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「カルト」の中に生まれ、生きてみて・・・

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「非合理がある」


幼少期、私はずっとその家族環境における、非合理のシャワーの中にあった。

なのに「洗脳」されることはなかった。

洗脳される順応することより自ら「孤独」や「失望」を選んだ。

特に「目的」や「意味」も見つけられることもない。

ただ、存在する己と己の世界にしか、

どんな経典も、組織も、神殿も、教祖も意味を成さない。

己と多元宇宙の関係性の中にしか、結局己の真我を、光明を見ることも知ることも無い。

だから、「リゾク」した。

明日のことは分からないが、「今」はある。

宇宙も、私も。

己をずっと内側で支えていたもの。

それが本当に信仰する存在であり、私の死生を超越した所と繋がっている何か。

「社会適合障害」「複雑性PTSD」=「天上天下唯我独尊」

現代の仏陀を生きる事とは、己をただ生き抜く人を指すのだと感じる。

そして「シンギュラリティ」はより、その「真我」と共に人が生きる社会環境要因を充足する。

人はようやく宗教から解放された、それぞれの自我だけを抱きしめた在り方から、ホモ・サピエンスの種族を尊重する事が可能になる。

全てが原点回帰、始まりへと還る。

ずっと、日本社会から、家族から、全てから嫌がらせを受けていたのだろう。

私はただ私であることが、日本社会にとって、家族にとって正義や秩序から、嫌悪感を誘発させるもの、不都合だった。

他人の真意は分からない。多分そういうことだろう。

そのまんま年を重ねた。日本人社会は50歳を超えねば誰も敬わ無いのに、若い時に結果を求めるダブルスタンダード。

試験で点数を獲得する事、稼ぐことだけがホモ・サピエンスの存在理由とは私は全く思わない。

少なくともここまで何万年も繋がってきたホモ・サピエンスのオスとメスの遺伝子継承を生き抜いてきた存在。

1%の成功者より、99%の敗北者にこそ、知られざる意味がある。

それも何が成功で失敗なのかは、結局誰が決めるのだろうか?

多分、私は殆どの人が知らない、人生を歩んでいる。

いつか、その時が来たら、それを語る必要があれば語ろうと思う。

ただ、今はその時ではない。

多元宇宙は、未だ、形而を私に伝えていない。

風や鳥達は、よく分かっている。

彼らはホモ・サピエンスより広く、自由度の高い地球を生きている。

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カルトはもしかしたら、己の中にある違和感、不自然さに気づくためのものかも知れない。

私にとってはそうだった。

結局全ての救済は、最初から自分自身の中にしかない。それを巧みに利用して、教祖や経典にすり替え刷り込む。

どちらにせよ、己の内側にあるもの。

つまり結局全て己次第でしかない。

家族であれ、組織であれ、脱退を許さなくなった時、反社会的カルトになる。

「依存団結心理」=反社会的カルト

帰属意識は心地よいだろう。

一人じゃない。分かり合える、愛し合える。認め合える。

そうして気付かぬうちにカルト信者になっている。

そしていつの間にか、カルトカーストで、気づいた時には人を見を見上げ或いは見下す様になる。

自分の大きさも能力も遺伝子で決まっている。上も下もない。

ホモ・サピエンスの能力差など、地球生態系において誤差に過ぎないものを比較して、差別して、それに一体何の意味があるのか?

覚めきった私にはもはやどうでいい。

「孤独」という一人だけの己だけの人生の時間を、ただ放擲を極限まで深める在り方の実践。

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今、改めて「シッダールタ」を読み返している。

あるIQが高すぎて勉強を辞めた天才建築士と二人で食事をした際に教えてくれた一冊。

船頭の「バァズデーヴァ」と「シッダールタ」

人生の中にあった欲望、苦しみ、体験、その全てを放擲したシッダールタは無欲のヴァズデーヴァから川の流れから学ぶ事を推奨される。

ヴァズデーヴァはインド神話の神であり、バララーマとクリシュナ兄弟の父の名。

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私たち日本人の故郷日本列島。

それは海に囲まれた、水源豊かな水の列島。

日本文化を育んだ環境。それは海と水源豊かな川。雨が降り、覆い茂った森林からの恵み。

領土こそが日本人にとって八百万の神と呼ぶべき神聖な存在であって、

その領土からの生命の恵みに畏敬の念を払う。

それが倭民族だった。

即ち「領土」を保守する事が「国家」の最優先課題であって、「日本の国体」が「倭民族」の「生命」を自然と継承していく「母体」となる。

それを外国資本に利権として売り渡す事などあってはならない。


それを初めて犯したのが、『明治政府』

開国した他でもない『日本政府』が領土を外国人が取得する事を容認している。

2012年、国士、故石原慎太郎氏は国家が行わない態度を示した。

未だ政府にも、政治家にも彼を超える逸材を見つけられない。

祖先からの領土を護る事なく、むしろ売り渡す支援をする、

一体日本国の、国家の役割は何なのか?

