見出し画像

研究室への貢献を考える博士課程

博士課程は、思っている以上に個人的なゲームである。もちろん研究室に所属し、指導教員の下で研究を進めるのだが、最終的に向き合うテーマは極めて個人的なものになる。日々何を考え、どんな仮説を立て、どこで躓いているのか。その全体像を本当に理解しているのは、自分しかいない。


博士論文は共著では書けない。論文の共著者はいても、博士号そのものは個人に授与される。最後は自分の名前で、自分の研究として評価を受ける。そう考えると、博士課程はかなり孤独な営みだ。だからこそ、自分の研究だけに集中していても、一応は博士課程を終えることができる。極端な話、研究室の他のメンバーとほとんど関わらず、自分の研究だけを進めることも不可能ではない。


しかし、それでは少しもったいない気がしている。もし自分の利益だけを考えて活動するのであれば、研究室に所属している意味はあまりない。実験設備や計算資源が利用できるというメリットはあるが、それ以外は通信制の学校と大差なくなってしまう。人が集まっている場所に身を置いているのに、その集団から何も得ず、何も与えないのであれば、研究室という共同体の価値を十分に活用しているとは言えないだろう。


博士研究が個人的なゲームであることと、研究室が共同体であること。この二つは一見すると矛盾しているように見える。私自身は、その両方を成立させる方法の一つが「研究室への貢献を考えること」だと思っている。


例えば、自分が面白いと思った参考書があれば輪読会を企画してみる。後輩が研究で悩んでいれば相談に乗ってみる。息抜きも兼ねて、一緒にコードを書いたり実験を回したりする。研究費で購入した備品があれば、自分だけで囲い込まずに研究室全体で活用できるようにする。


こうした行動は、一見すると自分の研究とは関係がないように見える。しかし実際には、その過程で自分自身も大きな利益を得ている。人に何かを教えようとすると、自分の理解の曖昧さが露呈する。分かったつもりだった概念が説明できないことに気づく。質問を受けて初めて、自分が考えたことのない視点に出会うこともある。研究はしばしば孤独な活動だが、人に貢献しようとすると、強制的に新しい学びが発生する。


また、組織を強くすることは、回り回って自分自身の利益にもなる。優秀な後輩が育てば、自分の研究にも新しい刺激を与えてくれる。研究室全体の知的水準が上がれば、議論の質も上がる。設備やノウハウが共有されれば、全員の研究効率が向上する。組織が強くなれば、その構成員である自分も強くなる。個人と組織は対立関係ではなく、むしろ相互に強化し合う関係なのだと思う。だからこそ、極めて個人的なゲームである博士課程こそ、他者への貢献を意識して過ごす価値がある。


私自身、研究室のメンバーとの関わりを大事にしてきた。研究の話だけではなく、一緒に食事をしたり、テニスをしたりもした。博士課程を修了した今でも付き合いが続いている人は少なくない。振り返ってみると、論文の本数や学会発表の実績ももちろん大切だった。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に価値があったのは、一緒に研究室で時間を過ごした人たちとの関係だったように思う。


博士課程は数年で終わるが、その後の人生はずっと続く。自分一人の成果だけを追いかける数年間にすることもできる。しかし、せっかく人が集まる場にいるのであれば、その共同体に何かを残してみるのも悪くない。結果としてその方が、研究生活も豊かになるし、長い目で見ればキャリアも人生も豊かになるのではないかと思っている。

いいなと思ったら応援しよう!

Wataru いただいたチップは発信のための活動費として大切に使わせていただきます。ぜひご検討いただけますと幸いです!

この記事が参加している募集