うまい棒が主食!「センスないから辞めたら?」と言われてもへこたれずどん底から人気美容師になるまで
パンク少年、パリジャンな美容室に突入!
ヘルメット姿で面接を受けて奇跡的に採用されてから数ヶ月。フレンチの雰囲気漂うオシャレサロン「PRS」に入店した僕は、すでに妄想が膨らみまくっていました。
「よーし!これから俺はカリスマ美容師への道をひた走るぞ!」
「雑誌の表紙も飾って!」
「テレビにも出て!」
「芸能人の髪も切って!」
…な~んて妄想が破れるのに3日しかかかりませんでした。
現実は厳しい! 妄想バブルが弾けるスピードは光より速い!
「横内くん、シャンプー室の排水溝、また髪の毛残ってるよ」
「すみません!今すぐ掃除します!」
そう、華麗なるカリスマ美容師への第一歩は「排水溝の掃除」からでした。これ、美容雑誌には載ってなかったんですけど……。
ちなみに、PRSという店の名は、空港の行き先表示にちなんだものです。パリはPRS。つまり、「超パリっぽい美容室」ってことです。そんなハイソな美容室に、ド田舎パンク少年の僕がやってきたわけです。それはもう、筑波山のイノシシが突然銀座のデパートに入ってきたような違和感だったでしょうね。
「横内くん、電話は出なくていいから」
「え?なんでですか?」
「あなた、ナマってるの自分で分かってる?」
ガーーーン!そうなんです。僕、茨城弁が抜けなくて、「二か国語を話せる」と先輩に言われる始末。 いや、それ方言ですから! 外国語じゃないから!
茨城が海外扱いされる悲劇。茨城のみなさん、ごめんなさい。

勘違い極まる買い出し係
ところで、当時の美容師見習いの最重要任務、なにか分かりますか? それは「先輩たちのお弁当の買い出し」です。美容界最高機密任務、コードネーム「おひるごはん」。
簡単だと思うでしょ? でもその注文がエグいんです。
「2リットルの水を5本買ってこい」
「牛皿弁当は松屋で、おにぎりはセブンで買ってこい」
「これが売り切れてたら、別のやつ買ってくるなよ! 絶対これ!」
「絶対1時間以内に戻れよ!」
心の中で『いや、1時間は無理だろ!』と思ってましたが、0.3秒で『はい!』と返してました。
原宿の人ごみをかき分け、重い荷物を抱えて走り回る。今思えばこれ、ただのパワハラ? いや、「マッスル美容師特殊養成訓練」だったのかも。東京マラソンよりもハード、原宿障害物競走です。
ちなみに一番の名誉ある任務は、フランス人オーナーのルネさんからの「バゲット買ってきて」という指令。
この瞬間だけは、自分がめちゃくちゃおしゃれに思えました。田舎から出てきた僕が、原宿でバゲットを抱えて歩く。「もう立派な都会人じゃん!」って、勘違いが極まってました。
今は無き竹下通りの出口付近、明治通り沿いのパレフランスにあったオープンカフェ「AUX BACCHANALES』(オーバカナル) でバゲットを買う。なんか、めっちゃオシャレな気分になれたなー。
懐かしいなー。
(このPRS時代に出会った同期のトモ君とは同じ経営者として今も定期的に会う仲前!)
「これ、フリッパーズギターの曲の中の一場面じゃね?」
な~んて。まるでパリジャンになった気分でした。
ボンジュール、メルシー、ジュテーム、バゲット~!(知ってるフランス語全部)
ヘアショーで号泣事件
入社して数ヶ月後、PRSと他有名サロン合同のヘアショーがZepp Tokyoで開催されることになりました。美容師の最も華やかな舞台、それが「ヘアショー」です。 僕も毎日夜遅くまで準備を手伝いました。モデルさんのカラーやセットの手伝い、会場設営…。
もう何でもやります! やらせてください! 「トイレ掃除でもやります!」と言いそうなくらい熱意マックスでした。
ところが、本番前日のミーティング。 「Aさんはステージ左で…」 「Bくんはバックステージで…」同期や先輩たちが次々と役割を与えられていく中、僕はある上司から「尚樹は明日休みだから来なくていい」といわれてしまいます。
はい?!!どして??
この瞬間、頭の中が真っ白になりました。「ハァ…?」って声が出たかもしれません。脳内で「エラー404:処理不能」というメッセージが点滅。 「いや、僕も行きますよ!」と食い下がったけど、「大丈夫、大丈夫」と軽く流された。
その日店の前の階段で、ひとり泣きました。青春ドラマの主人公かよ!って感じ。
雨も降ってきたら完璧だったのに。「月9ドラマ『美容師物語〜涙の下積み編〜』」第3話みたいな展開です。
でも翌朝、男性の先輩Kさんから電話が。
「尚樹、今からお店に来い」 って。行ってみたら、Kさんが古いフィルムカメラを渡してくれました。
「お前、俺を撮れ。俺がカットしてるとこをバシバシ撮れ」
「でも、撮り方わからないです」
「いいから、これでジージーってやれば写るから」
これは後から別の先輩に聞いた話ですが、僕が外されたあと、Kさんが上司に「なんで尚樹を外すんだ」って食ってかかってくれたんだとか。 そう聞いて、またしても原宿の街中で涙。今度は嬉しい涙でした。
原宿の街中、とんちゃん通りで2回も泣くとか、もはや観光スポット。「ここが有名な『美容師の涙スポット』です」とガイドされるレベルですよね。
あ、もちろん、当日はKさんの写真を撮りまくりました!レンズが壊れるんじゃないかってくらいシャッターを押しまくりました!
うまい棒フルコースで贅沢生活!?
そうそう、お金の問題も深刻でした。当時、美容師アシスタントの給料は手取り12〜13万円。東京で一人暮らしするには「足りなさすぎる」金額です。
そんな生活の救世主は、コンビニの105円コーナーにある「うまい棒」! うまい棒10本を105円で買って、昼に5本、夜に5本食べるという貧乏飯生活。これぞ「うまい棒フルコース」!
え?「朝は?」って?
朝は食べません!(キリッ)。
美容師って「ダイエット」が自然とできる職業なんです(違。

