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誰もが、理解されない生き辛さを抱えている。それでも・・・

私のケース。

家族関係。

私にとって同性である『父との関係性』が最も大きな生育問題だと捉えていた。

父は暴力的で、就学前、恐らく5歳くらいの頃に

「お前はうちの子供ではない。二度と帰ってくるな」

と家を追い出された事があった。

行くあてもなく夜中、畑の真ん中で凍えていた事を覚えている。

ただ、その頃を振り返り、私の生き辛さ、わかりにくさにとって重要だったは『母』であり、『弟』だった。

それらの

私が『虐待』『暴力』を受けている場面に、


二人は『存在している』



それを『容認』していたのだ。


この不気味な絶望感と無愛、そこから生まれる『孤独』

私にとって家族とは根本的に、『絶望的な存在』

だった。

二人は社会的マナーや心遣い、おもてなしを対外的には完璧にこなしていて、誰一人として彼らの奥底にある本質に気づくことはない。


ある意味誰からもつけいられない存在で、当たり障りのない関係性を他人と築ける人々。

もし人生の早い段階でそれを理解する誰かに出会っていて、縁があれば私は自立した大人になったのかも知れない。

『家族』という幻想

を捨てて、

『孤独』から自立した人生を生きる事

を始められていたら、私にも違った形の人生があったのだろう。


『母』は私にとって『無愛』の存在だ。


ただし母を見て、99%以上の人は『愛の人』だと捉えるだろう。

あらゆる事に利他的に先回りして奉仕して、海外の孤児の支援をしてスピリチュアルのサポートを献身的にしている素晴らしい人物。

ただし、それこそが私にとっては『毒親』だったのだ。

母にとっての愛や正義、奉仕は私にとって全て『毒』だった。

その事に私の中の違和感はずっと存在していた。

数え上げればキリが無いほど無数な小さな違和感。

薄々は気づいていた。

けれどもそれが何なのか?特定するところまで意識を向けていなかった。

母はカルト宗教やマルチビジネス、スピリチュアルの友人ばかりを周囲に置いた。父が私が15歳の時にヒーラーになったのも母の影響だと私は感じるが、母は

「夫にヒーラーになんてなって欲しくなかった。」

という。

数年前に父が他界したからこそ、ようやく色々見えてきた事がある。全て自分が責任を持ちたくないからこそ他人にそれをさせて、私は関係ない、そう思っていなかったという後で言い訳するための生き方をしているのだ。

『両価性』

どちらにでもいつでも乗り換えられるようにして

いつも後出しジャンケンのような状態で自分を保護している。


母にはそれを意図的に作り出している部分がある。関わる人に誤解を与えている。現代風に言えば

『サイコパス』

かも知れない。

人によって態度も話す内容も180度変わる上に、微妙に自己擁護の内容を変えている。

『自己愛障害』

きちんとした専門家が見ればそう言われるであろう性質を持っているが、母は専門家や自分より能力が高そうな人間や社会に行くことを極度に嫌い、

『私なんかあったら申し訳ない』
と話す。

自分が完璧に築きあげてきた善良な妻、母親像というボロを見透かされたくないのだ。

しかし

自分が良い顔が出来そうな、障害者や社会不適合者、孤児の支援などには積極的。

それも仕方ない事。ただ、

その母からの因果こそが、私の人生を蝕んでいた事にようやく気づいた。


私は彼女にとって都合の良い

『可哀想な』ペットかモルモットのような存在だった。

弟は妻と4人の子供達と共にヒーリングの会員だった妻と父の家業を継いで近所で生活している。

私は離婚して、母子は離れた。

その為にどれだけの協力をしたか誰にも分からないだろうが、負債を背負い、貯蓄を全て叩き、父と家業のために奉仕した。

『子は親を敬い、家族というものが何よりも大切である』という母の正義である半島大陸の儒教の様な教えを現実化するために、私は家族を失った。

元嫁の家族には、理解できなかっただろう。

私の『母』と兄弟家族のことも、私自身のことも。

私には悟りと放擲しかなかった。

仏教の開祖、ゴータマシッタールタ(釈迦)は生後すぐに母親を亡くしている。

釈迦族の王子だった彼は、王である父との

『父子家庭』

で育った。ただ彼には王国の民がいた。

彼には母親との愛の体験は存在していなかった。

だから彼は

『出家』出来た。


悟りと放擲に人生を踏み出すことが出来た。

家族、特に母親への愛着はその人生において悟りを得るためには邪魔になるもの。

私の中には父と母のDNAが流れている。

父や母にあるものは私の中にも存在している可能性が限りなく高い。


だから、孤独と絶望、無愛を選択することにした。

家族や愛、希望よりも、孤独と絶望を意識的に捉え、見つめて生きる選択を重ねている。

孤独と絶望から、日々を過ごすこと、少しでも思考や感情を放擲していくこと。

過去の記憶は消えず絶望ばかりを呼び起こすからこそ、しっかり見つめきって手放していく事。

私にあった体験はきっと他の人の希望になる。そう信じている。

生き辛さを抱え、孤独と絶望に気づいていないで必死に生きている人たちがいるはず。

無理して頑張る必要はない。あなたの生き辛さはあなた自身の問題ではない。あなたをそこまでに追い込んだ、家族環境の問題である可能性が高い。

同じ様な能力でも、人生は大きく変わる。

それは

『親次第』

親として努力することも私と両親の様に、子の心と魂を未来へ破壊する可能性がある。

努力
頑張る
必死に

これらは全て必要ないこと。


・・・・・

あるがまま
なすがまま

現実をこの地球環境と人間社会を受け入れてその時々にただ感じたことを大切に生きていれば、

何も特別なことをしなくとも親子関係は自然と育まれていく。

他の哺乳類達と同じように。

生後から成熟するまでの関係性が哺乳類として、ホモサピエンスとして適切であれば、自然と子供は自立していく様になる。

日本も地球人類も、社会全体としては壊れすぎているからこそ、個人の心はただ、一日1日を、流れゆく雲の先にある光を見つめて生きる。

もしも願いが叶うのならば・・・・

私と同じような、

誰にも理解されない孤独や絶望を抱えた人に出会い、寄り添い、生涯を送れたら

と思う。

私の生きる意味は今のところどこにも見出せずにいる。

今はただ、孤独と絶望の奥を深く深く見つめ、地獄をただ生きる。



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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。