見出し画像

「貸本文化」の貴重な足跡

「漫画コレクション」を捨てなければ離婚だと責められた友人

「ゲゲゲの鬼太郎」は、故郷の「境港」をはじめ、日本各地に様々なモニュメントを残した水木しげるの漫画やアニメの記念碑的な作品だが、この漫画の出発点はいわゆる貸本屋の「貸本」だった。私の友人に何千冊という漫画の本をコレクションしていた男がいたのだが、住んでいた家がそれほど大きくなかったのだろうか、奥さんにため込んでいる漫画の本をすぐに捨てなければ離婚すると責められたのだった。笑い話のようだけれど、実際はかなりシリアスなトラブルだったようで、その友人は「漫画コレクション」を急遽手放するしかなかったようだった。
その友人は、「漫画コレクション」を手放すことを激しく急かされて、茫然としながら友人にその処理を任すほかなかったようだった。漫画といっても数千冊ともなると処理するのは大変で、古本屋に売ることはできたが、その友人の漫画への思いの深さを考えれば、「漫画コレクション」への愛情を受け止めてくれる人への贈呈が絶対的な条件だった。そういう経緯で、私はある日突然栄誉ある「漫画コレクション」のオーナーになったのだった。

手塚治虫「鉄腕アトム」など記念碑的な作品の初版本も

私が贈呈を受けた「漫画コレクション」は、全部で数千冊あったが、前の持ち主が「手塚治虫」と「初版本」にこだわっていたので、手塚治虫の「鉄腕アトム」は言うまでもなく、「火の鳥」「アドルフに告ぐ」など手塚治虫の記念碑的な作品はすべて初版本だった。もう一つのこのコレクションが持つ重要なコンセプトは「貸本」だった。日本の漫画の多くが「貸本文化」の中で誕生し、成長したという歴史にちなんで、漫画文化が開花する直前に、幅広く子供たちの心をとらえた「プレ漫画文化」ともいえる「貸本文化」を支えた多数の貸本の名作をコレクションしていたのだ。
古くは「のらくろ」で知られた田川水泡をはじめ、白土三平、赤塚不二夫、池上遼一、楳図かずお、小島剛夕、さいとう・たかを、滝田ゆう、辰巳ヨシヒロ、つげ義春、つりたくにこ、長谷邦夫、平田弘史、水木しげる、モンキー・パンチ、水島新司、山上たつひこ、横山光輝などの多数の作家の作品などが含まれている。正確に「貸本文化」がいつまで続いたのか知らないが、貸本用の出版物と大手出版社の一般読者向けの出版物では圧倒的に発行数が違うので、後まで残存している貸本屋向けの本の数は少ないはずだが、わが家の「漫画コレクション」では、出版社の本と貸本屋向けの本が五分五分の割合だった。またこのコレクションでは、「漫画コレクション」だけではなく「ガロ」や「COM」など漫画雑誌も創刊号からその時点までのすべての号が揃えられていて、自分でコレクションしたわけではないが、ちょっと自慢できるものだった。

ある日、唐突に失われた国際級の漫画コレクション

「漫画コレクション」は、私たちにとっては、降ってわいたような素晴らしいプレゼントだったが、身近にこのコレクションを快く思っていなかった人がいたようだった。それは近所に住んでいる母だった。漫画のコレクションなど、雑誌や新聞の古紙に過ぎないと思っていたのだった。
ある日、私たちが家にいないときに、スピーカーで「不用品な家具や電化製品、書物などがあれば無料で回収させていただきます」と、がなり立てながら、廃品回収者が町内を回っていたらしい。実に不幸なことに、このスピーカーのアナウンスを聞いた母は、これはあの汚らしい漫画の本を一気に捨て去る絶好の機会だと思ったのだろう。さっそく回収車を呼び止めて、持っていた合鍵で私たちの家に入り込み、母にすればごみに等しい漫画の本を捨てたいと申し出たのだった。

些細なミスや手違いは私たちの人生につきものだが、モノによっては人の人生を破綻させるに十分なミスや手違いもあり得る。私たちの「漫画コレクション」の正体を正直に言えば、一冊百万円を裕に超える価値ある希少本がおよそ二〇〇冊、またほとんどの本が一冊数万円もするので、貧乏な私たち夫婦にとっては唯一の大きな財産といえるものだったのだ。
しかしこの価値の話が家族や親族の人々が知れば、親戚を巻き込んだ大変な騒ぎになることがが目に見えていた。私たち夫婦は話し合って、コレクションが失われた理由については今後一切封印することにした。いろいろ考え方はあるとは思うが、基本的に人間の価値観の違いの問題で、いくら悔やんでももはやコレクションが私たちの手元に戻ってこないことは明白だった。それならば、初めからなかったことにしようというのが私たち夫婦の結論だった。いかにも漫画的な出来事だったが、人生には、とても口に出せない漫画の様な話もあったのだった。






いいなと思ったら応援しよう!