家賃も払えなくなると、「住所不定・有職」という珍しい状態になりました。言い換えると、「彼女の家を転々と渡り歩く」生活。彼女が変わるたびに、都内各所を転々としました。「恋愛引っ越しサービス」です。
「破局が見えたら次の彼女を探さなきゃ、ホームレスになる」と必死で年上の女性に「僕、家事も洗濯も何でもします」ってアピールしてました。最低なヤツでごめんなさい。とにかく必死だったんです。
「センスないから辞めたら?」の一言が
数年後、そんな東京での修行を終え、地元・茨城に戻ってきました。 「よし、東京で学んだ最先端のカットを茨城に持ち帰るぞ!」
……と意気込んだものの、なぜか全然売上が上がらない。月20〜30万の売上でずっと低迷していました。
ある日、こんなことを先輩から言われました。
「お前、センスないから辞めたら?」
ガーン!!!心に響く重い言葉です。
隕石が落ちてきた気分。なぜダメだったのか?
実は…自分に自信がなかったんです。 それをごまかすために、カットしながら必死で話そうとするから、メンズのカットに1時間半もかけてしまう始末。(今なら30分あれば終わるのに!)
手を動かすより口でなんとかしようとしてた。デビュー後すぐのスタイリストあるあるです。
そして、この時期が一番どん底でした。
コンビニの求人誌を見て、「トラックドライバー、月30万円…」なんて文字を見ていたら、自然に涙があふれてきました。
「美容師なんて向いてねぇよ。でも辞めたくねぇよ……」
「美容師失格」というタイトルのドキュメンタリーが作れるレベルでどん底でした。
そんな僕を救ってくれたのは、意外にも「苦手な先輩」でした。ある日、僕が担当した女性客を次はその先輩が担当して、指名になったのです。
「なぁ、尚樹。なんであの客が俺の指名になったと思う?」
「……上手だからですか?」
「違う。お前さ、あの客が『前髪切りたくない』って言ったのに切っただろ?」
「だって、そっちの方が絶対かわいいと思ったんですよ」
「そこだよ!なんで人の話を聞かないの?まず相手の話をちゃんと聞いた上で、やりたくないことはやらないんだよ。関係性ができてから提案すりゃいいじゃん」
この一言で雷に打たれたような衝撃を受けました。
ヘアドライヤーで感電したかのような衝撃。 カットの上手さ、センス、技術…それ以前に、「相手の話を聞く」という当たり前のことができていなかったんです。
技術よりも大事なこと。それは、「相手の話をしっかり聞くこと」。
「うわー、美容師って深い」とか思わないでくださいね。これ、接客業の基本です。「接客の基本中の基本の超基本」と言っても過言ではない。
美容学校の最初の授業で教わるレベルなんですけど、僕は技術ばっかり気にして「聞く」ことを忘れていました。 皮肉なことに、カットより、「カットの前のカウンセリング」が大事だったんです。これぞ、僕にとっての「コロンブスの卵」でした。
死ぬ気で月150万売上に挑戦
「30歳までに月150万売り上げられなかったら、スパッと美容師をやめよう」 そこからはそんな決意をして、死に物狂いで頑張りました。
休みの日は全部ウィッグとモデルでカット練習。 お金の続く限り講習会に参加。 雑誌のカットを研究。先輩のテクニックを盗む。
「どん底から這い上がるしかない」という気持ちでした。それはもう「美容師版ロッキー」状態。パッパラパッパラパッパララ〜♪ってBGMが流れてきそう。
その結果、28歳前に月160万円の売上を達成! 30歳前には200万円も視野に入るようになったのです。

