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「シャッターを切る回数」より「言葉の数」が多いカメラマンの話〜撮らないのに「すべて分かっています風」の人が現れる理由〜

SNSのカメラ界隈を見渡すと、時折不思議なギャップを抱えたアカウントに遭遇することがある。
プロフィールの使用機材欄には、誰もが羨むような最新の高級フラッグシップ機や、一般人なら怯むような価格の超望遠レンズがズラリと並んでいる。

肩書きには「カメラ系YouTuber」や「〇〇系インフルエンサー」といった、いかにも精力的に活動していそうな文字が躍る。
しかし、そのアカウントのタイムラインをどれだけ遡っても、本人が撮った写真や動画は驚くほど流れてこない。

その代わりに溢れているのは、「年齢を重ねて気づく人生の深み」といった抽象的なポエムや、初心者向けのマナー・知識に対する「上から目線」の講釈ばかり。

明らかに「一般人がスマホで撮る日常写真」よりもシャッターを切っていないはずの彼らが、なぜこれほどまでに「すべて分かっています風」の口調で語り続けられるのか。

その、シャッター回数に反比例して増えていく「言葉の数」の背景にある歪んだ心理構造を、少し紐解いてみたい。

「撮るコスト」から逃げ、「語るコスト」の安さに溺れる

本当に野鳥や乗り物などの動体を追いかけ、あるいは動画をコンスタントに制作して投稿するのには、膨大な時間と泥臭い労力(コスト)がかかる。

早起きをし、重い機材を担いでフィールドへ赴き、空振りに終わるリスクを抱えながらシャッターチャンスを待つ。あるいは何時間もパソコンの前に座って、緻密な動画の編集作業と格闘する。

「言葉の数」が多いタイプのカメラマンは、往々にしてこの一番大変な「現場での実践」からはとっくに足が遠のいている。

しかし「カメラ界隈の特別席」からはどうしても降ろされたくない。
そこで選ばれるのが、ネットや図鑑で得られる知識を器用に並べ替え「これくらい知っていて当然」と上から目線でまとめ記事を作ったり、高尚な精神論を語ったりする手法だ。

部屋から一歩も出ず、ノーリスクで最も手軽に「玄人感」を演出できるため、彼らの世界では「作品(シャッター回数)」の代わりに「能書き(言葉の数)」だけが異常なスピードで増殖していくことになる。

動かない自分を正当化する「屁理屈の防壁」

彼らのもう一つの特徴は撮らないこと、あるいは動画を出さないことに対して、実に見事な「予防線」を張ることだ。

「プライベートの時間が足りないし、ライフワークバランスを崩してまで無理に撮る必要はない」
「自分にとってカメラとは、精神的に完全に満たされて心の余裕がある時にしか向き合えない聖域なのだ」

一見すると非常にこだわりが深く、精神的にハイクラスなスタンスを取っているように見える。
しかし、これは単なる「行動していない自分」を直視したくないための、屁理屈の防壁に過ぎない。
キャリアも浅く、大した実績もない状態のまま「過去に少し動画を上げただけの有識者」という仮面を被り続けるために、必死に言葉で武装している状態なのだ。

歪みを加速させる「ポジションという麻薬」

なぜここまでして、実態のない肩書きにしがみつくのか。それは、SNSのコミュニティにおいて「一家言あるご意見番」や「〇〇系YouTuber」という看板が持つ、独特の心地よさを知ってしまっているからだ。

自ら手を動かして作品を生み出す泥臭い努力をスキップしても、ピカピカの高級機材を引っ提げて「わかってます風」なポーズを取るだけで、周囲の人間から「さすが」「深いですね」と一目置かれる成功体験。

その特別な居場所(ポジション)を失いたくない、チヤホヤされ続けたいという執着が、彼らを「プレイヤー」ではなく「語り手」としてSNSに縛り付ける。

メッキが剥がれた後の、冷酷な現実

しかし、どれだけ言葉を尽くして「すべて分かっています風」を装っても、中身の伴わないポエムや講釈は、やがて誰の心にも響かなくなる。

大層な人生訓や機材論を並べ立てても、タイムラインのインプレッション(表示回数)に対して「いいね」が数個しかつかないような、完全に空回りしている現実はSNSの数字に冷酷に現れる。

かつての輝きが忘れられず、夜な夜な「最近あんまりタイムラインを見てもらえない」と言い訳を呟きながら、誰からの反応もない画面を眺める姿は、インフルエンサーというより、ただの承認欲求の迷子の悲哀そのものだ。

私たちは「言葉」ではなく「光」を記録する

カメラは「言葉」を紡ぐ機械ではない。その場所にある「光」や「被写体の命」を、シャッターを切ることで記録する機械だ。

どれだけ口が達者でも、どれだけ防湿庫に高価なフラッグシップ機が眠っていても、現場で泥にまみれて夢中でシャッターを切っている初心者の、拙くとも熱のある1枚の方がよっぽど価値がある。

SNSのご意見番たちが並べる「言葉の数」にモヤモヤさせられる必要はまったくない。私たちは彼らの屁理屈を軽やかに受け流し、ただ静かに、自分の愛する被写体に向けて「シャッターを切る回数」を重ねていけばいいのだ。

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