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辻村深月『鍵のない夢を見る』/見なかったことにしたい気持ちが、物語になるとき

あらすじ「BOOK」データベースより
わたしたちの心にさしこむ影と、ひと筋の希望の光を描く傑作短編集。5編収録。
「仁志野町の泥棒」誰も家に鍵をかけないような平和で閉鎖的な町にやって来た転校生の母親には千円、二千円をかすめる盗癖があり……。
「石蕗南地区の放火」田舎で婚期を逃した女の焦りと、いい年をして青年団のやり甲斐にしがみ付く男の見栄が交錯する。
「美弥谷団地の逃亡者」ご近所出会い系サイトで出会った彼氏とのリゾート地への逃避行の末に待つ、取り返しのつかないある事実。
「芹葉大学の夢と殺人」【推理作家協会賞短編部門候補作】大学で出会い、霞のような夢ばかり語る男。でも別れる決定的な理由もないから一緒にいる。そんな関係を成就するために彼女が選んだ唯一の手段とは。
「君本家の誘拐」念願の赤ちゃんだけど、どうして私ばかり大変なの? 一瞬の心の隙をついてベビーカーは消えた。


読み進めるほど、胸の奥に小さな違和感が溜まっていく短編集だった。
派手な出来事が起きるわけではないのに、どの物語にも、辻村さんらしく、名前をつけることのできない感情たちが丁寧に描かれている。
それが鮮やかすぎて、読み手のほうが目を逸らしたくなる瞬間もある。

登場人物たちは俗にいう悪人、ではなく
それぞれに「そうせざるを得なかった理由」を抱えている、周りにもいそうな人物のように感じられる。
共感できる部分があるからこそ、読んでいて居心地が悪い。
正しさと、目を背けたい思いが同じ場所に置かれている。

特に印象に残ったのは、いわゆる育児ノイローゼと呼ばれる状況を描いた話だった。
状況だけを切り取れば、誰にでも起こり得ることだと思う。
疲れきった日常、孤立感、周囲からの無言の期待。
それらが重なれば、心が少しずつ追い詰められていくのは、想像に難くない。

それでも、良枝の生き方は、どこか「良すぎる」ようにも見えた。
正しくあろうとする姿勢が、いつの間にか強迫観念のようになり、それ自体が本人を縛っている。
ママ友の理彩は、その歪みに気づかせる存在として救いでありながらも、同時にそんな良枝と世間を隔てる距離の象徴のようでもある。

誰かが差し出した手は、いつも掴まれるとは限らない。
汲まれない思いが、言葉にならないまま立ち上ってくる、その微妙な距離感が、とても身にしみた。

なくなったベビーカーの真相を知ったとき、少し涙が出た。
大きな悲劇ではないのに、積み重なった感情が、静かに溢れてしまったような涙だった。

この短編集は、読後に何かを学んだ気にさせる本ではない。
ただ、じんわりと染み込んだ違和感が、しばらく胸の奥に残り続ける。
それぞれの人生、それぞれの正しさが、簡単には裁けない形で提示されているからだと思う。

読み終えたあとも、物語の鍵は閉まらない。
開いたままの感情を抱えたまま、現実に戻される。
その感覚ごと、この作品なのだと感じた。

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