博士3年間で一番「怒った」のは研究のことじゃなかった
2ヶ月半前に、博士を修了して就職した。
博士までの研究は全く関係のない分野のベンチャー企業で、しかも研究職ではない。
環境の違いに、すでにたくさんの摩擦を感じつつ、
楽しく思うことも、ちょっと退屈に思うことも、多い。
先日、滅多に会うことのない、営業事業部の方が笑って言っていた。
「いやー、内心『ぶん殴ろうか』と思いながらニコニコしてることだってしょっちゅうですよ」
わたしはそれを聞いて、怒れるっていいな、と思った。
何かに対して、怒りが湧くって、自分が信じているものに反することがあった時だと思うから。
仕事のことに、それだけ真剣な証拠なんじゃないかと思った。
正直わたしはまだ仕事に対して全然そんな気持ちが湧いていなくて、
でもじゃあ研究はどうだったかと考えてみても、
学会でも査読でも、
研究に関することで怒ったり腹が立ったりした記憶が、ほとんどない。
わたしは普段、仕事でもプライベートでも、
誤解させてしまったり否定されたり責められたりしても、
「そう見えるのか〜」「そういう考え方もあるのか〜」と受け止めてしまうことが多い。
だけど、博士の3年間の中で無性に腹が立ったというか、
それのためなら「戦う」という気持ちになったことが、一度だけあった。
その話をする。(長いです)
博士の2年目が終わる頃のこと。
博士の学生の海外渡航支援のための経費があまりそうでまずいということで(そんなの学生に知られてよかったのか)、海外渡航の計画を追加で受け付けますという募集があった。
わたしも事務員の方で時々お話をする方から勧められ、
ドイツの、ある研究所にいる知人を訪ねて交流する計画を出した。
予算が認められて、視察と称して行くことになったのですが。
せっかく行くなら。
と思って、人生で一度は行ってみたいと思っていた、アウシュヴィツ強制収容所についでに行けないかとちょっと思った。
そのことを軽く、申請の情報をくれた事務員さんに確認をすると、
同様の相談が予算を獲得した学生たちから押し寄せていたようで、
かなり厳しく(慌てた様子で?)、
国のお金であって、用務以外の用途で使われることは認められない、ということを延々と説明されました。笑
わたしはずっと、
往復の航空費はその用務が発生した時点で必要になるものだし、
用務に直接必要がある以外の宿泊費や交通費は自費で出すのなら、
往路と復路の航空券の日付が、用務予定日を含んで長くなることが、そんなに許されないものなのかすごく不思議でたまらなくて。
大学とか企業とか、組織のお金を使う上で、
「本当に予算を使う必要がある用務ですか?」「予算額は妥当ですか?」「その用務を実際にきちんとこなしましたか?」
を確認することは必要だと思うけど
「その用務以外のことはしていませんか?」
を制限するのはおかしいと感じたんです。
まぁ、個人の意識としては用務のついでに乗せた私用だったとしても、
スケジュールで見たら半分用務・半分私用のために往復交通費が予算から出るのはおかしいってことなんですかね。
別にいいと思うけどな…。だって用務か私用かどっちが先か判別できない、とか言ったとしても、どっちでもいいじゃん、用務は確実にあるなら。笑
ここは単に、国の予算とか、経理事務とかに関する知識や認識が薄いが故に理解できないのかもしれないんですけど。笑
という解せなさは置いておいて。
だけど、アウシュヴィツに行きたいのは。
個人的かもしれないけど、
学生として、これ単体でも予算が出ていいくらいの位置付けのものでは?なんてちょっと思いもして。
だって、アウシュヴィツに行くことの目的やら意義やらに疑いをもつ教育者が、いるだろうか?
そんなに、事務側の、書面上の潔白さが大事か?
そんなに、学生や教員が、信用されていないのか?
信用できない人間を学生として迎え入れ教育し、教員として教壇に立たせているのか?
大学は、学生の「大学が認めた」「申請した研究テーマに関連のある」活動にしか、お金を出さないのか?
「研究に関連のあること」と「人としての見聞を豊かにすること」は、区別されるのか?
研究と教育を、大学は分けられるのか?
もしこの機会を予算の枠組みが云々とかで認めてもらえないなら、
大学によって、学習の機会を制限されたと受け取りますが?
っていうくらいのところまで、
なんかものすごく強い反発心が湧いたんです。笑
まさに、「怒り」と呼べる感情が!!笑
それで結局どうしたかというと、
事務の方に計画を変更したいと申し出て、
アウシュヴィツへの訪問も「用務」として申請し直したんです。笑
研究者倫理だの、研究内容と無理矢理絡めた情報収集だのと、意義を書いて。
予算上限はすでに決まっていたから、変更に伴い新たに生じる交通費および宿泊費は自費で支出する、と。
事務の人たちはちょっと言葉を失っていたけど、
教授たちの会議はあっさり通ったようでした。
そして晴れて、わたしはドイツでの研究所視察の後、
ポーランドへと鉄道で移動し(アウシュヴィツはドイツじゃないって初めて知った)、
予定通り収容所を見学して、帰国しました。
今になって振り返ると。
わたしはあの時、何にそんなに怒っていたんでしょう?
自分の研究を
「楽そうでいいですね」
「全然役に立たなさそうですね」
と言われても
「そうなのかも〜」と、流せてしまうようなわたしが。
今になってあの時の自分の感情の強さを思い出すと。
研究よりもよっぽど、そこには「熱意」を持てる何かがあったんじゃないかって。
あるいは信念とか、そういう類のもの。
曲げたくない、譲れない、実現するまでやってやる、って、思えるようなもの?
それはもしかしたら、
仕事をなんだか自分ごとに思えていない今のわたしが、
まさに見返すべきものかもしれない。
研究に対して熱意がなかったかどうかは、なんとも言えない。
だけど、好きとか心地いいとかだけじゃなく、
怒りのような感情にこそ、真の価値観が映るかもしれない、と思った話でした。
心底から、エネルギーが生まれる貴重な瞬間に、わたしには思えるのでした。
