私の光る君へ〜大河「光る君へ」42話・川辺の誓い・雑感〜見逃した方もどうぞ
1012年正月 土御門から高松殿へ 道長は比叡山からの急報を伝える
母明子にとって第二子の顕信の出家、半狂乱で「あなたが殺した」と、道長にかみつき、すぐに気を失う。
枇杷殿
後継ぎ・頼通は、皇太后彰子に報告。五男教通は、蔵人の頭になれなかった悔しさはわかるが、現世を捨てるのはやり過ぎと、顕信に辛口。
聞いている式部も、驚愕の顔。そんな様子はなかったと、それ以上の言葉の出ない彰子に、頼通は父も傷ついていると思いやる。
【明子は醍醐帝の孫という高貴な出自で、政治的背景の為に、嫡妻倫子と差をつけられ、息子たちの出世も差をつけられている。『殺』という言葉は言い過ぎではない思いだろう】~タイトル~
高松殿
飛んできた顕信の叔父・源俊賢は呆然自失で横たわる妹明子に、顕信は出世争いから逃れ、心穏やかになったであろうと妹を慰める。
明子は兄に、身一つで寒い比叡山に上がった顕信に冬の衣をたくさん届けてくれと、頼む。
土御門邸では、道長も顕信に暖かそうな衣を、百舌彦に比叡山へ届けさせる。
【明子のみならず、俊賢も目が赤くて、二人の役への没入に感動。この時の両親の驚きと悲しみが蘇る思い】
1012年2月14日 内裏
三条帝、姸子を中宮に、彰子を皇太后宮にする宣命。
中宮大夫は、道綱。中宮権大夫は教通。
《これではすまない1カ月後のナレーション入り》
三条帝は、長年の妻・娍子を皇后としたい。中宮姸子と二后並立状態を作ることになる。
道長に向かって「一帝二后をやってのけたのだから、異存はあるまい。」
道長は、娍子の出身が低いと反対するが、三条帝は譲らない。
「左大臣がこれを呑まぬのなら、朕は二度と藤壺には渡らぬ。」と言う。
《3月7日 帝の意思通りに宣旨》
土御門邸
道長と四納言の対策会議。
娍子の立后の儀の日と、姸子の内裏参入の日をかぶせる、俊賢の案。
行成は何もそこまで…と言うが、この案で決まり、道長は俊賢に公卿たちに根回しを頼む。
4月27日 内裏
三条帝は、(姸子の内裏参入は夜)娍子の立后の儀を昼とする。
しかし、立后の儀に公卿たちが集まらない。
大納言・実資が現れ、新帝は本来大臣が務めるべき上卿の役目を依頼する。実資はやむを得ず儀式を行う。
実資と、この日皇后宮権大夫に任じられた隆家は、成り行きで、大変寂しい立后の儀の後の宴に、参加せざるを得なくなる。
【実資のこの時の「天に二日なし土に二主なし」の言葉は、彼を象徴する言葉として、有名でカッコイイ。】
同じ日 東三条殿
こちらに、公卿たちは集まり、中宮内裏参入前に賑やかな宴となっている。しかし、道長の表情は晴れやかではない。
【この頃もうすでに体調不良か?!糖尿病説もあり…】
《突然入る》幼女・ちふるをあやす実資。
養子・資平から、三条帝からの感謝の言葉を聞いても「私は私であって…うかれるな」と一喝。オウムも驚く。
【ドラマも史実を追うことが多くなり、時代の緊迫感が強い。ぶれない実資さんの癒しのBUBUBUBAA(笑)】
《5月23日 道長は顕信の受戒の為に比叡山に上っている》
その直後か 内裏
娍子の立后が成立後も、姸子の藤壺に渡らないことを三条帝に問う道長。
姸子は若い公卿たちと宴会ばかりしていて、行けないと返す帝。
帝のご寵愛があれば、姸子も変わると返す道長。
道長が騎馬で比叡山を上ろうとして、僧侶たちから石を投げられた話で、話の流れを変える帝。
夜 藤壺・姸子の宴会。弟頼宗がお酌。
【こりゃぁ帝来ないわ~】
枇杷殿 彰子に呼ばれた道長
姸子が藤壺で宴三昧であるという、悪評に彰子が胸を痛めていると聞かされ、式部に愚痴をこぼしに寄る。
