短編小説「パトロール」
「北当直から北21」
午前1時30分。
パトロールを終えて、エアコンの利いた交番まで戻ろうとした時に、無線が鳴った。
助手席の伊藤巡査部長が、無線のマイクを取って応答する。
「こちら北21。北当直、どうぞ」
「マルソウ情報。吉田川の堤防道路を、十数台の爆音バイクが走行中との情報。臨場願う。」
「・・・北21、了解。」
また、暴走族の情報だ。
盆の入りだと言うのに、少しは大人しくしてられないものなのか。
「なんだや、さっきの奴らだっちゃなぁ?」
「そうっすねぇ・・・。戻って来たンすかねぇ・・・。」
台数からして、恐らく1時間ほど前に管轄の外に追い払い、向こうの所轄に引き継いだ暴走族と思われた。
追い払った後も、幹線道路の交差点付近で赤灯を回したまま、30分ほど警戒待機をしていたのだが、もう大丈夫だろうと交番に戻りかけた、矢先の出来事だった。
伊藤部長が、本署の当直に了解報を伝える時に間があったのには、
『いずれどこかに行くのだから、相手にしなくてもいいのではないか』
と言う思いがあったのに違いない。
とは言え、それを口に出すわけにはいかない。
地域住民にとっては、安眠を妨げられる事態でもあるし、何もできなくても、「パトカーが来てくれた」と言う事実だけで、安心をする。
警察活動に何よりも重要なのが、「地域住民の理解と協力」だ。
それなくして、日本の治安維持はままならないのだ。
「・・・どれ、んでは高橋、戻ってみっか。」
「了解です・・・。」
ハザードを出して一旦路肩に寄り、周囲を確認してからUターンを開始する。伊藤部長が赤灯のスイッチを操作して、屋根の回転灯に再び赤い灯が点いた。霧に反射したその光が、ちょっと薄気味悪く辺りを照らし出す。
窓を開けて、音を確認してみるが、風切り音以外は聞こえてこない。
本当に暴走族が戻って来たのなら、コールを切る音が聞こえてもおかしくはないのだが、これも霧のせいなのだろうか。
通報のあった、吉田川の堤防道路は、その名の通り、吉田川の堤防上に作られた道路で、東側は河川敷を経て一級河川の吉田川が流れ、西側には水田が広がっており、東西の地面に比べると、道路だけが5mほど高くなっている。
つまり、ハンドル操作を誤れば、左右どちらにせよ、5mの斜面をパトカーが滑り落ちることになるわけだ。
今日は川霧が濃く発生していて、視程が低い。
運転はいつもよりも、さらに慎重に行わなければならない。
「慌てっこどねぇど? 気ィ付けてな。」
その思いを汲んだように、伊藤部長が声を掛けてきた。
去年の春からコンビを組んで、今では息もピッタリだ。
長年、生活安全課で薬物関連の取り締まりをしてきた伊藤部長だが、50歳を大きく超えての内勤勤務は厳しくなってきたようで、進んで外勤(交番勤務)に来たと言うウワサだった。
刑事もそうだが、内勤で身柄(担当容疑者)を持つと、どうしても土日の休みも返上で、タバコ休憩のためだけに、形だけの「取り調べ」をしなくてはならない。
検察送致が終わってしまえば、捜査は基本的に検察官が行うので、警察で取り調べをする必要はなくなるのだが、容疑者とは言え留置場で出される1食あたり180円の食事では、どうしたって満足できない。当然、脂っこい肉や、甘い物が食べたくなるし、日に一度、30分だけの「運動」と称するタバコ休憩だけでは、息も詰まる。
とは言え、刑事部屋にある「甘い物」と言えば、コーヒーに入れる砂糖とミルクくらいのものだから、「身柄」は、取り調べの時に砂糖とミルクをたっぷりと入れた、甘いミルクコーヒーを望むようになる。もちろん、タバコと共に。
薬物事犯の容疑者と言えば、再犯率も極めて高く、変な意味で「場慣れ」している人間が多いので、それだけでは満足しない。
そうした際に、タバコだけではなく、シュークリームや、有名な「かつ丼」を警察官自らが差し入れることになるのだが、これらは全て「自腹」である。一応、「捜査費」で請求もできるのだが、そのために書類を何枚も書き、最終的には署長の決裁まで仰がなくてはならず、そんな手間を掛けられる「ヒマな」警察官などいないのだ。
警察官の方にも、「旨味」はある。
