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AIとは何なのか――創作、欲望、倫理、そして「人間にしかないもの」



最近、AIによる画像生成をめぐって、「AIは著作権違反なのか」「AI絵は絵師の作品を盗んでいるのか」といった議論をよく見かける。(毎度いつもの恒例だが)

特に気になるのが、AIそのものを善悪で判断してしまう議論だ。

AIは、本当に「悪いもの」なのだろうか。

私はそうは思わない。

むしろ重要なのは、AIそのものと、AIを使って人間が何をするのかを分けて考えることだと思う。


AIとは何なのか

AIは、人間のような感情や欲望、罪悪感を持った存在ではない。

大量の情報からパターンを学習し、入力された指示に応じて、そのパターンを元に新しい出力を生成する。

勿論実際のAIには安全対策や利用規約等が設定されている。しかし、それはAI自身が人間と同じような倫理観を持っているという意味ではない。

だからAIは、基本的には人間が目的を与えて使う道具だと考えたほうが分かりやすい。

そして、ここが重要になる。

AIを使ったことと、AIで何をしたかは別問題である。

包丁そのものに善悪がないのと同じように、AIも使い方によって意味が変わる。

強力な道具だからこそ、「何が出来るか」だけではなく、「何をする為に使うのか」が重要になる。


「AIだから何をしてもいい」わけではない

AIについて語る時、しばしば、

「AIが描いたんだから、人間が描いた絵とは違う」

「AIだから著作権の問題はない」

「AIが勝手に生成しただけだから、自分には関係ない」

といった考え方が出てくる。

しかし、これはかなり危険な考え方だと思う。

例えば、人間の絵師に一枚の絵を見せて、

「この絵をそっくりそのまま再現してください」

と依頼したとする。

更に、特定の絵師の作品を大量に渡して、

「この人の作品と同じような表現で、別の絵を何十枚も描いてください」

と頼んだらどうだろう。

そこで問題になるのは、「絵を描いた人間が誰なのか」だけではない。

何を元にして、どの程度似せて、どのような目的で利用したのか。

そこにも問題がある。

AIになった瞬間、それらの問題が全て消えるわけではない。

当然、著作権上どう評価されるかは、具体的な利用方法や国・法域によって変わる。

だから、「AIなら違法」「AIなら合法」と一括りにすることはできない。

しかし、少なくとも倫理の問題としては分かりやすい。

人間の絵師に頼んだら問題になるようなことを、AIに頼んだから突然正当化されるわけではない。

AIは免罪符ではない。


「AIの学習」と「特定の作品を再現させること」は別

ここは特に区別する必要がある。

AIが既存の作品などから特徴やパターンを学習することと、AIに特定の作品を再現させることは、同じ問題ではない。

人間の創作者も、幼い頃から大量の絵を見て、構図や色、人体、光、表現方法等を学び、その経験を元に新しい作品を作っていく。

勿論、人間の学習とAIの学習は技術的に同じではない。

しかし、少なくとも議論の上では、

「学習すること」と「特定の作品を再現・利用すること」は分けて考える必要がある。

「AIの学習そのものについて問題があるのか」という議論と、

「特定の作家の作品を参考にして、その作家の作品だと分かるようなものを大量に生成することに問題があるのか」

という議論は別である。

ここを混同すると、AIをめぐる議論は簡単に極論になってしまう。


pixiv等で見かける「他人の絵を奪うAI」

(𝕏でも見かけますが)
実際にAI画像を見ていると、特定の絵師の作品を元にしたと思われる画像を大量に生成しているように見えるアカウントを見かけることがある。

ここで、AIそのものを悪者にする必要はない。

問題なのは、AIという道具を使って、他人の創作物を本人の意思とは関係なく利用し、それを大量に生成・公開・消費する行為だ。

「AIだから別物」

という一言で全部を片付けてしまうと、

