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私の光る君へ〜大河「光る君へ」44話・望月の夜・雑感〜見逃した方もどうぞ

1015年10月初旬?  内裏
 俊賢・公任の大納言二人、譲位を迫るが聞こえない帝。
10月16日  内裏
 帝は褆子内親王を、道長の嫡男頼通に降嫁させたい意思を伝える。
 道長が頼通には隆姫という嫡妻がいると申すが、帝は断念しない。
 在位延長策だが、(臣下として)道長は断れない。

土御門殿 (即…)道長と倫子は頼通を説得
「そのようなことを父上と母上が私にお命じになるなら、私は隆姫を連れて、都を出ます。藤原も、左大臣の嫡男であることも捨てて、二人きりで生きてまいります。」
(道長は、若き日、自分も藤原も地位も捨てて、まひろと生きよう、としたことを思い出し)見る月に雲。

~タイトル~
 
 困った道長、土御門殿に住む彰子に相談。傍らに式部。
 彰子は、かつての自ら同様、名ばかりの妻になりそうな褆子内親王に同情。
「帝も父上も、女子を道具のように娘をやったり取ったりされるが、女子の心をお考えになったことはあるのか❓」
「姸子とて父上の犠牲となって、今は酒に溺れる日々である」
 返す言葉のない道長は、式部にどう思うと訊く。【えっ~訊く❓】
「左大臣様のように、倫子様も明子様も等しく慈しまれるお方は、そうはおられぬと思います」
苛立つ彰子
「この婚儀は誰も幸せにせぬと、胸を張って断るがよい❣」
【彰子と式部の冷たい視線、呆然の道長…佑君の眼の演技=面白い】

内裏 藤壺 中宮姸子を訪ねる道長 禎子は三歳、あどけなく可愛い。
 父親の訪れだけで、不機嫌な姸子。
「父上の道具となって…私の慰めは贅沢と酒だけ」と言い放つ。
【帝への仲介を頼むつもりだった❓…大外れ】

 道長は、職務多忙でと、帝への返事を逃げる。
 帝は、道長を左大臣のまま、准摂政とする宣旨。
【政の実権を手放しても、位にしがみつく意思】

 道長は、頼通と褆子内親王の結婚話を壊すため、頼通には《伊周の》怨霊が憑いて病んでいると言う噂を、教通に流させる。
【後宮の女房達は頼通推し多❣伊周があわれ…】

内裏
 帝は、怨霊が憑いては娘はやれぬと諦め、万策尽きたとがっくり。
 そこへ実資が「奥の手」の助言。
 譲位には、次の東宮を敦明とするのが条件と。
 帝は、「そなたは唯一の忠臣だ」と、助言を喜ぶ。
年末 夜 帝、娍子の膝枕
 綺麗な月ですと言って、涙する娍子。
ナレーション
「帝は、敦明を東宮とすることで、譲位を承諾した。」
1016年1月29日三条帝退位
【前回から実資の政治家ぶり⤴⤴】

『御堂関白記』 長和5(1016)年2月7日
 天が晴れた。御即位式を行った。未一剋(午後一時)に、後一条天皇は礼服を着された。未二剋(一時半)に、大極殿の高御座にお就きになられた。…大后もまた、高御座に登壇された。
【NHK君しらべより~彰子の子、敦成親王は九歳で即位、道長は、幼帝の摂政となり、国の頂点に。】

春(?) 土御門殿
 倫子に支えられる母・穆子86歳。「道長様は大当たりだったわ」
 右大臣の子とはいえ、五男の道長を后妃相当の倫子の婿に推し、自らは皇太后の祖母、天皇の曾祖母、摂政の義母という、強運を担った。この年、7月逝去。

4月末 為時一家の団欒
 為時は、在家のまま、妻と息子の菩提を弔いながら、余生を過ごしたい、と言う。
 夜、父と並んで月を見、畏まり「長らくご苦労様でした」という、まひろの姿勢に感動。【為時嬉しかったね…】

内裏 
 顕光、実資の奏上を聞く後一条帝。後方に、ささやき外祖父=道長。
陣定の部屋
 顕光・公季・道綱、と道長。何か揉めている。
【道長は左大臣と摂政を兼務し、陣定を大事に考え、皆の意見を聞きたい。一方、公卿達は道長の権力の為、意見を言い合う、陣定本来の形が歪むと考えている。】

土御門殿
 公任は、内裏の平安の為、左大臣を辞するべきだと、友情で助言。
《珍しい道長心の声》
「何度も先帝に譲位を促したが、今度は俺が、お前が辞めろと言われる番なのか…」

