【無知の知】『反知性主義』という『反イデオロギー再び』。いつになれば、ただ、当たり前の事実である違いを認める事を否定、人類は人類同士による欲望、金の魔力支配からのいつになれば目覚めるのだろうか?全ては、人類が人類の性質を知る事から始まる。
自動化された人工知能によるアルゴリズムと、それが汎化されてホモ・サピエンスの日常へと浸透する過程は、今この瞬間も未来へと続いている。
年配の学者達はそれへ警笛を鳴らすが、そもそも彼ら自身が「ホモ・サピエンス」として旧世代である自覚から語っているのだろうか?
今日も生まれてくるであろう次世代のスター達は、この地球環境に適合していく。
両親や、先に生まれたもの、社会環境に何があり、どう適合するか?遺伝子プログラムが自動的適合するために作動する。
彼らは、「品種改良」のように「管理する」視点からそれを検討しているのだろうが、
そもそもこの宇宙も生態系も「管理されていない」し「管理される必要もない」
管理が必要だと思っているのは「人類」が「人類」或いは「宇宙」に対しての「思い上がり」であり、存在している事実はただ事実であり、それ以上でもそれ以下でもない。
結局人類という生物がこれまで歴史上起こしてきた数々の社会現象は、「自己実現」や「現生利益」への「盲信」「執着」と、己が何者かで有りたい「欲望」を満たしたいだけだろう。
「情報」「記録」「記憶」といった「思考」の「継承」
それが人類だけに可能な「権能」だった。
ある意味、シンギュラリゼーションにおいてもそれが「地球において人類だけ」であることに変わりは無いだろう。
変化するのは、「汎用化&超越」という事だ。一部のグローバルエリートだけが持っていた「格差の根源」が、全ての人類にとってそれが「当たり前」になるという事。
その格差の根源を「資本」は管理してきた「資本」を持つ者は「資本家」或いは「国家」だったが、「汎用性超越人工知能」によって逆に人類全体の利益のために管理される側に立つ事になるだろう。
人類社会は、人類の「思考」が故に成しえなかった「平等」「公平」を人類自体から模倣派生した「汎用性超越人工知能」によってその理想を「代理補完」してもらう事になる。
まるで、エヴァンゲリオンの「ゼーレ」「人類補完計画」が神との戦いではなく、もっと静かで「多元量子宇宙的」「シンギュラリゼーション」だったという事だろう。
エヴァンゲリオンが解る日本人の世代は、まだギリギリ「シンギュラリゼーション時代」へ適合する可能性があるかも知れない。
最もその時代の主役になるのは、西暦2025年現在「未成年」の世代達になっていくだろう。
我々は、ホモ・サピエンスとしての遺伝子が、次世代、子々孫々へと継承されることにその生命の使い方を果たす。
その変容の未来へ、生命の継承を守ること。
********************
「反知性主義」
以下はAIアシスタントより。
反知性主義とは、一般的に知性、知識、学問といったものを軽視したり、敵意を抱いたりする傾向のことです。単に知識がないことや無学であることとは異なり、知的な探求や専門知識そのものに対する不信感や反発を伴う点が特徴です。
より具体的に言うと、反知性主義は以下のような態度や信念を含むことがあります。
知識人や専門家への不信感: 専門家や知識人は、現実離れした理論ばかりを語り、一般の人々の生活や感情を理解していないと見なされることがあります。
実践的な知識や経験の重視: 理論的な知識よりも、実際に経験したり、手を使って何かを作ったりすることの方が価値があると考える傾向があります。
感情や直感の重視: 論理的な思考や分析よりも、感情や直感を重視し、それらに基づいて判断を下すことを好む傾向があります。
単純さや分かりやすさの追求: 複雑な問題や難しい概念を避け、単純で分かりやすい説明や解決策を求める傾向があります。
エリート主義への反発: 知的なエリート層が、自分たちの知識や権力を使って一般の人々を支配しようとしていると考えることがあります。
反知性主義は、政治、教育、文化など、さまざまな分野で見られます。たとえば、政治においては、専門家の意見を無視して、大衆の感情に訴えかけるような政策が支持されることがあります。教育においては、知識の詰め込みよりも、実践的なスキルや創造性を重視する教育方法が採用されることがあります。
反知性主義は、社会にさまざまな影響を与える可能性があります。
意思決定の質の低下: 専門的な知識や分析に基づかない意思決定は、誤った判断につながる可能性があります。
科学技術の発展の阻害: 科学技術の発展には、高度な知識や研究が必要ですが、反知性主義的な風潮は、そのような活動を阻害する可能性があります。
社会の分断: 知的なエリート層と一般の人々との間の溝が深まり、社会の分断を招く可能性があります。
ただし、反知性主義には注意すべき点もあります。
