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第14回香港電影不敗不死 香港映画再起動の先にあるもの。

■ 第1章:身体で語る映画――黄金期の原理

🥋 ポリス・ストーリー 香港国際警察 / 🎭 男たちの挽歌


香港映画はかつて、「身体」で成立していた。

ジャッキー・チェンは転び、壊れ、それでも立ち上がる。
チョウ・ユンファは死をも美学へと昇華する。

そこにあったのは、
「身体=真実」という映画の原理である。



■ 第2章:崩壊と空白

1997年以降、香港映画は急速に変質した。

スターの流出、製作体制の変化。
かつての勢いは失われ、多くの観客にとって香港映画は「終わったもの」になった。



■ 第3章:それでも消えなかった理由

だが、その火は完全には消えなかった。

レンタルビデオ、DVD、そして小さな公開きぼの映画館によって、
香港映画は地下で生き続けていた。



■ 第4章:体験としての香港映画

ここで一度、個人的な記憶を挟みたい。

2017年、旧正月。
自分は香港・旺角にある名画座「豪華戯院」で、あるジャッキー映画を観た。
それは『カンフー・ヨガ』だった。

それは、子供の頃からの悲願――
“香港でジャッキー映画を観る”という30年越しの夢の達成だった。

だが、その環境は決して理想的とは言えない。
• 館内は驚くほど古く、どこか薄汚れている
• 前の席の男は延々と電話している
• 冬なのに冷房が異常に強い
• トイレは言葉にできないほど劣悪

正直に言えば、
“最悪の映画館”だった。

それでも――
いや、だからこそ、その体験は忘れられない。

広東語の響き。
観客のざわめき。
スクリーンに映るジャッキーの身体。

すべてが混ざり合い、
まるで90年代にタイムスリップしたような錯覚に陥った。

ラストでは、気づけば涙が止まらなかった。



映画の後、自分は茶餐廳に入り、
カレー炒飯に唐揚げと目玉焼きが乗った、暴力的な一皿を食べた。

その味、その空気、その疲労感。

すべてが映画と一体化し、
**「香港映画とは体験である」**ということを、身体で理解した。

さらにその旅では、フェリーでマカオへ渡り、
憧れだったカジノにも足を踏み入れた。

だがそこは、どこか拍子抜けするほどカジュアルで、
まるでゲームセンターのようでもあった。

そのギャップすら含めて、
すべてが“香港映画的”な記憶として残っている。



■ 第5章:再起動の兆し

⚔️ トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

🧨 シャドウズ・エッジ

近年の香港映画は、確実に変わり始めている。

『シャドウズ・エッジ』において、
ジャッキー・チェンは老いを隠さず、それでも身体を差し出す。

それはかつての無敵性ではなく、
有限の身体が動き続けることそのものをリアリズムとする、新しい段階である。



■ 第6章:なぜ今、再起動なのか

配信全盛の現在、
映画は“消費”されるものになりつつある。

だが同時に、
観客は再び“体験”を求め始めている。

香港映画は、もともとその体験の極北にあった。

だからこそ今、
その価値が再び浮上している。



■ 結論

香港映画は終わっていない。

それは、形を変えながら、
記憶と身体の中で生き続けている。

そして今、
それは再びスクリーンの上で立ち上がろうとしている。

香港映画の再起動とは、
単なる復活ではない。

それは、
映画という体験そのものの再発見である。

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