年末 式部の局を訪れ、左大臣も辞し摂政も頼通に譲ると、話す道長。
 式部は、頼通に道長の《民への》思いは伝わっているかを問う。
 道長は、それは意味がないと言う。
「お前の物語、人の一生は虚しいと…俺はそう思って読んだが」
「道長様がこの物語を私にお書かせになったことで、皇太后様はご自分を見つけられた…」
 式部は、頼通様はいつか気づくかもしれないし、一人でなせなかったことも何代かでなせるやも…と。
 道長はお前だけはそれを願っていてくれ、と言う。
【道長を労る、式部だけ彼の傷心がわかる…三郎ならば…】

そこへ嫡妻倫子【状況だけで視聴者はドキドキ💛】
 二人で何の話と訊かれ「政の話だ」と答える道長。
「藤式部とは政の話をなさるのね」…「藤式部が男でしたら、あなたの片腕になりましたのに。残念でしたわ」と続く倫子の言葉。
 倫子は式部に、「殿の華やかな時の物語」を書いてほしいと依頼。考え込む式部。
【倫子は二人の関係をどこまで知っているのか…ドラマ最後の謎❓】

1016年12月7日 道長、左大臣を辞す
1017年3月16日 道長、摂政を辞し、従一位に叙爵
 頼通は後一条天皇の摂政に。内大臣兼務。
 左大臣は顕光、右大臣は公季。

高倉殿、家族の祝宴。倫子はいるが道長はいない。
 頼通は、妹の19歳の威子に、10歳の後一条天皇に入内してほしいと頼む。
 帝と一歳違いだからと、末妹・嬉子が申し出ると、お前にはお前の役が…って❣
 威子はこの年齢差を嫌がるが、翌年入内。
【威子は後一条帝に愛され、最初の妻どころかただ一人の妻となり、生まれた二人の内親王は二人とも次々と中宮に立つ…威子の為にはほっとするものの…藤原氏…】

1017年5月9日
 三条院は娍子と敦明に見守られ、崩御。
 娍子に「闇を共に歩んでくれてうれしかったぞ」の言葉。
【一瞬自分も娍子になったかのように、涙】

 
8月6日
 東宮敦明親王は、父を失い、他に頼もしい後見もないので、東宮を辞退。
【実資ここまで見抜いていた❓】
8月9日 彰子の第二子敦良親王が皇太弟に立つ。

1018年10月16日
彰子は太皇太后、姸子は皇太后、威子は中宮となる。
《一家三后、未曾有なり。~実資の日記『小右記』》
土御門邸 威子中宮祝いの宴
 道長、三人の娘に深々と平伏の礼。
 姸子「父上と兄上以外、めでたいと思っていない…」
 威子返事もしない。
 彰子「頼通がより良き政を行えるよう、祈っておる。」

実資、道長に戯れに請われ、頼通に杯を勧める。
 画面、杯は、頼通→教通→顕光→公季→道綱→斉信→公任→俊賢→行成→…と回る。

『小右記』のまま
 太閤(道長)が下官(実資)を招き呼んで言ったことには、「和歌を読もうと思う。必ず和すように」ということだ。答えて言ったことには、「どうして和し奉らないことがありましょうか」と。
《望月の歌・略》
 私(実資)が申して言ったことには、「御歌は優美です。酬答する方策もありません。満座は、ただこの御歌を誦すべきでしょう。元稹の菊の詩に、(白)居易は和すことなく、深く賞嘆して、終日、吟詠していました」と。

実資三唱。公卿達、唱和。
 酔って、嬉しそうに見えない道長の目線。式部に一直線❣
【望月の歌は、敦成親王五十日の儀の式部の歌、
めずらしき光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千代もめぐらめ」
の返歌かなぁ~

《道長の衣装・風俗考証~佐多芳彦さんコラム》
直衣布袴(のうしほうこ)」…特別な格好…公卿以上の人物が自邸で威儀を正す際…カジュアルにした最上級の格好。
 『源氏物語』の中でこの姿をしたのは、光源氏ただ一人…この写真はすばらしい…下襲の裾の長さを視聴者の皆さんにも感じていただくことができます…

紀行は『小右記』
 今回は、原作者ほぼ藤原実資。
 宴会に出ない実資が、望月会に出たのは、記録すべき会という判断。道長も《藤原氏本流、超知識人》実資を、自邸の場で猶更重んじている。
次回「はばたき」松下洪平❣


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