「まぁいいか」のススメ | 悩みがちな人へ
責任感が強い人ほど、言えない言葉がある。
「まぁいいか」。
この言葉は、唱えてはいけない呪文みたいに、
なぜか、頑なに口にすることができない。
言おうとすると、喉の奥で引っかかる。
言わないじゃなくて、言えない。
もし仮に言ってしまったら。
何か大切なものが、
ガラガラと崩れ落ちる気がするし、
今まで大切に守ってきたことも、
パリンと割れてしまう気がする。
決して大げさな表現じゃない。
「まぁいいか」が言えない人にとって、
これはわりと真剣な問題だ。
だから今日も。言えない。
例えばお仕事をされている方は、
こんな日、経験ないだろうか?
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時刻はとっくに、定時を回っている。
頭の片隅ではもう帰ってもいいんじゃないか、
という声がかすかに聞こえている。
でも、「まぁいいか。今日は帰ろう」とはならない。
帰った方が楽なのはわかっている。
それでもキリのいい所までやってしまう。
そうして、深夜、やり切ってから帰る。
客観的に責任感が強く、頑張り屋さんだ。
でも消耗するし、気疲れする。
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「まぁいいか」。
この五文字はそれくらい重たい。
安易に口にできない言葉なのだ。
一方で、世の中には驚くほどあっさり
「まぁいいか」と言える人たちがいる。
何かミスをしても、ケロっとしている。
過去を引きずらない。切り替えが早い。
こっちは反省シーンを何度も再生しているのに、彼らはもう次の話、行動に移っている。
正直に言うと、本気で羨ましい。
つまり、
僕は完全に「まぁいいか」が言えない側の人間だ。
彼らは同じ出来事を経験しているはずなのに、
脳内での処理が、まるで違うように見える。
もちろん、彼らが雑なわけじゃない。
考えていないわけでも、
無責任なわけでもない。
ただ、切り替えが上手なだけなんだと思う。
過去を闇雲に掘り返しても、
そこはもう何も出てこない場所だと、
分かっている気がする。
だから、無駄にそこを掘り続けない。
僕からすると、
それは本能的にやっているように見える。
だから僕は、
「まぁいいか」が言える人たちを
意識的に観察するようになった。
反省に対してどこで線を引いているのか。
何を手放して、何は守っているのか。
会議で少し言い間違えたとか、噛んだとか。
正直、その程度では僕もへこまない。
でも、もう少し厄介な場面がある。
たとえば、
「自分なりに気合い入れて準備していた提案が、
思ったほど響かなかったとき」とか。
「ちゃんと考えて発言したつもりなのに、
場の空気が微妙に流れたとき」とか。
あるいはプライベートでも、
よかれと思ってかけた一言が、意図に反して受け取られたと後から気づく瞬間。
そういう“地味に引きずる失敗”のあとでも、
「まぁいいか」が言える人たちは、切り替えが早いんだろうなぁと思う。
翌日には、同じテンションで仕事をしているだろう。変に引きずってもなさそうだし、必要以上に自分を責めてもいないだろう。
もちろん、何も考えていないわけじゃないはずだ。
ただ、全部が全部を反省材料にしない。
ミスを自分の人格と結びつけない。
その辺りの感情の線引き方が、絶妙に上手い。
僕はその姿を見ていて、仮説をもった。
「まぁいいか」は、
思考停止じゃなくて、思考を整理し、
自分を俯瞰するための言葉なんじゃないか、
と思うようになった。
ここでお伝えしておきたいのはこのnoteは、
「まぁいいかが言えない自分はダメだ」、
という話では決してない。むしろ逆だ。
言えない自分を責める必要はない。
「まぁいいか」が言える人たちの考え方を、
ちょっと、拝借してみようとする試みだ。
練習、というタイトルには銘打ったが、
それほど大げさなものでもないと思う。
次の一手が浮かばない反省は、多分掘りすぎ。
何も出てこなそうなら、
「まぁいいか」を使う場所なのかもしれない、
と一歩引いて眺めてみる。
もちろん、これが簡単にできたら苦労しない。
僕は、現在進行形で練習中だ。
それでも、「まぁいいか」は
雑に投げる言葉じゃなくて、
自分のパフォーマンスを安定させるための、
区切り線みたいなものだと、
少しは思えるようになった。
この結論で本当にいいのかは正直わからない。
ただ、こんな感じで終わってみることも、
「まぁいいか」の練習だと思っている。
「まぁいいか」が言えない皆さん。
明日は、少しだけ力を抜いてみませんか。
このnoteに少しでも引っかかるものがあれば、 “スキ”で応援していただけると嬉しいです。
読んでくださって、ありがとうございました。
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