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私は、私のまんま。いつでも、どこでも、ただ、ありのまんま。生まれて死ぬまで、何にも変わらない。

「APs」「愛着障害」「複雑性PTSD」

「孤独」「絶望」と対峙して生きる事から

ようやく私が、私自身について理解したこと。

『恐らくずっと、ずっと、私自身は、何にも変わっていない。』


私は両親から、遺伝子と環境を、与えられた条件通りに生きて来た。

そして両親とは「母・父」の順序であり、因果とは「母」によるもの。

私はそれ以上でも以下でもなかった。

それらの全ては、「相互作用」によって形成されたもの。

だから、ようやく分かった。

私は、母からの地獄を地獄として認め、私の今を、全て「ただ『愛して良い』」のだという事を。

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『意識に実在する時間は、未来から過去へと流れる』

そして量子物理現象が基礎として、私たちの「無」が、果てしない「無」の空間が、「主」たるカラクリである事を知る。

私もあなたも、全ては、途方もない「限られた一瞬」を与えられている。

人は人として生まれた現象だけを与えられている。それ以外は、考えられない。当たり前だが己以外の何者にもなり得ない。

俳優であろうが、物真似師であろうが、師匠の弟子であろうが、

全ての個体生命は、男であれ女であれ、

己のままの生涯以外を生きる事は無い。

私は私でしかない。あなたはあなたで、すべてはありのまんまでしか存在しえない。

「孤独」は、私にそれを「実感」させて「意識領域」の拡大に寄与している。

私は今の、「孤独」である、己に宿った全てを「愛している」

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未来へ続くかもしれない、この「一瞬」の先に続いていった先に私としての「死」は待っている。

「死」を意識して、「生」を重ね、ここまで来た。

どんな自分もありのまんま。そのまんまを愛す。

母から始まる全ての因果、母の私に対する無愛による因果は、家族の誰からも愛されない根源として寄与し、私は愛情が、誰からも与えられず、その性質が習慣化するところまで生育し、大人になった。

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「お前の家族は、何故お前が存在しないように扱うんだ?両親も両親だが弟妹もだ。俺は絶対にあいつらのやっている事が許せない。」

ある男性が私にそう語った事があった。彼は私の家族の事をよく知る人物だった。

あの時、私は初めて「家族からネグレクトされて来た」事実を認識した。

そして、家族が私を愛していない事実を理解した。

そしてそれは、私が社会の中で孤独で自立が求められる、他の大人達からも異質に映っただろう。

そして私は「母からの愛情」を知らぬまま父親となり、父親として、私も子供達に「愛情」与えられなかったのだろう。

与えられたことのない事は、実感していないものはどんなに努力しても無駄。遺伝子レベルで染み込む。特に減数分裂による遺伝因子の「女性」とは違う「男性」とは身体構造としてそうなっている生き物だ。

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「孤独」は私のこれまでの人生に流れていた「事実」を明らかにした。それによって初めて、私は、己の全てを、今ここから「愛す」事が始められた。

私は、この現実を、地球人類社会を日本人の男性として、50年近くも、耐えて耐えて耐えて、必死でよく生きてきた。

客観的に観た時、世間的にも最も恵まれない時期に、恵まれない家族で、恵まれ中で、全ての「絶望的要因」を集めたような「環境」の中、

誰にも理解されぬ「孤独」が内在しながら、必死で生きたのだ。

もう誰も私を、相手にせず、認知せず、愛さなくても構わない。私がただ、それを認めて、愛したまま最後の瞬間まで生きていけばいい。

あらゆる放擲を重ね続けた今が、最も「至福」であり「孤独」の中に「自己愛」を知ったのだから。

その意識から、私は人類を、生命を、物質を、地球を、一つ宇宙をそして多元宇宙を毎瞬毎瞬、意識と共に重ね続ける。

与えられた遺伝子生命の肉体と、物質世界の交信を重ねる。

私は、1日の全てから、私にしかない世界を生きている。

他の人類がそれを求めずとも、愛さずとももう構わない。

私の細胞は、感性は、意識は、私が生きる価値を既に実感し、愛している。そして自然界の草木は、鳥や虫達は、私の意識との疎通を深めている。

「ダークマター」とでも呼ぶべき、この世界の条件要素には、確かに私は実在した役割に則った在り方を果たしている。

ただ、己の今を己が愛していればそれでいい。

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ホモ・サピエンスは、内在化する意識、ホモ・サピエンスの全てを表現するそれを「あらゆる手段」で表現して伝えようとしても、伝えられない。

己も、他者も、全てが足りない。

そして、それもそのまんまでいい。結局最後は必ず「死」が用意されている。有難いことだ。

「この世から私は消える」

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今の、この瞬間の私には私の「孤独」の中にある今を愛する事が、最も大切な時間だ。

何も考えられない。思い浮かばない。

今ここに実在する、私が感じる現実。あるがまま。この瞬間を重ねる事以外。

それを今はただ、未来の先にある、時空の違いの中にある多次元の存在を知る、あの感覚を「盲信」しよう。

「量子(Quantum)」を、地球に生きる、真核生物のホモ・サピエンスが意識して、認知して生きる時代は始まっている。

「量子(クォンタム)」の世界は、今ここに、私たちの日常の中に実在する。

遺伝子にも、自然にも、一つ宇宙の物理現象にも、全てに、私たちから見たら、ダークマターと共に自由自在に、ホモ・サピエンスの思考による想像を遥かに超越した現象と共に実在する事実。

