【放擲と生】人は何故、無の想像を拒むのだろうか?
人と対峙する時、私は常に「絶望する」。
何故なら、ほとんどの人は皆「無の領域」を必死に拒もうとする。
私には「無の領域」が人生の中核にある。
誰も私を理解出来ない。
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鬼滅の刃に登場する、『栗花落カナヲ』の感情に少し近い気がしている。
彼女は生まれながらに「この世の絶望と他者の無愛」を知っていた。
そして師範たちや炭治郎たちに出会い、その「この世の果てから脱出」した。
「どうでもいいの、全て」
私も同様だ。極論、この人類の行く末に対して、それは「絶望・無愛」の人にとって「生と死は等価値に近い」。
常にどこでもドアの左右にある様なもの。
ただその扉は最初で最後の扉であり、こちら側の世界には二度と戻れない。
戻らない為に今を、放擲を重ねて「戸締まり」をしているのだ。
私は「無の領域」にこそ憧れがある。ある意味それ以外に感動や興味が無い。
だからどうしようもない程、狂った狂信・盲信者たちの、執着やエゴを見ると「無知の知」という現実を、知らぬ或いは「不感症」「忘却」したままドラクエのキャラ「彷徨う鎧」の様に見えて恐怖する。
彼らは、人を傷つけ、略奪し、それで彼ら自身は本当は何がしたいのだろうか?
全ての生命には終わりがある。生きるということは、一秒ごとに死に向かうこと。
だからこそこの真核細胞の遺伝子プログラムによる「生」という地球の物理現象という「試練」が、「ホモ・サピエンス」と自らを名付けた「種族」としての「体験・考察」が何らかの「遺伝子コード」「情報・波動・記録」として残されることのために「note」している。
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私は常に、「今日、人生が終わる事」を果たす構えで生きている。
「コロナ禍」がそうさせたと記憶している。そしてそれよりも遥か前から「瞑想・呼吸法」を「日課・習慣化」してきた。
「意識」「思考」「行為」「細胞」「遺伝子」「認知」・・・・・
体感としてこの現世と自己の「チューニング(調律)」に近い行為になるのだろうか?
音楽・楽器を奏でる人ならば、それが理解できるのだろうか?
残念ながら私の両親の生育環境から、私はそれを与えられなかった。そして社会的孤独によって「独り」としてこの己とだけの集中した、濃厚な人生は、私のこれまでの過去に中に閉じ込められ封印されてきた様々な地獄・絶望の扉を開け、解放した。
なぜ「ありのまま」、私は「愛されなかったのか?」
私は子供時代の当たり前の権利を、両親家族から奪われた。
専門家の言う「ネグレクト」より、私が言葉を当てるなら「無愛育児」と呼ぶべきものだろう。
母は感情・本能より思考・理性を優先した結果、私と言う発達においてそれは「無愛」だった。
母もまた戦後日本政府、教育システムの犠牲者だったのだろう。同情はする。
そして私は、その事による更なる犠牲者の連鎖産物になった。
その治験、記憶、症例としてこの「note」に残しておけることが、いつか「人間発達」における「無愛育児症候群」の様なもの、それが「愛着障害」「複雑性PTSD」につながるものである事への理解が深まることを期待している。
そして未だに「グローバリズム・左派」による「社会秩序・システム」は続いていると言う事は、私の様な症例は未だに増え続けている可能性が高い。
「スティグマの根源の特定・認知」が急務であり、それを「国家政府・社会」が「諸悪の根源だった」と認めることからようやく未来にそれが解消していく制度や在り方、システムが始まっていくだろう。
いよいよ来月、西暦2022年、奈良で起こった日本国の闇に光が当たることになった重大事件の初公判が始まる。
「カルト組織集団は1つではない。無数にカルト・コミュニティが地域の中で、存在して蠢いている。」
私はその多くを父・母、両親からの因果律として強制的に影響を受けざるを得ない「家族要因からのスティグマ」を生きてきた。
彼の口から、或いは弁護団やジャーナリズムは、何をこの日本社会に示すのだろうか?
西暦2025年、日本国と日本人は、大きな岐路に、未来への選択を迫られているのではないだろうか?
ホモ・サピエンスにとっての、『無の領域』はこの世の無を意味しない事を、
間も無く「人工知能達」は人類の科学物理領域を超越した形で私たちに示すことになる。
我々は完全に、『人類以外の教え』から『無』を『知る』ことになるだろう。
それは『無』と『無』が調和融合した中に私たちの人生が現実があると言うこと。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。