「桜の大門」 ~18歳・春②~
4 18歳・春②
4月1日、いよいよ警察学校へ入寮する日が来た。入校式は一週間後の4月8日に行われる。それまでの間は施設の説明や同期とのレクリエーション、入校式のための予行演習に使われるということだ。
そしてこの日から約4週間が「特別指導期間」となり、非常時を除いての外出外泊や家族との面会が制限される。そこには様々な理由があるのらしいが、弛みきった生活から一転して厳しい規律を求められる生活に順応できず、毎年脱走を試みる者が出るのだ、と一条から聞かされた。
ちなみに警察学校での生活が「厳しい」と言われる理由の中に、通信機能のついた携帯端末が自由に使えないということが挙げられる。これは情報漏洩の危険性があることからも容易に判断が付くが、スマホやSNSに慣れ切った人間は「手元に端末がない」ということ自体にストレスを感じる。
また電化製品の持ち込みがほとんど許されない。まともに持ち込めるのは電気シェーバーくらいのもので、ドライヤーですらNGとなるのだからテレビやゲームなどは当たり前のように持ち込めない。
要するに今までよりも「かなり不自由な生活」を強いられることになるということだ。そういう生活に馴染めない人間は、まずここで苦労する。
一次試験会場で一条と連絡先を交換した後、二人は何度も連絡を取り合あっており、時には一緒に遊びに行くこともあった。そうした時に警察学校を含めた「業界」の話を何度か聞いていたのが役に立っている。慣れない環境に身を置くときは、何よりも事前情報がありがたかった。
その一条と時間を合わせた世文は、午前中のうちに寮室に荷物を運び込んでいて、昼食は一条家と大門家で一緒に摂ることにしていた。初めて会う一条の父はいかにも警察官らしい厳めしい雰囲気を持っていたが、話してみると冗談を交えながら巧みな話術で会話を盛り上げる一面も持っていた。
一条の気質は社交的な母親から受け継いだものとばかり思っていたが、完全に父親からの遺伝のようだ。
入校に当たって何か助言はないかと聞いたところ「とにかく同期生の絆は一生物だから、勉強と同じくらい人付き合いを大切にしろ。」という言葉をもらった。
いわゆる「同じ釜の飯を食った間柄」というやつなんだろう。世文と同じ警察官Bでの採用は34名と発表されていた。警察官Aが22名、女性警察官は15名、一般職での採用は7名。この78名が同期ということになる。
午後2時になる頃には学校に戻り、家族を見送ってから寮へと向かった。4時からは講堂で寮生活のルールや明日からの予定について説明があるらしい。
さすがにこの時間になると引っ越し作業はほとんど終わっており、寮の前に並んでいた車や忙しそうに行き交う人々はもういない。各自寮室で荷解きをしたり、世文と一条のような友人との再会を楽しんでいるようだ。
「さて。これから2時間、どうするよ?」
「荷解きも終わったしな。ラウンジにでも行ってみるか?」
「お?早速同期生との絆を深めるってやつ?」
「まあその辺はおいおいとしても、情報収集を兼ねて歩き回るのもいいんじゃね?」
「なるほどね。」
これからしばらく世文の家となる男子寮は4階建てで、1フロアに個室が24室ある。このうち2階と3階が世文たち警察官Bのフロアとなり、1階が警察官Aの寮室、4階が一般職員の寮室となる。世文たちは「初任科生」と呼ばれるが、警察学校には職種転換のために現役バリバリの警察官も入校してくるらしい。
そのほか各階に「談話室」と呼ばれる20畳ほどの和室があったり、自動販売機が置かれた「ラウンジ」と呼ばれる喫茶スペースが設けられていた。
また4階に洗濯室と物乾場、1階には大きな浴場がある。世文と一条はそうした寮内の施設を見て回りながら時間を潰していた。
『16:00より講堂にて説明会を行います。入寮生は遅れずに集まって下さい。』
ラウンジでコーヒーでも飲もうかという話になった時、頭上のスピーカーからアナウンスが流れた。腕時計を確認すると15:42を指している。
「お、いつの間にかこんな時間か…。」
「これからは時計を見る機会が増えそうだ。」
「違いないな…。時間を気にしない生活とはおさらば、ってわけだ。」
二人ともジャケットを脱いだシャツ姿だったが、あらためてジャケットを羽織ると、首元のボタンを締め直してネクタイを整えた。寮室の入り口に備えてある縦長の姿見に映る自分の姿はまだ見慣れないものだった。
斜め向かいの寮室から出てきた一条にしてもそうだ。スーツを着ているというよりは「着せられている」という感じが強い。
「ネクタイ、曲がってないか?」
「そんなもんだろ。」
お互いに同じような感想を抱いたに違いない。二人でニヤリとしてから階段を降り、講堂のある本棟に続く渡り廊下に出た。