朝の駐車場で“クセの強いオーナー”を占う
ところが、新たな試練がやってきます。 それが「史上最恐のオーナー』との遭遇です。「美容師界のラスボス」が現れたのです!
あまりにも厳しかったので毎朝、駐車場に車を止めるオーナーの姿を見て、スタッフみんながその日の機嫌を占う……なんて日々。
「あっ、今日はバッグの持ち方がキツそうだ…機嫌悪い最悪のパターンだ」
「あっ、今日は歩き方がちょっと軽いぞ!ご機嫌!!これは昨日良い事あったかな笑』
僕もすぐに「朝のオーナーご機嫌占い」ができるようになりました。
でも、そんな環境でも6年間働きました。なぜそんなに長く? それは、お客さんがとても多かったから。つくばで一番のサロンと言われていたんです。数多くのお客様をカットさせてもらえることは、大きな喜びでした。だから、「自分がリーダーになったら、もっと色々な事を見直して思いややり方を変えてより良くしたい!』そう考えてサロンワークをしていました。
しかし、30歳で子供が生まれ、31歳で家を買った時、思わぬトラブルが起こります。
オーナーから「お前が独立するって本当か?」と電話が……。電話越しに怒りの炎が感じられました。
「え? 全然そんな予定ないですよ。家も買ったばかりだし」
全くの誤解だったのですが、これをきっかけに「もう独立するしかない」と決意することになったのです。
でも今となれば、「僕がもっと心を開いて素直になり、オーナーに歩みよっていたら、また違う結果になったのかな?」とも思います。
6年ちょっとお世話になり、その間かけがえのない経験をさせていただききました。あの厳しい環境だったからこそ、人としても美容師としても成長できました。あの頃の経験は今に生きています。
(そしてこの店長時代に出会い、歯を食いしばって頑張ってきた仲間達(飯村、清水、星、古内、中山、山田、福田) Y&Co.の仲間として今も一緒に頑張っています。)

自分も社長の立場になったからこそ、あの当時のオーナーの葛藤や苦悩を今やっと理解出来ました。直接恩返しが出来るわけではないですが、これからもクルーとお客様、関係各社の皆様にとってより良い会社にしていきます。
振り返ってみれば、美容の技術だけじゃなく、人としての大切なことを学んだ修行時代でした。それらを身に着けたからこそ、どん底からでも月200万売り上げるスタイリストになれたのです。
美容師として成功するコツ?
それはシンプルに「人の話をちゃんと聞く」こと。
いや、これマジなんです。ノーベル美容師賞があったらこの言葉で受賞できるレベル。

本当に色々と経験させて頂いた。
ということで、次回はいよいよ一世一代、人生をかけた独立に向けて話は進みます。お楽しみに!
編集協力/コルクラボギルド(文・笹間聖子、編集・頼母木俊輔、イラスト・いずいず)