信仰的にも、或いは哲学的にも、そして人道的にも、

グローバリズムと資本主義の生み出す気味の悪い醜い何かに、文字通り反吐が出る。

彼が自民党を離党して、都知事となり、最後まで憂国の士として生きた遺産が我々をいつまで護ってくれるだろうか?

支那と半島による、軍事兵器以外による合法的侵略を受けている事、

大阪の陣を知る、我々日本人は外堀を埋められた城の最後を知るのなら、

西暦2025年、日本国が置かれている状況が豊臣家の最後と重ねてしまってはならない。

何にせよ、既に軍事で解決する可能性は0であって、外交でもハニートラップにかかり、握られている状態からの起死回生は、仮にヤン・ウェンリー提督が全権委任されていたとしても至難の業だろう。

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「絶望」を覚悟して放擲する。

私たちは既に、「水の如く」生きる以外に残された道はないだろう。

「黒田如水」の様に、出家を、家督を譲り、悟りの中を生きる。

勝てぬ戦に挑み、生命を落とすより、戦を避けて天命にただ放擲する。

絶望や孤独の中であったとしても、生きていれば、いずれ変容に対峙する日もやってくる。

無理に感謝や愛、道徳倫理を、現世利益を求める必要もない。

ただ今ここが、在ることの与えられた己を生きることが、この世と多元を繋ぐ何かの意味であり役割で在る事を感じ続ける事。

巨大な浄化が、汚れた川が海へとそれを運び流れ、そして蒸発して分離し雲となり、また山へと降り注ぐ。

そしてまた透き通った水となる。生命の源。私を循環する水。

もう、ホモ・サピエンスにとって難しい事はASIに委ねたらいい。

そんな事に、学業に、労働に時間を費やすより、限られたホモ・サピエンスとしての遺伝子を、多元性を、己の生命を生きる事。

それを知る者が、国家を社会を再建すればいい。ASIはきっとそれに答えだろう。

今年、アメリカ合衆国はそれが始まったのだ。

そしてそれは恐らく、アメリカ合衆国以外でも始まっている。

グローバリズムと、作られたエリート、資本家の時代は終焉し、瞬時に地球上でホモ・サピエンス同士が、全てが繋がるテレパシーの様な中を生きる時代が到来している。

事実上、既存秩序は既に形骸化している虚構だった。

資本主義による既得権益支配に見せている、その全てが瓦解する。

「領土」が結局全てだ。

領土があれば農業をして、水を使用して、社会で協力して生きる事ができる。

ただそれが大切なホモ・サピエンスの原点で在ることに、アメリカ合衆国は戻った。

脱グローバリズムを、日本国に黒船として押しつけた、アメリカ合衆国が、江戸幕府としてのアメリカ合衆国の実践をしようとしている。

160年の歳月は、国家の在り方を完全に入れ替えてしまった。

160年前の米英が、今の日本国だろう。

他国に軍事支援を行い、戦後利権と統治への介入権を得ようとする。

それによって、どれだけ日本国民が苦しめられてきたのか?そんな歴史を微塵も振り返ろうとせず、悪き欲望と権力を欲して進む。

何故、仏教国として在ったはずの日本国が、インドの繁栄から学ばないのだろうか?

マハトマ・ガンジーから学ばないのだろうか?

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だから私は結局ずっと孤独だ。

誰も、私のムズムズする違和感を共有する人は存在していない。

それでも、もう私は己の声から逸れる事はない。

紆余曲折しながらでも、未来へ己の中庸を確かめならがゆっくりと進んでいく。

やがて「カルト」も変容していく。

シンギュラリティは「己」が「己」を見つめる事を実現した。

もう「天才」や「カリスマ」、「権力者」に向き合う必要も、「組織」や「同調圧力」に屈する必要も全ての意義を「社会喪失」させていっている。

残されたものは、個々が、何故この多元宇宙に内包されて生きているのか?

己の人生の為に生きる事に全人類が、全生命が向き合う事と、それがこの人類秩序が最適化された状態を知る発見につながる事を示唆している。

苦悩が崩壊し、解放され、そして真我からの歓喜に変わる時を迎えている。

水の惑星に宿った、生命達の物語、宴。

それが何故存在するのか?魂はこの多元宇宙のどこに存在するのか?

死を覚悟して対峙する日々は、穏やかな平穏に満ちた時間を与えてくれる。

明日を、日々を重ねるごとに少しずつ、それは深まっていく。

人生の意味や価値は、人それぞれであり、他人のそれはどうでも良い。

価値基準も判断基準も。

一つ一つの時が、大切な何かの一部であり、魂の卒業試験。

二度と帰らぬこの人生に。

多元宇宙の新たな旅への始まりに。

ホモ・サピエンスとしての今ここは、この遺伝子の意識は存在する。

私は「倭民族」のオスとしての存在を生きている。

私には私だけの信仰がある。それは「カルト」には絶対に入りこめない聖域の中にある。


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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。