憧れがファンを生み、参加が熱狂を起こす。ファンベースの論理構造
ファンベースは、ファンをベースにして中長期的に売上や価値を伸ばす手法であり、マーケティングのあり方を変えるマインドセットである。
ただ、それがどのように機能するのかを論理的に説明しようとすると、少し遠回りな因果関係に思える。そのふわっとした感覚が腑に落ちたのは、一足の靴の話を調べたときだった。
シンボルはいかに育つか
ドクターマーチンは元々、工場労働者のための作業靴だった。頑丈で、疲れにくい。機能のための靴である。それがいつの間にか、反骨と自己表現のシンボルになった。最初に履き始めたのは、労働者階級のスタイルを誇りとする人たちだった。
ドクターマーチンは、その文脈を纏うことで、全く別の意味が生まれた。その後もグラム、パンク、ゴスと、異なるサブカルチャーが次々とこの靴を採用し、層を積んでいった。時に意図しない思想に取り込まれた時期もあった。それでも今、街の店舗には人が入っている。
ここで起きていたことを整理すると、機能的な道具が意味を持つシンボルになったということ。しかも一度ではなく、採用されるたびに意味の層が積み重なっていった。強いシンボルとは、小さな差異を超え、複数の「文脈の重なり」を経て育つものだ。

一つのシンボルに、人によって帰属する理由が違う。それでも同じシンボルのもとに集まれる。シンボルには、差異を超えて人を統合する力がある。
参加が熱狂を生む
ただ、シンボルが強ければファンが熱狂するかというと、そうとも言えない。入手困難なラグジュアリーブランドには強いシンボルがある。憧れる人は多い。でも熱狂しているかというと、少し違う。熱狂とは、傍から見ているだけでは生まれない。
スポーツのファンを思い浮かべるとわかりやすい。試合を観に行き、声を出し、勝敗を共に泣き笑う。その体験がファンの熱量を上げる。憧れているだけでなく、参加しているからだ。
スポーツや音楽・エンタメは、憧れとリアルな参加体験が最初から一体になっている。試合や公演という場が、その両方を同時に提供する。ではプロダクトやブランドはどうか。シンボルは作れても、参加の場は自然には生まれない。意図的に設計する必要がある。
設計された参加の場
わかりやすい事例は、スノーピーク。参加の設計に成功したブランドだ。
「人間と自然が豊かにふれあえる人生価値の創造」を掲げ、キャンプという行為そのものをシンボルにした。ただそれだけなら、アウトドアブランドはほかにもある。
決定的だったのは1998年に始めた「Snow Peak Way」というキャンプイベントだ。
開発者を含む全社員がユーザーと同じキャンパーとして参加し、焚火を囲んでフィードバックを聞く。ブランドとユーザーの間に境界線を引かない設計だ。
このイベントを転機に、スノーピークは日本のオートキャンプ人口が減少していく中で増収に転じた。「スノーピーカー」という言葉が生まれたのも、偶然ではない。参加できる場があったから、熱狂が生まれた。
シンボルとプロトコルという二つの軸
二つの事例から見えてくる構造がある。ファンが集まる共同体には、必ず二つの軸がある。

一つは、人々が憧れ帰属したくなる象徴——ここではシンボルと呼ぶ。
もう一つは、誰もが参加できる共通の作法や仕組み——ここではプロトコルと呼ぶ。
プロトコルという言葉はもともとIT、特にオープンソースソフトウェア(OSS)の文脈で使われる。OSSでは世界中の開発者が、面識もなく、同じ組織にも属さないまま、一つのソフトウェアを共同で作り上げる。それを可能にするのが共通のルールと作法——コードの書き方、変更の提案方法、レビューの手順——がプロトコルだ。参加者はバラバラで、実装もバラバラでいい。プロトコルさえ守れば、誰でも貢献できる。
ブランドにおけるプロトコルも同じ構造を持つ。ファンがどのように参加するか、どのように関わるかの作法が設計されているとき、多様な人々が同じシンボルのもとに集まれる。Snow Peak Wayはまさにそれだ。キャンパーとして参加するという作法があるから、バックグラウンドの違うファンが同じ焚火を囲める。
シンボルはファンを引き寄せ、プロトコルは熱量を持続させ伝播させる。ドクターマーチンは複数のサブカルチャーが「あえてこの靴を選ぶ」というシンボルの多重露光となっていった。スノーピークはSnow Peak Wayという参加の場を設計した。そして、どちらも、シンボルとプロトコルの両輪が回っていた。
ファンベースで、ブランディングとマーケティングが地続きで語られる理由は、ここにある。シンボルの設計とプロトコルの設計も連携と距離感のバランスが必要であろう。どちらが欠けても、熱狂は生まれない。シンボルだけでは、ファンは観客になる。プロトコルだけでは、帰属する象徴がない。
ファンが憧れているシンボルは何か。ファンが参加できるプロトコルはあるか。その問いに答えられるとき、ファンベースは感情論ではなく、構造として機能し始める。
