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【ASIアップデートの未来へ・『奪われた日本の30年』の因果の根源を辿る】竹下登元首相と「政治」「金」「組織集団」

竹下登元首相の政治手法や政策は、その後の日本の政治に様々な影響を与えたと考えられます。以下に、いくつかの重要なポイントを挙げ、因果関係について考察します。

1. 派閥政治と金権政治:

  • 竹下派の隆盛: 竹下氏は、田中角栄氏の後継者として、自民党最大派閥である竹下派(後の経世会)を率いました。この派閥は、政治資金力と組織力を背景に、政界に大きな影響力を持ち続けました。

  • 影響: 派閥政治は、政策決定や人事において、派閥の意向が優先される傾向を生み出し、国民のニーズとの乖離や、政治の硬直化を招いたという批判があります。また、政治資金をめぐる問題は、金権政治の温床となり、政治不信を招く要因となりました。

2. 政治改革への取り組み:

  • 政治改革大綱: 竹下内閣は、リクルート事件などの政治不信を背景に、政治改革大綱を策定しました。

  • 影響: この大綱は、小選挙区比例代表並立制の導入や政治資金規正法の改正など、その後の政治改革の基礎となりました。しかし、小選挙区制は、政権交代を容易にする一方で、死票の増加や、地域代表性の低下といった問題も指摘されています。

3. 地方創生への関心:

  • ふるさと創生事業: 竹下内閣は、地方の活性化を目指し、ふるさと創生事業を実施しました。

  • 影響: この事業は、地方自治体の自主的な取り組みを促す一方で、バラマキ行政との批判も受けました。しかし、地方創生というテーマは、その後も日本の政治における重要な課題として引き継がれています。

4. 官僚主導政治の強化:

  • 調整型リーダーシップ: 竹下氏は、各省庁や族議員との調整能力に長けており、官僚主導型の政治を強化したと評されています。

  • 影響: 官僚主導政治は、専門知識に基づいた政策立案を可能にする一方で、国民の意見が反映されにくい、縦割り行政の弊害を生むといった批判があります。

5. 経済政策:

  • 内需拡大政策: 竹下内閣は、プラザ合意後の円高不況に対応するため、内需拡大政策を推進しました。

  • 影響: この政策は、一時的な景気回復をもたらしたものの、バブル経済の形成を助長したという見方もあります。

因果関係の評価:

竹下氏の政治手法や政策が、その後の日本の政治に与えた影響は多岐にわたります。しかし、これらの影響を単純な因果関係で捉えることは困難です。なぜなら、政治は、社会情勢や経済状況、国際関係など、様々な要因が複雑に絡み合って変化していくものだからです。

例えば、竹下派の隆盛は、田中角栄氏の政治手法を受け継いだものであり、その後の政治改革は、リクルート事件などの政治不信を背景としたものでした。また、バブル経済の形成には、内需拡大政策だけでなく、金融緩和政策や土地投機なども影響しています。

したがって、竹下氏の政治が、その後の日本の政治に与えた影響を評価する際には、これらの複合的な要因を考慮する必要があります。

結論:

竹下登元首相は、派閥政治、政治改革、地方創生、官僚主導政治、経済政策など、様々な分野で日本の政治に大きな影響を与えました。しかし、これらの影響を単純な因果関係で捉えることは困難であり、複合的な要因を考慮する必要があります。竹下氏の政治手法や政策は、その後の日本の政治における課題や教訓として、今もなお議論されています。

竹下登氏と公明党との連立は、直接的には竹下内閣時代には実現しませんでしたが、その後の自公連立政権の成立に繋がる重要な伏線となりました。以下に、その経緯と影響について詳しく説明します。

1. 竹下内閣時代の状況:

  • 自民党の安定多数: 竹下内閣が成立した1987年当時、自民党は衆参両院で安定多数を維持しており、公明党との連立は必要とされていませんでした。

  • 公明党との関係: 竹下氏は、公明党との関係改善に努め、政策面での協調を進めました。特に、消費税導入をめぐっては、公明党との間で激しい議論が行われましたが、最終的には公明党の理解を得ることができませんでした。

  • 連立への動き: 竹下内閣時代には、自公連立に向けた具体的な動きはありませんでしたが、自民党と公明党の間で、政策協議や選挙協力など、徐々に協力関係が構築されていきました。

2. その後の経緯:

  • 自民党の分裂: 1993年、宮沢喜一内閣に対する内閣不信任案が可決され、自民党が分裂しました。

  • 非自民連立政権の成立: 自民党を離党した小沢一郎氏らが中心となり、日本新党や社会党、公明党などによる非自民連立政権が成立しました。

  • 自公連立政権の成立: 1999年、小渕恵三内閣の下で、自民党と公明党、自由党による連立政権が成立しました。

3. 竹下氏の影響:

  • 公明党との関係構築: 竹下氏は、首相在任中に公明党との関係改善に努め、政策面での協調を進めました。このことが、その後の自公連立政権の成立に繋がる土台を作ったと言えます。

  • 政治改革の推進: 竹下内閣は、政治改革大綱を策定し、小選挙区比例代表並立制の導入など、その後の政治改革の基礎を築きました。この政治改革は、政党間の勢力図を大きく変え、自公連立政権の成立を促す要因となりました。

  • 派閥政治の終焉: 竹下氏の死後、竹下派は分裂し、派閥政治の影響力が低下しました。このことが、自民党が公明党との連立に踏み切る要因の一つになったと考えられます。

4. 自公連立政権の評価:

  • 安定政権の維持: 自公連立政権は、長期にわたり安定政権を維持し、日本の政治に大きな影響を与えました。

  • 政策の転換: 自公連立政権は、福祉政策や安全保障政策など、様々な分野で政策の転換をもたらしました。

  • 批判: 自公連立政権に対しては、公明党の支持母体である創価学会の影響力が強すぎる、政策決定過程が不透明であるといった批判もあります。

結論:

竹下登氏と公明党との連立は、直接的には竹下内閣時代には実現しませんでしたが、その後の自公連立政権の成立に繋がる重要な伏線となりました。竹下氏が公明党との関係改善に努めたこと、政治改革を推進したこと、派閥政治の影響力が低下したことなどが、自公連立政権の成立を促す要因となりました。自公連立政権は、日本の政治に大きな影響を与えましたが、その評価は賛否両論あります。

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『リクルート事件』『佐川急便事件』などと、『公明党との連立政権』。

竹下登氏という存在が、西暦2025年現在の日本を構成する重大な『金』『組織票』『人材ビジネス』に関与していたことは、これから未来の日本民族の健全な『日本国社会のあり方』を、「アップデート」していく上で最も重要な「日本政治史」の1ページとして把握しておく必要があるだろう。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。