容疑者と言えど、人間だ。自分のために金と時間を使ってくれる警察官には、心を開く。そうすると、「どこどこでシャブを扱ってる」「どこ組の誰々の家にチャカがある」などと言う情報を与えてくれる。
そうした情報は内定を進め、いずれ検挙することになるのだ。
もちろんそれは、情報を取った警察官の手柄となる。
警察では、こうした手法を「義理掛け」と言い、優秀な警察官であればあるほど、そうした捜査手法を好んで使う。何しろ「そっちの世界」の人間から直接もたらされる情報だから、確度は非常に高く、社会的に害悪となる人間と物を、一気に社会から排除することができるからだ。
それだけではない。
平日は月曜から金曜まで「日勤」として朝は8時半から働き始め、何もない時でさえ19時前に帰れることなどないのに、大きな事件が起これば帰れないことすら、そこそこある。
さらに、6日に一度は「当直勤務」がある。日勤が終われば制服に着替えてほとんど寝ないで夜の勤務に着き、翌日はそのまま「日勤」に突入することになる。
外勤警察官のような「非番」すら、ないのだ。
また、土日の休日で休んでいても、重大犯罪が発生すれば真夜中だろうと容赦なく出勤を求められる。
つまり、内勤警察官の多くは、「休めない」職種なのだ。
若いうちならば、有り余る体力に物を言わせることもできるだろうが、年を追うごとに、その負担が身体に重くのしかかって来ることになる。
退職後の5年間で突然死をする警察官が多いのも、うなずけるほどの激務なのだ。
そうならない警察官も、当然いる。
公務員と言うのは、仕事をしてもしなくても、給料はほとんど変わらない。
そうした警察官がサボっていた、と言いたい訳ではないが、現に自分の交番にも、日がな一日、交番でスポーツ新聞を読んでいるだけの警察官もいる。
一度、伊藤部長にその辺りの不満をぶつけたことがあった。
伊藤部長の答えは、どう返答したらいいか、困るようなものだった。
「なぁに、それはそれで、正解なんだ。人間としたら、むしろそっちが当たり前だ。俺なんか、見ろ。女房の死に目には会えねぇし、娘の結婚式にも、出られなかった・・・。警察官としては、なんぼか褒められっかも知れねぇけど、人間としては、ダメダメだぁ。」
「これまで警察のために家庭を顧みずにがんばったんだから、もういいだろう」と言うようにも聞こえたし、「お前もいずれ、道を選択することになるから、それが決まるまでは他人の仕事ぶりに構うな。」と言っているようにも聞こえた。
それ以降、伊藤部長からこの手の話を聞くことはなかったが、どうやら家庭生活においては、深い後悔があるようだった。
自分に「どうした方がいい」などと言う、アドバイス的なことはなかったが、警察官という仕事と家庭の両立については、舵取りが難しそうなことは理解ができた。
そうした伊藤部長との勤務は、毎日がとにかく勉強だった。警察学校を出て、実務経験のほとんどない自分に、警察官としての心構えから、具体的な捜査手法、驚くほど膨大な数に上る各種書類の書き方まで、自分の知識を惜しみなく披露してくれた。
おかげでわずか1年の間に、同期では断トツでトップの成績を上げ、昨年末には本部長賞誉までもらえたのだ。
捕まえた被疑者の数も、署内どころか県内でもベストテンに入るほどの成績で、引き継いだ内勤の刑事から、
「高橋くんさー、ちょっとは手加減してよ~! もう、当直が高橋くんの当番に当たると、毎回ドキドキだよ~!」
などと冗談を言われるほどだった。
そんなことを思い出しながら、霧の中を進んで行ったが、一向に暴走族が走っているような気配は感じられないまま、とうとう管轄の切り替わる橋のたもとまで来てしまった。
「あれ・・・いませんね? 誤報ですかね?」
「んー・・・わがんねなぁ・・・。」
二人でパトカーを降り、外で耳を澄ませてみたが、やはりそれらしい音は聞こえず、水田から聞こえるカエルの声と、河川敷から聞こえる虫の音だけが辺りに満ち満ちているばかりだ。
「北21から北当直」
「北当直です、どうぞ」
「北21、マルソウ情報で臨場するも、マルソウの気配なし。続報あれば送れ、どうぞ」
「・・・こちら、続報なし。どうぞ」
「・・・了解。それでは北21、現場で若干待機ののち、帰所とします。どうぞ。」
「北当直、了解」