一条帝と彰子との間には『源氏物語』。
三条帝と姸子の間にはなにもない。
なんとかできぬかと式部に相談する道長。
「物語は人の心を映しますが、人は物語のようにいきませぬ」
【お前との約束と道長は言うが、式部は姸子の苦しみも見えてるはず…】
道長が去った後に式部が書きつける、光源氏最後の和歌
もの思ふ過ぐる月日も知らぬ間に年も我が世も今日や尽きぬる
【紫の上の死後、光は出家を決意し文などを焼いている場面〜『幻』。
式部も、才能を評価してくれた一条帝ロスかも?!】
また枇杷殿
道長、式部の局を訪ねるが、式部は実家に下がっていて会えない。
式部の机上には『雲隠』とのみ。
式部の実家 賢子はお出かけ
この頃、双寿丸が夕飯を食べに来ると、こぼすいと。
何かあったらと案じる彼女に「それならそれでいいではないの~うふふ」と返す式部(笑)
【そうでした❣あなたは、源氏物語を書いた方…うふ❣】
けがをしてここまで来なくともと言う、いとに「あんたの飯がうまいから」という双寿丸。
【源氏物語も道長後半生も、こういう話を挟まないとどうにも⤴⤴ない】
5月末日辺り夜、道長が体調を崩す。
6月2日 内裏
道長は辞表を提出。
三条帝は、前例通り、すぐ返す。
密かに「返したくない」と言いながら。
6月8日 土御門邸 二度目の辞表提出【何でも三回‼から】
彰子は父を見舞う。
彰子は東宮立太子を巡り、父を苦しめ病ませたのではと悩み、母・倫子と祖母・穆子に語る。
穆子「皇太后様は信じた道をお行きなさいませ。父上とて、皇太后様を誇りに思っておいでですよ。」
彰子は、相談役の藤式部に出仕せよとの手紙。式部動く気配なし。
6月20日 内裏
道長の病を喜ぶ者がいるという、怪文書。
異母兄・大納言道綱、正論の人・大納言実資、甥で最後の中の関白家・中納言隆家、皇后宮大夫・参議懐平(実資兄)、皇后娍子弟・参議通任、そうかもしれない4人の名が列挙。
道綱は、身に覚えがないと土御門邸に赴くが、倫子に追い返される。
隆家と実資は、心外と思ったが、静観。
【「相府(道長)病 喜悦卿相5人 大納言道綱、予、隆家、懐平、通任」と書き残してくれた実資。結論、悩むことは無益。ご立派❣
放ってもおけない道綱兄の声に目を開ける道長の顔がいい~】
式部は枇杷殿に上がらず、筆も執らない。
賢子「物心ついた時から、母上はいつも私のことなぞほっぽらかして、何かを書いていたわ。書かない母上は、母上でないみたい。」
そう言われて、式部はこのまま出家しようか、と言う。
夏 宇治に移った道長 全然覇気がない。
百舌彦がまひろを訪ねてくる。
道長の体調がよくない、と言い、殿に生きる気力を与えられるのは、まひろ様だけ、どうか道長に会ってくれないかと言うのだ。
宇治の別荘 やつれた道長に驚くまひろ。
川辺を散歩する二人。
誰の事も信じられぬ、己の事も。
私との約束はお忘れくださいませ。
お前との約束を忘れれば、俺の命も終わる。
ならば、私も一緒に参ります。物語も終え、皇太后様も強くたくましくおなりになった。私の役目はありません。この川で二人流されてみません❓
お前は俺より先に死んではならぬ。死ぬな❣
ならば、道長様も生きて下さいませ。道長様が生きておられれば、私も生きていかれます。
声を出して泣く道長.。
京の家に戻り、藤式部、執筆再開。
光る君の死後の物語。
紀行は宇治
【私のぼんくら話。光る君の続編が、宇治十帖になったわけが分かった気が…。四十四帖は一条帝と彰子の為。十帖は自分の熱心な読者で、晩年熱心に仏道に励んだ道長の為。かも?!】
来週は、隆家が目を悪くして、大宰府へ…。
