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「桜の大門」 ~18歳・春⑤~

6 18歳・春⑤
 入校式当日。前日から制服にモールを付けたり、アイロン掛けや靴磨きなどの作業に追われた。
 『靴に顔を映してズボンの折り目で髭を剃る』
と言われるが、まさしくそれが可能と思えるほどに「研ぎ澄ます」のだ。
 第二班もソワソワした空気で時間が来るのを待っていた。既に着替えも終わり、お互いにコロコロを掛け合ったりして入念にチェックを入れている。
 寮室から見えるグラウンドに、続々と来賓の車が入ってくる。今日ばかりは学生が主役となり、教官が駐車場の誘導係をしている姿も見えた。
 「まだ30分もあるのか…。」
 景色を眺めては時計を確認するを繰り返しているのは一条だ。全員が部屋の中で立っている。座り皺ができないようにするためだった。
 その奥で『警察職員の信条』の暗記に余念がないのが石川と大友の二人だった。これから行われる入校式では全員で唱和することになるのだが、声を揃えているだけに、一言一句でも間違うとかなり目立つことになる。

 一、警察職員は、誇りと使命感を持って、国家と社会に奉仕する。
 一、警察職員は、人権を尊重し、公正かつ親切に職務を執行する。
 一、警察職員は、規律を厳正に保持し、相互の連帯を強める。
 一、警察職員は、人格を磨き、能力を高め、自己の充実に努める。
 一、警察職員は、清廉にして、堅実な生活態度を保持する。

 この五か条から成る心構えに全てが凝縮されている。いわば警察職員としての金科玉条であり、徹底的に叩き込まれる。
 
 石川は暗記が苦手で、大友は緊張感から、それぞれリハーサルでは何度も教官からダメ出しを喰らっている。口パクで誤魔化そうとしても教官の耳は欺けない。特に石川はこの関連だけで500回は腕立て伏せをしているに違いない。
 その時、入場準備の放送が入った。入校式の行われる体育館には、来賓全てが到着してからの入場となる。それまでは講堂で待機することになっていたのだ。
 「リュウ、カズ、いざとなったら口パクで行けよ。その分残りの三人で声張り上げるからさ。なっ!気楽に行けよ?」
 この頃になると、お互いにニックネームで呼び合うようになっていた。一条はジョウ、後藤はイッさん、世文はセブンと呼ばれている。
 まだ不安げな表情の二人に一条が声を掛けた。最近の一条は天性のキャプテンシーにますます磨きが掛かったようだ。
 
 「初任科生、入場!」
 いよいよ入校式が始まった。壇上には警察本部長以下、県警のトップがずらりと並んでいる。右手に並んでいる教官たちの顔にも緊張感が見て取れる。
 県警音楽隊の奏でるマーチに合わせて行進入場する。足並みも白手袋を掛けた手も、きれいに揃っていた。後列に並ぶ家族席の間を通り抜け、入校生席へ進む。
 国歌斉唱、本部長からしばらく続く来賓挨拶。その度に掛かる号令に瞬時に反応し、起立、敬礼、着席を繰り返す。リハーサルの甲斐もあり、節度のある動きで、音までが一つに揃って聞こえた。
 その後一人ひとりの名前が読み上げられ、代表で川村総代が本部長から交付された辞令を受け取る。川村総代の代表挨拶が終わると、いよいよ「信条唱和」の次第となった。
 皆、堂々と唱和をした。後ろの列からリュウとカズの声も確かに聞こえた。