呆れるぐらい、今の事実と事実を重ね合わせたホモ・サピエンスのオスとしてのオキューペーションを知る己をだた愛して、愛して、愛する。

よくぞ、ここまでの「孤独」を「絶望」を「無愛」を与えられた現実を「耐え抜いて生存した。」

50年近い歳月。

誰も私を評価しなかった。誰も私を認めなかった。誰も私を愛さなかった。

そして「己」も「私」にそうすることが当たり前だと「洗脳・盲信」したまんま「日本人」「男性」「氷河期世代」などと言う環境条件を生きて来た。

「よく頑張った。」

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「女性」「母親」達にとって、私の生きた現実は理解不能かもしれない。

ただ、私の人生に内在化した「事実」がそれだった事を「note」しておく。

捉え方は自由。ただ、この「note」に私が残したものに触れた事が、息子へ、夫へ、父へ、兄妹へ、異性の中に流れている「可能性」への「気づき・きっかけ」となったなら幸甚だ。

精神的な「孤独」や「地獄」は、内側に形成されたそれは、目には映らない。

定義化も難しい。証拠も残らない「完全犯罪」のようなもの。

だからこそ、あなた自身の日常の隙間に流れているもの、「形而的」な何かを大切に、慎重に小さな「違和感」と「不自然さ」などの「間」に宿る繊細な何かに意識を持って生きて欲しい。

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私を例にしよう。

私の「母親」は「ゴミ屋敷」の様に物を捨てられずに家には大量の「ガラクタ物資」に溢れていた。

マルチの健康食品・化粧品の使い掛けが捨てられず、何年も開いたまま放置され、冷蔵庫の奥には何年も賞味期限切れの食材が常にあった。

何度も何度も「交通違反」を重ね、毎年の様に警察署に通っていた。

何度もそれに対して私は「ヒント」「きっかけ」としての言動を行ったが、
その度に母は「憤怒」や「焦燥」によって私との「時空感覚」をかき消して、元々の習慣化されたそれを、私が諦めて、去る最後まで繰り返し続けた。

私の実母という存在の中にある意識には「彼女の正義」から「私」の感じているものや私の人生の中に宿るものと「対話」や「関心」から何かを「共有しよう」と言う「主体的」に私を「受け入れてみる」ものがなかった。

それは本人が気付けないものだったのだろう。

作業療法時代、恩師から作業療法士のアプローチは「2種類」あると教えられた。

一つは「人を変える」もう一つは「環境を変える」

私が母を通じて理解したことは、「本人の自覚」から始まらない限り、何をやっても無駄であり、結局は「本人次第」という事だ。

私の母は「愛」ということを「誤認」していた。

「愛」とは、「誰かと己が合わさる」事であって、一方的な「愛」など存在しない。

私にとって母の根本的に「洗脳された状態」が己の「常識的・道徳・正義」が根源であることへの自覚、「盲信した愛」は即ち「無愛」だった。

ある意味可哀想な人だった。母自身、「両親」と「環境」、「社会」「時代」によってそれを与えられ、それで生きて来れたが為に、「疑う事」の「能力」が著しく欠損していた。

即ち、私たちは如何なる物質、生命であれ、「放擲」から始める以外に「あるがままの己を生きる」事を、この多元宇宙に実在する量子世界の時空現象は与えていないという事だ。

私の場合、それがたまたま、この地球上で、このタイミングで、この遺伝子で、ホモ・サピエンスとしての「オス」という条件で解き放たれている。

ダークマターで満ち満ちたこの世界において、

人も他の真核生物も、量子や光子、電子も、それ以上でもそれ以下でもない。

「死」「生」はこの瞬間も、過去も未来も、同じ時空内の現象に過ぎない。

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今から「死」のその時に向かって。私はただ「幸福」だろう。

それは己自身の「孤独」を、己自身の力で選択する「勇気」から「生きた」事が「過去」となって未来から流れている「今」の実存に浸っているからだ。

そこから始まった時の中にあったものが、未来から今を通じて流れていく。

或いは蒸発・解消していく。

「執着」は「不自由」を産むが、「放擲」は「自由」の誘因として作用する。

「無愛」を体験した「孤独」は真の意味で、真我の中に「愛」の存在を学ぶ機会を得る。

あくまで私が、両親からこの時代に与えられた人生の話であって、私が体験したものはもう、次世代には不要。だから「note」に残して、誰かの目に触れる様にしている。

二度と母親からの「無愛」によって苦悩する人類を、次世代に重ねる事が無い様に。実存した「判例」みたいなものだ。晒し首として。

そもそもの極論を言えば、「血族・家族」自体がホモ・サピエンスにとって「盲信」だろう。

遺伝子的に単一種族で、協力しあう事で叡智を社会に反映し、共有する、今のホモ・サピエンスにとって「国家」や「種族」「家族」「個人」「組織」などを、丁寧に丁寧に、玉ねぎの皮を剥いて、また元の状態に戻すかの如く扱う意識が、

それを司どる、要職にあるもの、権威を与えられているもの、影響力を持つもの達に、両親から、社会環境から、時代から与えられた「オキュペーション」であり「責務」なのだろう。

ある意味何者でもない「宙」のような存在で、「唄う」事を重ねている私は、今を、とても己が喜ぶ在り方を。

脱皮して、枝の先で完全変態し、そして自由に空を舞う蝶の様に。

私は、ホモ・サピエンスの雄として、私は私が与えられた条件を、今の私を私のまんまを、あるがまま、生きていく。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生の生命に、今ここまで、内在化してきたものを残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。