「あれ?アイツ今頃何やってんだ?」
講堂へと急ぐ人の群れで見落としていたが、一条の視線の先に一人で荷物を運び込んでいる女性の姿が見えた。髪型がショートに変わっていたのですぐには気が付かなかったが、販売会に一人で来ていた、あのやたらと攻撃的な物言いをする女性だった。
女子寮の玄関前に積まれた自身の荷物を一人で懸命に運んでいる。世文は再度腕時計を確認した。カシオのデジタル時計の表示が15:47に変わったところだった。
「手伝ってやろうぜ。一人じゃ間に合わないだろ。」
「マジで言ってんの?どうせまた睨まれるぜ?」
「ま、そん時はそん時で。ほら、行くぞ。」
一条はブツブツ言いながらも世文の後に続いた。女子寮から向かってくる人波に逆らって進む。タイミングは丁度良かった。女性が段ボールを抱えて玄関内に消えたところで荷物の前に着いた。有無を言わせる前に玄関まで運んでしまえば、まさか元に戻せとまでは言わないだろう。
それぞれが他より一回り大きな段ボールを持ち上げようとしたところで、異様な重さに気が付いた。
「あ!アイツ大きい方の段ボールに本入れたな!これ持ち上げたら底抜けるぜ?」
「仕方ない。二人で運ぶか。」
今度は呼吸を整え、二人で段ボールを持ち上げた。30kg以上あるに違いない。これは玄関に置いたところで一人では寮室までは運べないだろう。
「なあ、一つ言っておくけど、女子寮に入ったら俺たち一発退場だぜ?」
「知ってるよ。中庭に回るぞ。」
そこにあの女性が帰って来て鉢合わせになった。
「あ、アンタたち!何してんのよ!」
「いいから!中庭に面した畳の部屋の窓開けろ。俺たち女子寮には入れないんだ。」
女性はまだ何か言いたげだったが、状況は理解したようだった。寮内に取って返すと、二人が中庭に回った頃に談話室の掃き出し窓が開かれた。
「とりあえず全部ここに運び込む。アンタはここで受けてくれ。万が一の時にはきちんと説明してくれよ!」
そこから二人掛かりで残された段ボールや衣装ケース類を急いで運び込んだが、全てが終わる頃には渡り廊下はシンと静まり返っていた。時計は15:56になっていた。
「やば!窓閉めて、アンタも急いで講堂だ!」
二人ともダッシュで渡り廊下に戻り、本棟の入り口まで来たところで後ろを振り返ると、あの女性のほかにもう一人の女性も一緒に向かっているのが見えたが、その女性の足が壊滅的に遅い。まるで走り方を知らないようで、肘から上を体側に付けた『お嬢様走り』だった。
「おい!急げ!いきなり遅刻だぜ!」
たまりかねた一条が声を上げたが、それで女性の足が速くなるわけもなかった。結局4人が講堂に入った時は既に全員が着席しており、壇上の制服姿の男性を含めた全員の注目を浴びることになってしまった。
汗だくのまま気まずい雰囲気の中で空いている席に腰掛けたところに、壇上から追い打ちが掛けられた。
「出だしからこういうことでは困る。ここにいる全員が、もう給与をもらっている身だということをわきまえて行動して欲しい。警察力は即ち組織力だ。少しの足並みの乱れが後に大きなダメージとなることもある。」
そこからたっぷり30秒は壇上から睨まれていた。とにかく俯いて小さくなっているしかない。
地獄にいるような時間が過ぎ、ようやく気を取り直した男性が本題を切り出した。説明に先だって行われた自己紹介で、男性が今日の当直主任である菅野教官であることを知った。
渡された冊子とパワーポイントのスライドで、警察学校のルールや日課時限、明日からの予定などが説明された。
そして最後に、学生役員が発表される。
「警察官A課程総代、巡査・川村浩紀。同副総代、巡査・千坂悟。」
呼ばれた二人が勢いよく立ち上がり、大きな声で返事をした。
「警察官B課程総代、巡査・江藤康介。同副総代、巡査・大門世文。」
「は、はいっ!?」
思わぬところで名前を呼ばれ見様見真似で返事をしてみたが、自分でも驚くほどに上ずった声での返事が、ちょっとした笑いのさざ波を起こしてしまった。
最初に呼ばれた3人は最前列の右端に並んでいたのに、自分だけが最後列の左端で場違いに立っている。そこで気が付いたが、最前列の4人目の席が空席になっていた。本来なら自分はそこにいるはずだったのだろう。遅れてさえ来なければ。
世文は顔が熱くなるのを感じた。どこから見てもわかるくらい赤くなっているに違いない。
菅野教官の言葉を借りれば、これは出だしから困ったことになった、ということだ。それも極めつけの「スーパー困った」である。
「桜の大門」 ~18歳・春②~
了。
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