 無事に入校式が終わり、来賓が退席すると「休め」の号令が掛けられた。これから家族と共に過ごし、今日は昼食も班ごとに家族と食べることになる。
 「立派だったわー!ほんとに私のお腹から生まれた子?」
 礼服に身を包んだ母が飛びつくようにして世文を迎えた。カメラを手に持ったスーツ姿の父もどこか誇らしげな顔をしているのを見て、ホッとした気持ちになる。
 その後ろから高校の制服を着た世那が母に隠れるようにしてこっちを見ていた。
 「ほら!世那も並んで!写真撮ってあげる!」
 母に促されるように前に出てきた世那が、何やらモジモジしている。
 「この子ね、世文がすっかり変わっちゃったから照れてるのよ!ずっと『お兄ちゃんじゃないみたい』って言ってるんだから!」
 「ちょ、ちょっと!ヘンなこと言わないで!」
 「何も変わってないよ。世那が味方してくれたからここにいるんだからさ。留守の間の家のこと、頼むぜ?」
 「ほらぁ!前のお兄ちゃん、こんなこと絶対に言わないよ~!」
 久しぶりで家族と笑い合い、入校式の看板の前で代わるがわる写真を撮った。ほんの一週間くらいのことだったが、確かに家族の何かは変わったような気がする。もしかしたら世那の言う通り、自分が一番変わったのかも知れない。
 
 昼食はちらし寿司と鯛の焼き魚、それにお吸い物だった。鯛はかなり小振りだったが、味が濃くて旨い鯛だった。まさに晴れの日にふさわしい華やかな食事だ。
 今日は普段の三倍以上の分量を調理してくれた厨房の皆さんが、食事の豪華さに目を丸くしている家族の表情をにこやかに見守っている。見慣れない顔があるのは、応援に駆けつけてくれたお弟子さんや調理員さんのご家族だという。
 昨晩はかなり夜遅くまで厨房の灯りが点いていた。仕込みにも時間を掛けてくれたのだろう。
 「いつもこんな豪華なメシを食ってるのか?」
 箸を進めながら父が聞いてくる。普段は無口なことが多い父だが、食事の美味しさに感動しているようだった。鈴木教官の話を受け売りで話すと、なるほど、とでもいうように何度も頷いていた。
 一条の家族以外は今日初めて会うことになった。
 石川のご両親はスーツではないお洒落な服装だった。ご夫婦で美容室を経営されているらしい。客商売だけあって非常に気さくで、第二班全員を永年無料でカットしてくれると言い出した時は拍手が巻き起こった。
 その隣で場違いな感じで座っているのが大友のご両親。他の親御さんと比べても高齢に見えたが、母親が遅くの子供で甘やかして育てたので厳しい訓練についていけるかどうか、そればかりを心配していると言う。父親の方はいかにも職人らしい。
 後藤の家は母親だけが参加していた。ふくよかな体格で菩薩級の笑顔をいつも絶やさない。本当は父親も来る予定になっていたが、急に住職の務めを果たさなければならない用事ができて来られなかったと言う。要するにそういうことなんだろう。
 一条の家族はいつも通りだ。父親の方は教官に知り合いも多いらしく、食事の前には教官達の輪に加わって談笑している姿が見えた。お話し好きな母親はとにかく誰彼構わず話し掛けている。
 「お食事は楽しんでいただけましたか?」
 一通りの食事が済んだ頃にお茶のポットを片手に現れたのが第二班の担任教官である佐藤一彦教官だった。
 警部補の階級が多い警察学校の教官の中では数少ない巡査部長の階級にあり、年齢も30代前半と他の教官方より一回り若い。一条と同じ高校出身の元高校球児で、甲子園も経験している。
 立ち上がろうとするテーブルの全員を慌てたように押し留めると、空いていた後藤の父が座るはずだった椅子に腰掛けて話を切り出した。
 「皆さんのお子さんを預からせていただくことになった佐藤一彦です。見ての通りの若輩ですが、経験の足りない部分は情熱で補います。指導する立場ではありますが、年齢も近いのでいろいろ相談に乗りながら、一緒に成長していきたいと考えておりますので、よろしくお願いします。」
 この爽やかな挨拶に、特に母親勢がかなり気を良くしたようだ。佐藤教官のルックスも功を奏しているのだろう。俳優の谷原章介にどことなく似ているのだ。
 当の佐藤教官は担当生の父兄に現役警察官の先輩がいることを非常に気にしており、第二班の自習室に来るたびに一条から情報を集めようと苦労していた。
 佐藤教官も今年から警察学校に赴任してきた新任で、今までとは毛色の違う業務に戸惑いを覚えていたようだった。この爽やかな挨拶も登場の仕方も、実は第二班のみんなと一緒に考え出したことなのだ。
 挨拶が済むと、それぞれの父兄から見た子供の長所短所などが話され、佐藤教官からはここまでの生活の様子が語られた。
 バツが悪いのは世文達だ。そういう話は本人のいないところでやって欲しかった。
 その空気から顔を背けるようにして他のテーブルを見回した。どこも話が盛り上がっているようだったが、ふと女性警察官の座るテーブルを見て疑念を抱いた。
 紅野の家族が来ていないようだった。すぐ隣に宇治川が座っているところを見ると、後藤家のような急な欠席ではなく、最初から席が準備されていなかったということになる。
 販売会の時そうだったし、入寮日に自分の荷物を運んでいる様子も見なかった。
 とは言え、そもそも接点がほとんどないのだから、たまたまという可能性が高い。こちらが見ていないだけで入寮日には家族が来ていたかも知れないし、今日もどうしても都合のつかないことがあったのかも知れない。
 何かしら理由はあるにせよ、そこまで重要な問題とは思っていなかった。