「元になった作品は誰のものなのか」

「どのような指示をしたのか」

「どの程度元作品に依存しているのか」

「それをどう利用しているのか」

という、本来考えるべき部分が消えてしまう。

AIを免罪符にしてはいけない。


では、AIと何が相性がいいのか


AIが得意なのは、人間が一から作るには時間や技術が必要だったものを、短時間で試作したり、大量にバリエーションを作ったりすることだ。

アイデアの可視化、ラフの作成、構図の検討、文章の下書き、画像の試作等、創作の補助として使える場面は非常に多い。

そして、AIと相性がいい分野として、もう一つ挙げられるのが性的コンテンツだ。

これは単純に「エロ画像を作りやすい」というだけの話ではない。

人間には性的欲求がある。

一方、AIそのものには人間のような性的欲求がない。

AIは利用者の要求に応じて、個人の細かな嗜好に合わせた仮想コンテンツを生成出来る。

つまり、

「人間の欲求」と「AIの個人最適化・生成能力」

が非常に噛み合う。

現実の相手を必要とせず、仮想空間の中だけで完結するコンテンツを作れる。

そう考えると、AIと成人向け創作に相性の良い部分があることは理解出来る。

また、性的欲求を現実の他者に向けるのではなく、仮想的なコンテンツで処理するという使い方については、社会的な意味を考える余地もある。

ただし、ここでも「AIだから何をしてもいい」にはならない。


AIであっても、やってはいけないことはある


特に問題になるのは、次のようなケースだ。

他人の作品を無断でそのまま再現する

「この絵を完全に再現して」

「この絵師の作品を大量に参考にして、この人と同じように描いて」

といった使い方は、少なくとも倫理的には大きな問題を含んでいる。

法的にどう評価されるかはケースごとに判断する必要があるが、AIを使った瞬間に権利問題が消えるわけではない。

実在する人物を勝手に性的コンテンツにする

これは著作権だけの問題ではない。

肖像、プライバシー、人格的利益等、別の問題が発生する可能性がある。

特に本人の同意なく性的な画像を作成・公開する行為は、「AIだから」という理由で正当化出来るものではない。

AIを責任逃れの道具にする

これが最も重要だと思う。

「AIが作った」

「AIが勝手に生成した」

「AIだから自分には責任がない」

という考え方は成立しない。

AIは責任を引き受けてくれる存在ではない。

最終的に、

何を入力したのか。
何を生成したのか。
どこに公開したのか。
誰の作品や権利を利用したのか。
誰にどんな影響を与えるのか。

を考えるのは人間である。


何故AI画像には「飽き」が来るのか


ここから、少し別の角度からAI画像を考えてみたい。

AIの成人向け画像に限った話ではないが、AI画像には「飽き」が来ることがある。

最初は、

「こんなものまで作れるのか」

という新鮮さがある。

自分の好みを細かく指定して、今までなら描けなかったような画像を大量に作れる。

ところが、それを大量に見続けていると、次第に似たような構図、表情、身体表現、光の当たり方等に収束していく。

生成出来る量は増えたのに、見ている側の体験は均質化していく。

これはAIの大きな特徴でもあると思う。

そして、そこに皮肉な現象が起こる。

「AIなら何でも作れる」

「でもAIだけだと、何か物足りない」

「じゃあ、人気のある絵師の作品を参考にすればいい」

「その絵師っぽいものを大量に生成すればいい」

という流れだ。

これは単に「AI画像に飽きた」という問題だけではない。

AI生成物そのものに個性を持たせる難しさにも繋がっている。


人間の絵師には「作家性」がある


人間の絵師の場合、その人の経験や価値観、好み、技術、癖、偶然性等が作品に蓄積される。

だから、

「この人の絵だ」

と分かる。

同じ題材を描いていても、誰が描いたかによって違う作品になる。

そこには、その人が生きてきた時間そのものが反映されているからだ。

一方、AIは基本的にユーザーの要求に合わせて生成する。

