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後だしライナーノーツ#2 Nala Sinephro 『Endlessness』- "終わりのなさ"とは何か?

*音楽評論家・柴崎祐二氏の講座「音楽批評塾」の課題提出のため2026年2月に加筆・修正を加えました

「終わりのない世界」という邦題がついた本作は「Continuum (連続体)」と名付けられた10 の断片から成る組曲形式のアルバムだ。それらは文字通り、曲間も途切れることなく流れ込み、まるでひとつの巨大な呼吸のように持続して成立している。

ベルギー・ブリュッセル郊外でカリブ地域(西インド諸島マルティニーク)にルーツを持つ家庭に生まれたナラ・シネフロは、地元アートスクールのジャズ科を卒業後に渡米。名門・バークリーに進んだものの、どちらかといえば副業としていたライブPA 業を通じて実践的な音響に関する知見を得たようだ。成績偏重主義に辟易したシネフロは一年余りで同校をドロップアウトし、ロンドンに移住。別のジャズ・カレッジに入学したものの、こちらもドロップアウト。のちに本人がこのカレッジについて「大きな学校なのに、有色人種の学生が10 人しかいなかった」と語っていることが示唆するように、彼女の歩みには、音楽教育や業界が内包する体系化主義、成績至上主義、そして排他主義への違和が通底している。

↑NTSでNala Sinephroが公開中のプレイリスト


以降サウス・ロンドンを拠点に活動を続けるシネフロは、ヌバイア・ガルシアをはじめとする多士済々の面々を共演に迎えて"Endlessness" を制作した。よって本作にジャズを垣間見る瞬間はいくつもあるが、それは過剰な「厳格さ」を決して纏うことなく、ジャズ~エレクトロ~非西洋を軽やかに往来する。前作"Space 1.8"と比較しても、モダン・ジャズ的な和声アプローチはさらに減少し、アンビエント/スピリチュアル・ジャズの側面を更にブラッシュアップしているが、それは音響上の選択でもありながら、体系化された形式からの逸脱を志向する彼女の態度そのものの表れでもあるのかもしれない。

各曲の展開は、シンセサイザーのフィルター開閉や更に顕著となった音のレイヤリングといった、ともすれば"非ジャズ的"音響アプローチによって拡大・収縮していく。また、前作に比べればドラム・セクションによってテンポがリードされる割合が少なくなり、代わりにアルペジエーターのテンポ・チェンジをトリガーとするか、あるいはリズムそのものが抜け落ちる展開が耳を引く。ドラムキットの強大な存在感から解放されたことでサウンドの自由度は更に向上し、サックス、ハープ、シンセサイザーなどによるオープンなアンサンブルが全体の浮遊感を際立たせる。一方、瞑想的な音響の要所で用いられるペンタトニックスケールは西洋近代の外部を思わせるディアスポラ的な響きをもたらしている。静謐な都市空間の真ん中で野生動物の群れに遭遇したかのようなこの感覚は、クロスオーバーというよりはむしろ境界の溶解である。


本作についてのとあるレビュー記事で、「まるで映画を見たかのよう」という表現で賞賛されているのを目にした。確かに、アルバム全体を通した繋ぎの妙や、音の洪水がもたらす陶酔的な世界観と展開の起伏に吸い込まれ、否応なしに没入させられていく感覚は、映画鑑賞の恍惚に近しいものがあるかもしれない。

一方で、クライマックスに据えられた"Continuum 10"を聴き終えたあとでもなお、エンドロールを見ながら味わうなんとも言えない哀しさや、時間切れの合図のような場内照明によって現実に引き戻される唐突さを想起することはない。それどころか、一通り聴き終えたあとの長い時間、それは頭の中でドローンのように唸り続ける。「現実世界」との縫い目を見せず、身体の中でシームレスに営みが続けられているかのような奇妙な感覚—それは映画的な「物語の完結」を客観的に目撃したというよりは、終わりのない「循環」の一部としての自らの肉体と、それを取り巻く世界を再知覚する体験に他ならない。"Endlessness"は、そんな稀有なリスニング体験をも齎す作品だ。

"Continuum 10"が終わり、また"Continuum 1"に戻りながら、「終わりのなさ」について考える。終わってほしいことは何一つ終わらないまま、始まってほしくないことが始まっていく。全ての出来事も、そこに生きる我々自身も、際限なく繰り返される循環の中の、ほんの一瞬を通り過ぎる存在に過ぎない。それでも、少なくともこのドローンが鳴り響く間、我々はそこに立ち会わざるをえず、そしてその只中にいる限りは、傍観者として立ち尽くすこともできない。シネフロが作り上げたこの自由な響きの傑作は、少しずつ自由を失っていくこの世界で際立って美しい。そう思わせるのは、諦念に支配された破滅的美学などではなく、連続する世界の中で私たちが確かに振動していることを思い出させてくれるからなのではないか。


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