 こうして入校式の全ての行事が終わった。最後は初任科生全員が通路に並び、帰宅の途に着く家族を見送った。
 制服から運動着に着替え、各所の片付けが終わると希望者のみが参加の福利厚生関係の説明が講堂で行われた。給与や待遇面、保険のことなどを事務吏員から解説してもらえると言う。
 社会人経験のある後藤の強い勧めもあり、第二班は全員が参加することにしていた。
 登壇した事務吏員の鈴木主幹は非常に話術が巧みで、小難しい話をユーモアを交えながらわかりやすく説明してくれた。
 「みなさんは学生ですが~、今はー勉強することが命じられた仕事なので~きちんと給与が支払われます。そもそも警察と言うのは~『公安職給与表』というきちんとした区分で基本給が決まっておりまして~、階級に応じて横列の『級』と、縦列の『号俸』が交わる地点の給与が~、毎月21日に支払われます。例えばー高校を卒業してすぐに警察官になった『警察太郎さん』の給料は1級9号俸となりますからー、この縦横が交わった箱に書いてある170,970円というのが基本給、ということになるんですね~。」
 ホワイトボードに映し出された画面の一部分にレーザーポインターをくるくる回しながら当てた。おそろしく早口で、語尾を上げて伸ばす特徴的な話し方をする。
 その後も給与の説明が続き、基本給に役職手当や特別手当、勤続手当などで給与が増える。だが警察学校にいるうちは、その給与の中から食費や光熱費などを計算した寮費が天引きされることになる。などの説明がされた。
 「その他にもー、私は以前ある人から『税金泥棒』と言われることがあるんですが~当たり前のように我々も税金を支払ってますのでー、この言い方は正しくないわけですね~。そもそもそれを言った人が脱税で捕まった方なのでー、あなたにだけは言われたくない、と答えたんですね~。」
 どっと笑いが起きた後で、所得税の話がされた。扶養家族がある場合などを含めた詳しい話だった。
 「と、言うわけで~もろもろ差し引いた金額が、あと2週間もすると皆さんの給与口座に振り込まれるわけですが~、いくらぐらいになるか、気になりますか~。」
 「気になる」と言う声がそこら中から湧いた。
 「それでは~、明日放校処分になるような方を除きまして~ざっとの数字をお知らせします。短期課程の方で約10万円、長期課程の方で約8万円、女性警察官の方々は最終学歴に応じて8万円から10万円となる予定です。」
 おおー!というどよめきが起こった。思ったよりも金額が多い。鈴木主査の話はまだ続いた。
 「ん~皆さんいい反応なので、もっとすごいことを教えましょう。警察官には給与のほかに年二回、賞与というのがあるんですね~。いわゆるボーナスですが、これが学生の皆さんにも出ます。6月30日と12月10日。私も毎年楽しみにしているんですが~、ま、皆さんの場合、夏のボーナスは4月1日からの計算なので大したことはありません。でもぉ、冬のボーナスは満額出ることになりますから~ここにいる皆さんにも給与の2.25か月分が振り込まれるわけですね~。12月はこのほかに給与もあり、所得税の還付金もありますから~長期課程の皆さんでも、60万円近い金額が振り込まれます。なので~どんなに訓練が辛くても!12月10日まではがんばるように、強くお勧めしますよぉ~。」
 またどっと笑いが起きた。もっと細かい金額が知りたい人は、空いた時間に個別に教官室の鈴木主査を訪ねるように、とのことだった。車が欲しいから貯金したいとか、運用したいという相談にも乗る、ということだった。
 それから警察共済組合の話、入校訓練は怪我をする率も高いので、民間の保険にも加入した方が良い、などの話があった。
 「去年いた学生の話ですが~、剣道の授業でアキレス腱を切ってしまう怪我をした学生が二人いたんですね~。一人は私の話をきちんと聞いていたのでー、保険会社から50万円を超える保険金の振込がありましたが~、話を聞いていなかったもう一人の学生は~治療費を自腹で払うことになったんですね~。皆さんも学校を出たら車やバイクを買うことになる方も多いと思いますが~、それが原付になるか普通車になるかの瀬戸際ですから~、よくよく考えて検討して下さい。」
 スライドが切り替わった。鈴木主査のお勧めする保険会社の方が、明後日から日替わりで夕食後の自習時間に警察学校を訪れるという、スケジュール表だった。
 「キックバックもないのに保険会社の紹介をするのは面白くないんですが~、先輩方の多く加入している保険会社の皆さんが~、明日からここに来ることになっていまーす。ここに載っている保険会社の保険は~、同じ内容でも保険料を安く契約できる『警察官特別価格』を持っていますので~、これから保険を検討される方は~、ぜひ明日以降、またここに集まって下さいね~。」
 それから質疑応答に内容が変わり、鈴木主査がそれにテキパキと答える形となった。今までは親任せにしてきたことを、これからは自分で考えていかなくてはならない。そうした意味では非常に参考になる、貴重な時間を過ごせたと感じた。
 