その為、「誰が作ったか」という作家性が弱くなりやすい。

当然、AIを使う人間側に強い作家性があれば話は別だ。

プロンプト、選択、修正、構図、編集、作品全体の方向性等、人間側の判断が積み重なれば、そこにも個性は生まれる。

しかし、単純に「欲しい画像を生成して終わり」という使い方では、どうしても既存のパターンに寄りやすい。

だからこそ、一部の利用者が既存の絵師の個性を借りたくなる。


しかし、その「個性」こそが人間の価値なのではないか

ここには、かなり皮肉なところがある。

AIが普及することで、

「絵を描く技術そのもの」

の価値は相対的に変わっていくかもしれない。

誰でもある程度の絵を作れるようになるからだ。

しかし、それによって逆に目立ってくるものがある。

「この人にしか作れないもの」

である。

人間の絵師が持っている経験、価値観、癖、失敗、偶然、こだわり。

それらが積み重なって生まれる「その人らしさ」は、単純に画像を生成する能力とは違う。

AIが大量の画像を作れるようになったからこそ、

「この絵師の作品だから見たい」

という価値が逆に強くなる可能性もある。

AIが人間の作家性を消していくのではなく、

AIが普及したことで、人間の作家性が何なのかを私たちが改めて意識するようになる。

そういう未来も十分にあり得ると思う。


AIは「悪」でも「免罪符」でもない


私はAIについて、極端な二つの考え方にはどちらも問題があると思う。

一つは、

「AIは他人の作品を学習しているから、AI生成は全部盗作だ」

という考え方。

もう一つは、

「AIは人間が描いていないから、AIを使えば何をしても自由だ」

という考え方。

どちらも単純すぎる。

AIは道具であり、その道具を使って何をするのかが重要だからだ。

AIを使って自分のアイデアを形にすることと、特定の作家の作品を無断で再現・量産することは同じではない。

同じAIでも、使い方によって問題の性質は大きく変わる。


結局、AIとは何なのか

私にとってAIとは、

「人間の知識や創作を代わりに生きる存在」ではなく、人間が情報を元に新しいものを作る為の非常に強力な道具

・・・だ。

そして、強力な道具だからこそ、使う側の倫理観が重要になる。

AIには人間と同じ感情がない。

だからこそ、人間がその部分を担わなければならない。

AIと何が相性がいいのか。

何が作れるのか。

どこまで自由なのか。

それを考えることも大切だ。

しかし、それ以上に大切なのは、

「作れるから作っていいのか」

を考えることだと思う。

AIだから許されるのではない。

AIだから悪いのでもない。

AIを使って何をし、その結果として誰の権利や利益をどう扱うのか。

最終的に問われるべきなのは、そこなのではないだろうか。

そして、もう一つ。

AIがどれだけ進歩しても、人間が作るものの価値が全て消えるとは限らない。

むしろ、AIによって「それっぽいもの」が無限に作れるようになった世界だからこそ、

「何故、この人の作品なのか」

という問いが重要になる。

AIは、作品を作ることを簡単にする。

しかし、「この人だから見たい」と思わせることまで、単純に代替出来るとは限らない。

AI時代に価値がなくなるのは、もしかすると「絵を作る能力」そのものではなく、逆に、

「誰が、何故、それを作ったのか」という物語を持たない作品

なのかもしれない。

AIが人間の創作を終わらせるのか。

それとも、人間の創作とは何なのかを改めて考えさせるのか。

その答えは、まだ出ていない。

ただ、AIという強力な道具を手にした今だからこそ、私たちは改めて考える必要がある。

「作れるか」ではなく、「何故作るのか」。

そして、

「AIで代替出来るもの」と「人間にしか生み出せないもの」は、本当に同じなのか。

私はそこに、AI時代の創作を考える一番大きなテーマがあると思う。


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ma 𓍯 lilac 🦋 実るほど頭を垂れる稲穂かな