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おばあちゃん語

生まれも育ちも名古屋で、地元に帰って家族と話していると自然と名古屋弁が出る。東京で生活しているとあまり出ないが、帰省するとたちまち立派な名古屋弁使いとなる。

名古屋にいても家族以外の人と話す時は、方言は抑えめになった。昔からそうだった。無意識にそうなるのだと思っていたけれど、実はそうではないと最近気がついた。そうするようになったきっかけは、幼少期にある。

母方の祖母は、名古屋で生まれ育った。70を過ぎても元気にホテルの清掃の仕事を続けていて、さっぱりとした性格の人だった。わたしが7〜8歳になる頃に祖父が亡くなり、祖母はアパートで一人暮らしをするようになったのだが、その頃から様子が変わり始めた。最初は電話だった。身の回りの事について、わたしの母(つまり自分の娘)によく電話をするようになったのだ。祖父が死んで寂しいのだろうと初めは思っていたのだが、電話の頻度が徐々にエスカレートしていった。1回の電話で1時間以上、祖母はひたすら喋り続けた。多い時には1日に何回も電話がかかってくる。
「腰がいたていたて、しょうがないんだわ」
「救急車よばないかん」
祖母はいつもそう繰り返した。母は祖母の電話によって疲弊し、ノイローゼのようになっていった。一度、わたしと3つ上の兄の目の前で、限界になった母が、祖母に対し大声で怒鳴ったこともあった。わたしたちにはどうすることもできなかった。

その頃、わたしと兄の間で、ある遊びが流行った。それは、祖母の口マネをする事だった。「腰がいたていたて」「救急車よばないかん」おばあちゃんの様子を真似るのを、面白おかしく母に見せた。「やめてよ」と母は笑いながら言った。今思えば、つらそうな母に対して子どもなりに考えた行動だったのかもしれない。

祖母の話し方は、今の人があまり使わないような、訛りの強い名古屋弁だったのだが、当時はそう思わず、おばあちゃん独特の喋り方なのだと思っていた。私たち兄妹はゴリゴリの名古屋弁=「おばあちゃん語」を冗談で繰り返すうち、その言葉がすっかり板について、家で話す言葉がみんな「おばあちゃん語」になってしまった。しかし、外で話すには「おばあちゃん語」はなんとなく恥ずかしく、学校ではきれいな標準語を話すように努めた。それが大人になっても続いていて、今に至る。

帰省をして久しぶりに兄と話すと「おばあちゃん語」は息を吹き返す。わたしが20歳になる前に亡くなった祖母の言葉は、今も家の中だけでひっそりと話されている。

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