 「上手くいったら入校中に100万くらい貯められそうだね?」
 「俺は俄然やる気が出た!警察官になって良かった!」
 自習室に戻ってくると、大友と石川が興奮気味に語り出した。暗記地獄から解放された喜びに望外の収入の話も重なって、とても楽しそうに話している姿は何とも微笑ましい。
 後藤は配布された保険のパンフレットを見るのに余念がない。おそらくあれこれ考えているだろうから、明日にでも話を聞いて真似させてもらおう。
 「へーい、コーヒーおまちどぉ!」
 一条が缶コーヒーを抱えて戻ってきた。差し入れにいただいた菓子を広げて、ちょっとした打ち上げを行おうということになったのだ。同時に明日から本格的に始まる入校訓練の決起会とも言える。
 入寮日から一週間の生活で堪えたのが、小腹が空いた時の菓子類が手に入らないことだった。今までなら家の戸棚を探ればパンやカップラーメンがあったし、甘い物が食べたければコンビニに一走りするだけで良かったが、ここでは夕食が終われば自販機の飲み物しか手に入らない。
 これが意外なほどに効いた。夕食から消灯時間までの約5時間、若い肉体は食べ物を求めた。特に甘い食べ物が無性に恋しくなった。
 警察学校の中には売店があるが、入校式が終わるまではオープンしないということもあり、宇治川からもらったチョコレートをみんなで分けて大切に食べるという、今の時代には考えられないような事態に陥ることになったのだ。
 もう一つ、時代にそぐわない出来事があった。昨夜、寮の一階にある公衆電話の前に、ちょっとした順番待ちの列ができたのだ。入校式の確認を行いながら食べ物を差し入れてくれるようにお願いしている姿が多く見られ、同じような悩みを抱えている人間が多いことに驚きつつも共感を覚えた。
 そんなようなわけで、今日は久しぶりの豪華な「間食の夜」となった。隣近所の自習室からも賑やかな笑い声が聞こえるところを見ると、みんな同じような時間を過ごしているに違いない。
 世文は後藤家から差し入れられた薄皮まんじゅうを頬張り、ねっとりとした甘さを楽しんだ。
 この後ポテチもあるし、菓子パンもカップラーメンもある。甘いも塩辛いも自在と言うのがありがたい。
 今夜はぐっすりと眠れそうだった。


「桜の大門」 ~18歳・春⑤~
了。

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