗してくる。
 極めつけは清掃区域の割り振りが発表された時だった。この割り振りには総代と副総代、そして各教場の厚生委員が加わった話し合いで決められることになっていたのだが、短期課程から示された案は明らかにバランスを欠いたもので、トイレや屋外など、清掃に手間が掛かったり天候に左右されるような場所だけが長期課程に割り振られていた。
 このあからさまな案に世文は真っ向から立ち向かったが、ここでも川村総代と意見が対立し、最終的には「生意気」の一言で片づけられてしまった。それでも世文は食い下がろうとしたが、事態の収拾を図ろうとした江藤総代に止められ、止む無く引き下がったのだ。
 持ち帰った分担表を長期課程の全員に示したが、当然のように不満の声が上がり、今度は同じ教場の仲間から責められることになった。
 「いいように丸め込まれた」
 「役に立たない」
などの心無い声が上がった。
 言い返そうとした世文はここでも江藤総代に止められ、最後には江藤総代が謝罪して「お願い」する形で受け入れてもらった。江藤総代の第三班が外回りを、世文の第二班がトイレを受け持つという条件付きで。
 「みんなごめん。成り行きだけど一番大変なところになっちまった。」
 第二班の学習室に戻ってからみんなに頭を下げたが、反応は薄かった。全員が不満を感じている雰囲気が伝わってくる。
 「仕方ねぇよ。こうなったら超キレイにして生活点稼ごうぜ。」
 一条はそう言ってくれたが、いつもの勢いはなかった。そのまましばらくは無言の自習時間を過ごしていたところに、江藤総代が現れた。
 「ちょっと…いいかな?」
 「ええ、もちろんですよ…またなんかありました?」
 話を聞いてみると、第三班の空気が重過ぎていたたまれなくなったのだという。無視まではいかないが、自分が疎外されている感覚が強くなったので避難してきたのだと。
 「そんな!俺、ちょっと言って来ますよ。康介さんが悪いわけじゃないのに。」
 「いやいやいや!いいんだいいんだ!そういうつもりで来たんじゃないし、少し経てば元に戻るから。ただ…ちょっとだけ、休憩させてもらえれば。」
 「………大変ですよね…。どこにいっても板挟み状態ですもんね…。」
 「やぁ……ねぇ?みんな勝手なことばっかでさぁ…総代、誰かに変わってもらいたいくらいだけど…どうせ誰も変わってくれないんでしょ……? あ!これ、ここだけの話ね!本気でそう思ってるわけじゃないから!」
 しみじみと本音を語った上で、急に我に返ったようだった。
 「大丈夫っす!あの…この部屋はいつでも来てもらっていいんで…。みんな世文の大変なところも見てるし…話は外に出させませんから。」
 一条の言葉に、全員が頷いた。他の面々も、いつもにこやかで明るい江藤総代の疲れた切った顔にショックを受けているようだった。
 「ほんと?……いやぁ、悪いけどほんとにそうしてもらえると助かるよ…第二班は大人が多いもんねぇ…。」
 この後、江藤総代はたびたび第二班の学習室を訪れることになる。とにかく仲間内での争いごとが嫌いで、そうなるくらいなら自分の意見を折るタイプの優しい人なのだ。傍から見ていてもそうした側面に付け込まれているような場面はたびたび目にする。そんな時は決まってここに現れ、ちょっとだけ本音を漏らしていく。そしてその本音がこの部屋から漏らされることは決してなかった。
 
 「では、15分の休憩とする。」
 リハーサルの指揮を執っていた菅野教官がそう告げると、打ち合わせ済みの世文と一条は、体育館から出て行く人波の中から宇治川の姿を見つけ出して声を掛けた。
 「あ、宇治川!ちょっといいか?」
 今日は紅野ではない人間と談笑していた宇治川を呼び出すと、それに気が付いた紅野がするするとこちらに近付いてきた。
 「あんたたち、まだなんかあんの?」
 その舌鋒は相変わらず鋭い。
 「いや…この間はちゃんと謝れなかったからさ…。こっちの思い込みで嫌な気分にさせちゃって、すみませんでした…。」
 二人揃ってしっかりと頭を下げた。
 「いいのいいの!こっちこそごめんなさい!一回泣いたら止まらなくなっちゃって…びっくりしたでしょ?」
 「いやほら、なんかひどい小芝居までしちゃったからさ、宇治川さんに申し訳なくて…。あ、もちろん紅野さんにも…ほんと、大人げないと言うかなんと言うか…。」
 「私の分は取ってつけた感じもするけど…もういいわよ。私も桃花も気にしてないから。ね?」
 「そうそう。手伝ってもらったのは間違いないし、私がもう少し早く走れてたら叱られないで済んだかも知れないし…。」
 宇治川の顔がまた曇ってきた。ここで思い出し泣きでもされたらそれこそ大変なことにになる。慌てて話題を変える。
 「あ、そうそう!この前、スポドリとチョコの入った袋、忘れていってない?あれ、まだ預かってるけどどうしようか?」
 「あー!あれ、お礼のつもりだったの。良かったら二人で食べて!」
 「マジで!?ありがたく頂戴するよ!じゃあ、俺たちこれで戻るね。…あのさ、またなんかあったら相談してくれよ? 器、少しは大きくして待ってるからさ。紅野さんも。」
 「うん、ありがとう!」
 「まあそうそう無いことだとは思うけど、覚えておくわ。…それと、この前は私もキツい言い方をしてごめんなさい。じゃね。」
 『颯爽』という言葉がピッタリだった。くるりと向きを変えて歩み去って行く姿に釘付けになった。脳髄がシーンと痺れるくらいの感動を覚えた。
 「……アイツ、今、謝ったよな?」
 「え……あ、ああ、謝ってたな。確かに…。」
 一条の言葉に上の空で返事をしたが、話の内容はまったく覚えていなかった。
 これが恋の感覚だということに世文が気付くまでには、まだしばらくの時間が必要となる。そう言う方面では大門世文、だいぶ子供だった。


 

「桜の大門」~18歳・春④~
了。
 
 
 
 


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