新宿「暮らしの保健室」:ケアが生まれる「場」のデザインとその力

先日、念願だった新宿区戸山ハイツにある「暮らしの保健室」を訪問させていただく機会に恵まれました。ここは、日本で最初に「暮らしの保健室」が作られた、いわば聖地とも言える場所です。
訪問に至るまでの想い
今から遡ること2年前、私は「街に出て、そこに住まう方々の生の声に耳を傾けたい。ケアする側、される側という垣根なく、誰もが自然体でいられるような空間を創りたい」という強い想いに駆られていました。
人と人との境界がふわりと解け、自然と語り合いが促されるようなコミュニケーションのデザイン、そして「場」のデザインとは、一体どのようなものなのだろうか。
そんな探求心の中で出会ったのが、暮らしの保健室の創設者である秋山正子さんの書籍でした。その理念と実践に深く感銘を受け、私自身も故郷である函館で、手探りながら「はこだて暮らしの保健室」の活動をスタートさせました。いつか本家である新宿の地を訪れたいと願い続けていたため、今回の見学は望外の喜びでした。

写真では伝わらない、空間の息づかい
実際に足を踏み入れた「暮らしの保健室」は、写真で見ていた印象とは全く異なり、訪れる人を優しく包み込むような、実に居心地の良い空間でした。
そこには、あらゆる部分に計算され尽くした、しかしそれを感じさせない細やかな工夫が凝らされていました。
温かみのある畳の空間
圧迫感を与えない天井の高さ
柔らかく空間を照らす間接照明
人の気配を程よく感じさせるドアの開閉の仕方
視線を緩やかに遮り、安心感を生む間仕切りの角度
心を落ち着かせる、穏やかな陽の光の入り方
一つひとつが、そこにいる人の心を解きほぐすためにデザインされているのだと、肌で感じることができました。

「暮らしの保健室」誕生の背景と、マギーズとの出会い
見学の中で、秋山さんから開設当初のお話や、その背景にある社会的な課題についても伺うことができました。
訪問看護という概念がまだ社会に十分に浸透していなかった時代に、秋山さんたちはその活動を開始されました。その後、がん治療の進歩やDPC(包括医療費支払い制度)の導入といった医療制度の大きな変化が起こります。その結果、患者さんは病院で可能な限りの治療を受け、それが困難になると、ご自身の状況を十分に理解できないまま、突然「家に帰される」という状況が生まれてしまいました。これは、患者さんと医療者の間に大きな「情報の非対称性」を生み出します。
そして、そのギャップの最前線に立つ訪問看護師は、突然の現実に打ちひしがれる患者さんや、混乱するご家族の対応に追われ、疲弊していく。そんな厳しい現実があったそうです。
こうした状況を何とかしたい、医療と暮らしの間に生じた溝を埋めたい、という強い想いの中で秋山さんが出会ったのが、イギリス発祥の「マギーズセンター」の活動でした。いつかこの素晴らしい取り組みを日本でも実現したいと願っていたところ、様々な人や機会という点と点が線で結ばれ、行政との連携も実現し、この新宿の団地の一角に「暮らしの保健室」が開設されたのです。そしてその活動は、後に「マギーズ東京」の開設へと繋がっていきます。
ここで、「暮らしの保健室」と「マギーズ東京」について、初めて知る方のために簡単にご紹介します。

暮らしの保健室とは
マギーズ東京とは

空間デザインの重要性:マギーズの建設条件
特に、マギーズセンターの考え方は、空間が人の心に与える影響を深く理解している点で、非常に示唆に富んでいました。マギーズセンターを建設する際には、以下のような建築上の思想や条件があるそうです。
建物の中心に、誰もが自然に集える大きなキッチンテーブルがあること。
暖炉など、人の心に温もりを与える場所があること。
心を落ち着かせ、自然とのつながりを感じられる庭があること。
威圧感を与えない、ヒューマンスケール(こぢんまりとした)の建物であること。
プライバシーが守られ、安心して話せる小さな個室があること。
建物自体が美しく、訪れる人の尊厳を支えるデザインであること。
これがとても空間をデザインする上で大切なことがわかりました。 ただ機能的なだけでなく、人の感情や尊厳に寄り添い、安心感や対話を自然に生み出すための「仕掛け」が、建築の段階から意図的に組み込まれているのです。

考察:「けんこう」を育む力
今回の訪問で最も心に残ったのは、空間の力がもたらす効果はもちろんのこと、秋山さんをはじめとするスタッフの皆さんが醸し出す、温かく穏やかな雰囲気でした。
初めてお会いし、初めて見学させていただいたにもかかわらず、私はすっかり心がほぐれ、ごく自然に自分の想いを話していました。北海道弁で言うところの、まさに「喋らさっていた」状態です。(※「喋らさる」とは、意図せず自然に言葉が出てきてしまう、というニュアンスの北海道方言です。)
この体験を振り返り、改めてその本質を考えると、以下の言葉に集約されるように感じます。
全体を俯瞰し冷静に分析しつつも、デザインされた空間で真心を持って接する。患者さんと医療の間を、民間と公の間を、その「余白」が溶かしていく。
「暮らしの保健室」は、まさにこの「余白」を埋める、あるいは溶かしていくための装置なのだと実感しました。そしてそれは、公式に掲げられている「暮らしの保健室の6つの機能」を体現するプロセスそのものです。

【暮らしの保健室の6つの機能】
健やか支援機能:健康教育や介護予防プログラムなどを通じて、住民の健康づくりを支援する。
多世代交流機能:子どもから高齢者まで、様々な世代が集い、交流できる場を提供する。
連携・調整機能:地域の医療・介護・福祉の関係機関と連携し、包括的な支援体制を築く。
担い手育成機能:地域のボランティアや専門職の育成、活躍の場を創出する。
情報発信機能:地域の健康課題や活動内容を発信し、地域全体の意識を高める。
これらの機能は、個別に存在するのではなく、心地よい空間とスタッフの方々の温かいコミュニケーションによって有機的に結びつけられています。その結果として、訪れた人々は単に問題解決の糸口を見つけるだけでなく、それ以上のものを得ているように感じました。
そして秋山さん達がもたらしている効果は、この6つの機能の実践以上に、広義の『けんこう(ウェルビーイング)』そのものであると感じました。
困難な状況に意味を見出し、主体的に対処していく力、すなわち**SOC(首尾一貫感覚:Sense of Coherence)**を回復していく。それは、単に病気が治るといった医学的な健康(Health)を取り戻すことだけを意味するのではありません。たとえ病や障がいを抱えていても、自分らしく、納得して生きていくことができる。そんな、より広い意味での『けんこう』を再獲得していくプロセスを、この場所は力強く支えているのです。
今回の貴重な経験を糧に、私自身の「はこだて暮らしの保健室」の活動も、より一層深めていきたいと、決意を新たにしています。

