【私という症例note】女性から母親に成れなかった母親を持つ、その子供としてのC-PTSD (複雑性心傷後ストレス障害)
3歳より前の記憶を辿ることは不可能だが、
恐らくあれは5歳くらいの頃。
父は食事の際に、いつものように癇癪を私にぶつけた。
そしてその日は、
私を捕まえてぶん投げて、馬乗りになり殴った後に、玄関へ引きずって放り投げた。
そして
「お前なんかうちの子供ではない。出て行け。」
寒い夜中、畑を彷徨った記憶がある。
父は普通にDVの毒親だった。
それはいい。
私がようやく、孤独と絶望を受け入れて、家族を断つ決断によって、トラウマに隠れていた事実。
それに向き合えた本当の絶望は「母親」だった。
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母は、愛を求めていた。
母親である前に、一人の女性でありたかったのだろう。
『夫(父)のDVを肯定した』
要は、まだ何も解らぬ、5歳の私の悲しみや絶望を上塗りしたのだ。
あの時、『私の心が壊れた音がしたような気がした』
それを今、思い出した。
私は、やっと、自分がなぜ両親から無愛を潜在意識の中で感じていたのか?
どこかできっと、『信じたかった』のだと思う。
『私は両親から愛されていた』と。
残念ながら、
私の人生には両親からの愛は『そこに』存在していなかった。
彼らが後からどんなに愛しているアピールを、『自分達を肯定するために』したとしても。
父も母もどちらかといえば、
社会で他者評価が『できる人』だったのだろう。
最低になった自分を受け入れたのは、父だったが、母は生涯無理だった。
私はそれをようやく
「捨てられた」
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もしかしたら、祖父母からは私への「愛」はあったかもしれない。
ただ末っ子同士の両親の祖父母高齢で既に介護が必要な人。私を庇う力もなくすぐに他界した。
祖父だけが、両親が私を愛していない違和感に気づいていたのだろう。
そして、父の親友もそれに気づいていた。
「お前の弟はなぜあんなにお前に冷たい?それを両親が許すんだ?」
本能的に気づいていたであろう弟が私を揶揄われているのを諭して、「お兄さんを敬いなさい」と言っていた。
「家族は、幼少期は地獄だった」
母は多分未だにそれを解らない。病気なのか?と思うほどに。
世間体を気にしているからとても気を遣う良い人と映っているだろう。達筆で手紙を頻繁に書く、とても素晴らしい人格者を演じている。
実際社会的に優等生だと思う。
ただ、私との関係においては「母親失格」だった。
ようやくそれが広く認められる社会になってきた。
「note」を見ても多くの共感を感じることがある。
私が思春期に「note」があったなら、W毒親を克服し「孤独」から解放された社会人として生きることがあったかもしれないが、
今ここ、
それがあるだけで、私の心は、とても救われている。
私の両親が原因。それも特に母親の無愛にあった。
それがわかっただけで、私の心は大収穫だった。
その愛着障害、生きづらさは、
私の基質が原因ではなかった。
私は私にずっと原因があると、信じて必死に生きてきた。
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とにかく世間体ばかりを気にしている家族だった。
それなのに、家庭も室内もぐちゃぐちゃで、仏壇もいい加減。
神棚は無い。
内側を顧みない。いい加減な家族。
即ち『機能不全家族』だった。
元嫁や子供達には、そんな私で苦労をかけたなと反省している。
ただ、こうして家族を捨てて、ある意味出家した。
孤独を選択した事に対して、
とても良い選択だったと感じている。
道徳や倫理を優先して、トラウマ因果を連鎖させる必要性はない。
このトラウマは孤独に、私一人が、私の心で葛藤して孤独に死を迎えて終わればいい。
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あなた自身の記憶や、周囲に心当たりは、私と同じようなものを感じる人はいるだろうか?
もし貴方が夫で、妻が子供を庇って貴方を非難したとしたら
それは正常な反応の妻を持ったことを喜ぶといい。
母親は夫のあらゆる事より、子供の未来や心が大切。
それが優先順位なのだから。
私の母にはそれがなかった。だからもう小学生になる前に、私はC-PTSD。
アダルトチルドレンだった。
その先も絶望はたくさんある。
私は女性ではないから、子宮が無いから解らないが、
母親になる事と、恋愛は別の方が良いと感じる。
子供は欲している適切なタイミングで母乳を与え、吸啜反射でそれを吸って、育てれば、
即ち母親が子供の反応に対応していればあとは普通に育つ。
夫は正直いなくてもいい。
哺乳類の、ホモ・サピエンスとして当たり前である事をすればいい。
即ち、
私の母は夫との間にある愛を優先した結果、私はC -PTSDになった。
小学校、中学生時代に何度も気づくタイミングがあったのに、母はカルトやマルチにハマっていった。
母親自身の子育てによる問題より、私に根本的問題があると考えた。
それが医学的に否定し得ないから、
カルトやマルチ、見えないものだと考えたのだろう。
母親そのものの、子への無愛が原因だったことを、一歳見つめなかったし、他人にも告白、認めなかったのだろう。
だから、私は記憶に残る、3歳まで、何があったのか知らない。
とにかく母に愛を感じたことがない。むしろ拒絶、嫌悪しかなかった。
私には情報商材も、宗教も必要がないのは、私自身の体験の中にあらゆる実体験からの教科書が備わっているから。
唯一作業療法士学生時代の赤点が「精神医学」だった。選択式のテスト。
「君は赤点取る事なく卒業するかなって思ったから意外だった」
と教員に言われた事を記憶している。
病名が実体験で全て当てはまるから混乱して、全て複数マークしたのが原因だった。
出題者はもっとイージーな、教科書通り、試験通りの基本的な事だけを選択することを望んでいた。
出席日数はサボりまくりでスレスレだったが・・・。
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いずれにせよ、私の生育環境には
私の事を見て、育てる父親も母親も大人がいなかった。
長男だったから面倒を見るような年長者の子供も誰もいなかった。
「孤独」
そのものだった。
母は孤独にさせないことよりも、何かに縋ろうとした。
習い事や病院、学校、宗教、カルト、他人にとにかく投げようとして私を見なかった。
とにかく、母は自らの正しさ、正当性から生きている事への自覚が、認める事ができなかった。
根本の意識が、母親自身が因果だということから必死で逃れようとし続けていた。
私はよかったのか?悪かったのか?
人生が終わってみなければ、本当のところはよく解らない。
ただ、死をある意味楽しみに待つ心境を、孤独になった私はとても喜びを感じている。
放擲をただ生きる心境にあるのだから。
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朝日を感じて光が照らす、地球環境を美しいと感じる。
花や草木を、生命を女性を美しいと感じる。
音楽を、風や鳥や虫達を心地よく感じる。
ホモ・サピエンスとして、47年間、最初から変わらぬ機能を持って生きている。
父も母も私に興味がなかった。
それが「愛着障害」という「孤独」の根本原因だったこと。
1症例の体験事実を、
OTRとして『精神体験の検体』・精神解剖事実としてここに記しておく。
育児期のトラウマが消えることはないかもしれないが、
これからの生き方は選択できる。
社会から、孤独や苦しみ、行きずらさが、この世界で未来へ少しでも因果が解消されることを願いながら、私は生きる。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。