1986年生まれ39歳。僕は“普通じゃないルート”を通って、今ここにいる

はじめまして。
このnoteを書いている僕は、1986年生まれの39歳です。

妻と、6歳の長女がいます。
そして、2026年6月に長男が生まれる予定です。

職業は社会保険労務士。
今は仕事をしながら、
「この国をもう少しマシにしたい」と思い、政治の世界にも関心を持って動き始めています。

ただ、最初に言っておくと、
僕はいわゆる順風満帆な人生を歩いてきた人間ではありません。

むしろ、かなり遠回りして、転んで、失敗して、
それでも何とかここまで来た人間です。



小学生の頃の僕は、ファッションに興味がなかった

小学5年生くらいまでは、
服にも、オシャレにも、ほとんど興味がありませんでした。

ただ、なぜか
PUMAの服や、国旗がプリントされた服は好きだった記憶があります。

今思えば、
ブランドや意味を理解していたわけじゃない。
でも、カルチャーの匂いみたいなものに、無意識に惹かれていたんだと思います。



人生の転機は「スケートボード」だった

転機は、スケートボードでした。

めちゃくちゃ格好いいと思った。
理由はそれだけです。

そこから出会ったのが、
スケート雑誌 『Ollie(オーリー)』。

確か、創刊1周年くらいの頃だったと思います。
記念デッキの懸賞があって、「絶対に欲しい」と本気で思った。

その後、**『GET ON』**も読むようになり、
気づけば G-SHOCK にもどハマり。

ラバコレ、イルクジ、フロッグマン。
この単語で心が熱くなる人、きっと同世代には少なくないはずです。



中学1年生、古着と出会う

中学1年生のとき、
札幌・狸小路にあった**「スティング」**という古着屋に出会いました。

当時の店主に、
古着のことをたくさん教えてもらいました。

忘れられないのが、
40年代の両Vスウェットを30,000円で買ったとき。

嬉しかった。
でも同時に、
「こんな高い服を買って、親に怒られるんじゃないか」とも思った。

それでも、
アメリカ製の服、
ヴィンテージ、
カルチャーが詰まったモノが、心底好きになった。

Supremeも、ヴィンテージ古着も、
僕にとっては流行じゃなく、ライフスタイルです。

これは今でも変わりません。



「好き」か「安定」か。進路の分岐点

高校生の頃、
本当は服飾の専門学校に行きたかった。

でも、父親に反対されました。
父は、かなり厳しい人でした。

だから僕は考えました。

「本当に行きたい道に行けないなら、
公務員になって、家を出て、自由になろう」

そうして、公務員になりました。

でも——
正直、退屈でした。

安定はしている。
でも、心が全く動かない。



起業、そして廃業。借金だけが残った

結局、公務員を辞め、
アパレル会社を立ち上げて起業しました。

でも、結果は廃業。

経営の知識なんて、何もなかった。
あったのは、勢いと行動力だけ。

当然の結果だったと思います。

残ったのは、
借金と、底辺の生活。

本当に、何もかも失いました。



「国家資格」に賭けた理由

そんなとき、
友人に勧められたのが社会保険労務士という資格でした。

高卒の自分でも挑戦できる。
しかも、難易度は最高クラス。

「これに受かったら、人生を立て直せるかもしれない」

そう思って、受験を決意。

結果は——
6年、5回目の受験で合格。

・択一は毎年8割以上
・でも選択式で1点足りず足切り
・一度は、受験申込を忘れるという大失態もやらかした

だからこそ、
「努力しても報われない悔しさ」は、人一倍わかります。



今、そしてこれから

今の僕は、
社会保険労務士として働きながら、家族を支え、
そして政治にも関心を持って動いています。

高卒で、
起業に失敗して、
借金を背負っても、
自分を信じて諦めなければ、ここまで来られる。

それを証明したい。

そしてもう一つ。
どうしても書き残しておきたい話があります。

それが——
不妊治療と、たった1個の受精卵から始まった、息子の話です。



次回予告

「産み分けから始まった妊活。最初は“タイミング法”だった」

これから、
少しずつ、正直に書いていきます。



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