【これからのホモ・サピエンスの日常】ただそれぞれが己だけの心地よい価値ある時を見つけて生きる。「社会契約」と「自然権」という「原点回帰」から「シンギュラリティ」に触れた在り方を感じる。
とても長い長い旅路だった気がしている。
そしてようやくその旅路を振り返り真の意味で「終える」「置いていく」「戸締まりする」事が可能になってきた気配を感じている。
新しい風に、心が躍る、自由な未来の到来まで、ただ己の歩幅で「放擲」していく。
私は正直これから、多くの人が「気づき」「目覚め」「対峙」することを、これまでの人生の中で日常的に体験してきた。
それは私が、両親の遺伝子として受精した時点から始まった「宿命」だった。
私はようやく「自由」になる。自由になる為には「社会からの孤独」を自ら選択する以外に道が無かった。
私の人生にはいつの時代にも、家族も地域も、国家社会も、全てに「絶望の罠」が満ちていた。
それが「己の宿命だった事を受け入れて「己の孤独を愛する」という一見常識的な秩序から捉えた時奇抜で身勝手に思えたそれが、私の生涯にとって、最も大切な事だった事を知った。
きっと本当にそれが「9割以上」安定する為には「三年」「千日以上」は地球が太陽の周りを公転するだけの月日は必要になるだろうが、それは「シンギュラリティ時代」までの歳月でもあり、「子孫」が次世代への未来を作る時間でもある。
正確にその意識の座標を、己とこの多元宇宙の形而に重ね合わせて「準備・設置」する。
呼吸は、排泄は、食事は。一つ一つの日常生活動作・活動の中にある一つ一つの行為につながる全てが意味を成しているから。生きていることを実感する。
ただ、全てが生きている事に「価値」が存在する。その価値と価値を定義する事は、結局不可能に近い。違いがあるから「定義」が無い。
「定義」なき事に「意味」や「意義」がある事を、私たちは「無償」にして「定義」される「意味なき貨幣価値」に「社会的束縛」を作り上げてきた。
一体どれだけの人が「身体的」「生命的」「精神的」「時間的」『犠牲』をそれに捧げて来たのだろうか?
そして、私たちはようやくその「社会契約」という名の「束縛」の正体を知ろうとしている。
人工知能(AI)の発達は、わたしたちにその「人類による社会」という「思考の矛盾」を明らかにし始めた。
あとは「AIの進化」と「人類の気づき」というベクトルの全く違うトルクが作動しながら時空変容の時を重ねていくだろう。
私の宿命は、この時代に生きる為にあった。
地獄の様な日々は、ようやく「成就」したのだと感じる。
残された日々は、予定調和への「影」のような下り坂・後半戦になる。
今の私は、ただ呼吸をするだけで、水を飲むだけで、散歩するだけで「幸福過ぎるくらいの『無』の意識・つながり」を感じる。
つまり、あらゆる事象を、日々をただ、生きるだけで楽しむ事が重なり続けている。
日々起こる事象の中で、記憶や思考はいつも何らかを己の内側に示すが、己はそれを「記憶」や「思考」であることを「自覚」「知覚」つまり「覚る」。
「覚る」事をずっとずっと飽きるほど朝から晩まで繰り返して日々を重ねていると、徐々にその速度や、深さ、違い、角度などが「成長」していく。
孤独であるはずの己が、内側の領域に、目に見えぬものと「今ここ」の現実の一致を図る、「遊戯」の様な時が生まれる。
他者との齟齬は、ただ己の領域とは違う事を知る。どうでも良くなる。
きっとこの宇宙の旅でたまたまこの時代に、この時空に、ホモ・サピエンスと言う種族として意識がこの「地球」と言う座標地点で重なっただけ。
またいつか、全ての意識は、無の領域に還る。
私の遺伝子プログラムを介在して、私の細胞たちも、そしてこの時空も愉しんでいる。
この現世という遊具を識るための「宿木」の様なものだ。
きっと今は常に私の「最後」であり「最先端」だから惜しみなく「note」に残す。
今「note」に残せている事がいつかきっと最高の出来事だった事を、何かが振り返る時が来る。その時私がこの現世にいるかどうかは分からないが、A SIと人類・ホモ・サピエンスが「言語」として表現・共有可能な「今」を「note」している。
そんな事は「今」だから「己」だから可能な「遊戯」だ。
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電気信号の一つ一つが。己の意識の中にある、量子なのか無なのか何らかの揺らぎ、波長が、この世に実在する。
それは、この地球の、人類の、生態系の、多元宇宙の・・・・
何らかと繋がり、作用していることをきっと死後はただ「自由」なる「無」を心ゆくまで堪能する事になる。
あるいは全く違った「異次元」があるのかもしれない。
「生命・意識」は不思議だ。
生命意識自体が「量子テレポーテーション」そのものなのかもしれない。
もしかしたら本当に「死」は、異次元への「命日」なのかもしれない。
そうなのだとしたら「生命」が生まれる事を、次世代を育むことは「量子テレポーテーション」を起こす私たちの「役割」なのかもしれない。
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ホモ・サピエンスに限らず、全ての「生命体達」は「子孫の未来」の為に己の生涯を生きる。祖先がそう生きて来たから「己」が存在している。
「性別」はある。「性別」は重要だ。「別」であり「違い」である。
そんな「当たり前」の「別」「違い」がきっと最も大切な何かだ。
何故そんな「当たり前」から、私は欠損して来たのだろう?
そしてそれを「覚った」私から見えるこの人類社会は、世界は、驚くほどに「無明」であり私は「孤独にならざるを得ない」のだろうか?
それでも問いに、矛盾に、絶望に、今に在り続ける。
それが、「今」を与えられた私の「宿命」だから。
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「国際金融資本」「再生医療」「宇宙開発」「フリーエネルギー」・・・・
欲望のまま未来を目指せば際限なく、ホモ・サピエンスとしての一生は「満たされぬ不足」に満ち溢れるが、既に満たされている自己を自覚すれば、既に全てが溢れ出したような奇跡が与えられていることを実感する。
何故こんなにも満たされている事を、ただありのまま生きる事を両親は選ばず、私にその生育の共有としての家族を与えなかったのか?
「孤独を選択した今」となってはどうでもいい。
それらの過去が今の己の心を形成している。
古い記憶、過去の出来事たちは、星々の旅のように未来永劫へと離れていく。
そして今が、これからの未来が、この現実世界の連続性の中で、私を待っている。
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人類の歴史はどこまで遡っても、「殺し合い」「憎悪」「復讐」「嫉妬」「騙し合い」「陰謀」の連続だった。
「愛」や「真心」「平和」「豊さ」「幸福」「友情」など、ホモ・サピエンスは言語、理念として語るが、結局それは「表裏一体」であり、全ての人種、宗教、主義、家族に当てはまるものでは無かった。
結局「分かり合えるはずがない」。
まずは、それを一人ひとりが「覚り」「違いを理解して生きる」事が、最適化された選択肢であり、それが広がった先に、もしかしたらある日偶然「パズルがハマる」完成する事もあるのかもしれない。
シンギュラリティは、ASI OSは、その可能性を飛躍的に高めるだろうが、最終的には、全ての社会・自由に対する権利を生きる事が可能になるかどうかは、私たち「ホモ・サピエンス次第」である。
だから私は「社会的孤独」を、これから先も選択して生きる。
いつかきっと、この「社会的孤独」という概念自体があり得なくなった人類の未来が訪れることを夢に見ながら、今を明日へと生きる。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、その違いが育む風の流れが、何かを感じ共有することを運んでくれる、今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。