助手席の窓から無線で通信してみたが、やはり続報はないと言う。広域系の無線でも、隣接管轄署の無線は聞こえてこないから、やはり、暴走族は鳴りを潜めたようだ。
「もしかして、この辺りの奴らだったのがなぁ?」
「可能性は、ありますね。今頃みんな布団の中かも知れませんよ?」
「まさがぁ! さっきの今で、もう寝でるってことはねぇべ!」
二人で笑いながら、伊藤部長がポケットからタバコを取り出すのを見て、自分もタバコを取り出した。
パトカーの中はもちろん禁煙だから、吸うわけにはいかない。昔は自由に吸えたそうだが、今では署内にも、取調室以外に灰皿は置かれていない。
まっとうな仕事をしている警察官がタバコを吸うと怒られるのに、全然まっとうでない被疑者にタバコを吸わせないと、「人権蹂躙」となるのだから、おかしな世の中になったものだ。
「高橋、戻ったら、何する?」
「交通課に注意報告、ですね?」
「んだ! お前も、わがっできたなぁ!」
交番の外勤警察官の業務の一つに、「注意報告」と言うのがある。
これは、交番勤務で知り得た情報を、管轄する課に引き継ぐための書類だ。
今回は、交通課に「暴走族がこの辺りで消えたようだ」という情報を上げることになる。交通課では、その報告を元に、捜査を開始するのだ。もっとも、毎日の事故処理だけで手いっぱいなのが現状で、そこまでの余裕はないだろうが、蓄積した情報が、いずれ役に立つ時が来る。
それから15分ほど、パトカーのライトを全て消して警戒待機を行ってみたが、暴走族が現れる気配はなかった。
パトカー備え付けのデジタル時計が、2:00の表示に切り替わった。
「・・・どれ、そろそろ、戻っか。」
「・・・はい。」
パトカーのライトを点け、来た道を引き返す。
堤防上の霧は、ますますその濃さを増していた。
30km/hほどでゆっくりと進んで行くと、ライトの先に、河川敷を見下ろすようにして佇んでいる男の姿があった。
「・・・なんでしょうね、こんな時間に?」
「んだなぁ、どれ、バン掛けしてみっか。」
「了解。」
「バン掛け」と言うのは、「職務質問」のことを指す。
こんな時間に、民家の密集する地域から離れたこの場所に、男が一人で佇んでいるのは、普通なら有り得ないことだ。
そういう小さな「謎」を解くのも、警察官の仕事となる。
もしかすると、近くの「機関場」から何かを盗もうとしている人間の可能性もあるし、酔っぱらって帰り道が分からなくなった可能性もある。
男の立っている場所を追い越すようにして、パトカーを止めた。
ドアは前に開くので、狭い道で降りるための場所を確保するために、あえてそうしたのだ。
男は、すぐ脇をパトカーが通ったのに、なんの反応も見せなかった。
一瞬、伊藤部長と顔を見合わせ、視線を絡める。お互いの目が、「何かがおかしい」と訴えていた。
二人で小さくうなずき、一斉にパトカーを降りた。
右手には、警棒の代わりにもなる「マグライト」を携えて。
「あ・・・れ・・・?」
ほんの数秒前に通り過ぎたはずの男が、忽然と姿を消していた。
二人で急いでマグライトを点け、河川敷と水田の両方を照らしてみたが、男の姿はなかった。
逃走したにしても、草を踏んだ音も聞こえなかったし、この暗闇にこんな短時間で照射範囲から外に出ることなど、できるはずもない。もちろん、一面見晴らしのいい草地で、隠れるような場所など、どこにもないのだ。
「どごさ行った?」
「わかりません・・・見逃すはずは・・・ないんですけどね・・・?」
もう一度、二人でより遠くまで照らしてみたが、結果は変わらなかった。
ふと、足元に目を落とした時、それに気が付いた。
「い、伊藤部長・・・これ・・・。」
「ぁん? どれ?」
そこには、丸い形の平石が置かれていて、石の前に、すっかり枯れた花束の残骸と、空の白いぐい吞みが一つ、転がっていた。
おそらく、ここで亡くなった方の、墓の代わりなのだろう。
「おっ・・・お・・・おぉ・・・!」
伊藤部長が珍しくうろたえ、足早にパトカーに戻ろうとした。
瞬間、自分も背筋にゾクッとしたモノを感じて、急いでパトカーに乗り込んだ。
シートベルトも締めずに、パトカーを発進させた。
助手席の伊藤部長が、迷わず赤灯を点け、サイレンまで鳴らした。
「いげ!・・・いげっ!」
あまりのことに、「慌てるな」はどこかにいってしまったようだった。
自然とアクセルを踏む足に、力が入る。
視線は、まっすぐ前だった。
しばらくは、絶対にミラーは見ない。
ようやく堤防道路を降りて、国道に出た。
街灯が煌々と輝き、車の往来もたくさんあるところまで来て、二人は大きく、息を吐いた。
「・・・今の・・・アレですか?・・・やっぱり?」
「・・・んだな。・・・アレだ。」
噂には聞いていた。
警察の仕事をしていると、「よく見る」らしい。
交番勤務でも、不審死の通報や水死体の通報など、死体を見る機会が多いだけに、そんな噂が流されているのだろう、と思っていたが、実際に「アレ」が出ると有名な交番では、毎年「供養祈祷料」が県費から支払われているところもあると言う。
警察の財政を握っている県が、「出る」と認めて、税金から祈祷料まで出しているのだから、なまじ「ただの噂」とも言えないのだ。
「お盆だがらなぁ。帰って来たのがなぁ?」
「あー、そうかも知れませんね・・・。」
国道に出る少し前に、サイレンも赤灯も消していた。
二人とも無言で、パトカーの窓を開け、それぞれがタバコに火を点けた。
ダメと言われても、今は吸わずにはいられない。
「他には、内緒だぞ?」
「はい。大丈夫です!」
そう言って、タバコを吸っていた伊藤部長の横顔は、えらく真面目に見えた。
早いもので、あれから10年の月日が経っていた。
毎年、お盆の時期になると、あの夜のパトロールを思い出す。
自分も、今は生活安全課の刑事となり、主に少年を更生させるための仕事をしている。
「・・・伊藤さん・・・あれから、10年ですよ。アッと言う間ですよね。まあ、伊藤さんとは畑が違うけど、俺も生安の刑事になりました。今は、伊藤さんより怖い上司の下で、また、勉強のやり直しっス。・・・少年相手ってのも、なかなか大変でしてねぇ・・・。」
冷たい墓石に語りかけながら、静かに手を合わせた。
伊藤部長は、定年から3年後の、63歳であの世へ旅立った。
お互いに転勤で部署は変わっていたが、交誼は続いていて、定年の時には二人で祝いの席まで囲んだのだ。
「俺も、これでようやくのんびりでぎっかなぁ! 孫も生まれだしなぁ! しばらぐは、思う存分、羽を伸ばすんだ!」
そう言って、豪快に笑っていた姿を思い出す。
やはり、伊藤部長も「警察に人生を捧げた」警察官の一人だった、ということだ。
定年後の3年間で、羽は十分に伸びたのだろうか。
「・・・俺は、どっちなんでしょうね? 伊藤さんと同じかなぁ、それとも、スポーツ新聞派かなぁ。」
伊藤部長は、答えてはくれなかった。
もう一度静かに手を合わせ、少し先の水くみ場でタバコを燻らしている女性に視線を移した。今の上司、河北警部補だ。
女性だが、かなりキレる。
「見えます? あれが今の上司の、河北さんっス。ちょっと、イイ女でしょ? 俺、あの人とならできるんじゃないかと思ってるんですよ、仕事と家庭の両立、ってやつ。おっかないですけどね。実は、すごく優しいんですよ。まあ、見ててくださいね・・・。じゃ、また来ます!」
そういって立ち上がり、戻りかけた時、河北警部補がタバコを携帯用の灰皿で消し、こちらに歩いてくるのが見えた。
「なんだ?・・・もう、いいのか?」
「あ、はい! すいません、無理言って!」
「なに、構わない・・・。仕事をしてると、墓参りもなかなか、な。」
「あ、河北さんもどっかあるなら、寄りましょうよ」
「いや、ウチの墓は、遠いんだ。・・・どれ、私も手を合わせさせてもらうかな・・・。」
「え・・・? いいんですか?」
「高橋が世話になった人なら、手を合わせないワケにはいかないだろ。それに、大先輩でも、あるしな・・・。」
「あ・・・マジで喜びますよ、伊藤さん。ありがとうございます!」
墓の前に額ずいた河北の後ろで、片目を瞑って見せた。
『ね、イイ女でしょ? 伊藤さんも、応援してて下さいね!』
その言葉に答えるかのように、どこからか現れた一頭の揚羽蝶が、墓石に止まり、羽を休めていた。
「パトロール」
了。
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