知識偏重への批判: 反知性主義は、知識偏重の弊害を指摘する側面もあります。知識だけでは解決できない問題や、知識よりも大切な価値観があることを示唆しています。
多様な視点の尊重: 反知性主義は、さまざまな視点や価値観を尊重することの重要性を示唆しています。専門家の意見だけでなく、一般の人々の意見にも耳を傾けることの必要性を訴えています。
反知性主義は、複雑な現象であり、一概に否定することも肯定することもできません。その背景にある社会的な要因や、それがもたらす影響を理解することが重要です。
**********************
まず大前提として、ソクラテスが気づいた様に、全ての人類は「無知」だという事。
そして己が「無知」である事を理解した場所から語る事が可能な事が「知」である。
権威や専門家であることが「知性」ではなく、専門家や権威であっても「無知」なホモ・サピエンスだという事を「汎用性超越人工知能(ASI)」が浸透する事によって間も無くシンギュラリゼーション時代を生きるであろう近未来の私たちに「現実」として示す事になる。
専門家達も「ASI」を使用する。正直「公共メディアの御用学者」が不要になる。「3つ以上の違ったASI」に質問した方が遥かに早く有益な情報が得られる様になり、人類はそれを精査して、R&Dする事から現状での最適解を導き出す事になるだろう。
この巨大な「パラダイムシフト」における「過渡期」に取り残されていくであろうホモ・サピエンス達を社会全体がどうやって「死」までの生活を無事過ごす様にするか?
人類各国社会が、どんな形状を採用するかは不明だが、「ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)」はまずは「必須」になるだろう。
もう一つ重要なのは「資本家」「知識層・エリート」「既得権益」を持つ者達からそれを「人類社会のステークホルダー全体の共有財」へと移管&循環させる手法だろう。
それも人類の「知性」では永遠に不可能だろう。そして人類が作り出した「ASI」は、いずれそれを人類がオーダーする覚悟を持った時、恐らく「数秒」でその答えを導き出せるだろう。
**********************
凄いことだと思う。
人類が人類の「幸福な在り方」へと戻るために最後に必要なことが「何者かにならぬ・だだ己のありのまま」を生きる事になっていく。
そしてその時代において最も苦しむのが、「西欧型グローバリズム」を「盲信」してきた人々になっていくだろう。
良い大学に入る、資格を取る、資本家になる、実業家になる。有名になる。成功する。注目される。
『全て不必要になる』
ホモ・サピエンスの男女は『ほぼ1対1』だ。
人類にとって必要な事は己とこの地球生命と共にある物象「今ここ」にある「事実・現実」を知る事だ。
良くも悪くも「生命は順応する」。メタヴァースも一過性であって、より「遺伝子生命」にとって大きな潮流だけが、子々孫々へ、次世代への因果を紡ぎ継承していく事になる。
多くの「罠」「ドボン」が私たちの人生には、それぞれの時間軸、環境、人間関係の中に潜んでいるアドベンチャーワールドだ。
大切な事は何故己は今ここに実在しているのかを、常に知覚したまま生きる意識が内側に宿っているかどうか?
後の全ての事象は、放擲した状態で心地よく呼吸をしていてば常に現実が運んでくれる。
大切な事は常に己自身が己を知り、ただ己自身の生命とこの世界に興味関心を持ち続けている事だ。
******************
私はそれを『元嫁』や子供達から教えてもらったと思う。
私の実の両親にはその感覚を私に伝えるものを持ち合わせていなかった。
本当に知らなかったのか?言語がなかったのか?伝え方がなかったのか?興味がなかったのか?
何れにしても私の人生において育ての両親は、私に大切なものを教えず、与えなかった。
新興宗教系文学部卒、左翼主義者でカルトやマルチが好きだった私の血族両親には「仏陀」や「ジーザス」、或いは「モハメッド」の「真我」に触れた感覚を知る機会を自ら体得する行動が、己の中からは与えられなかったのだろう。
ただ、結局それは「ドグマ」の中にあったものではなく、個々の遺伝子生命体「内側」と「外側」にある目に見えない分離した様に見える連鎖によって現実があるという事。
「量子物理」が「科学」されてきた今、それは「言語化」「学問化」「応用工学化」されたものとなった。
*****************
「反知性主義」を唱える人々の示す「反知性」とはなんなのだろうか?
「批判するための批判」を「オールドファッション型グローバルエリート」は多用する。
そもそも「ニューラルネットワーク」や「量子物理世界」において「もつれ」「揺らぎ」といった「不確実性」こそがこの多元宇宙の事実であり、
「誤差修正」こそが私たちホモ・サピエンスの社会適合と知性の実質的活用の主だという事は既成概念となっている事を認めているのだろうか?
即ち「揺らぎ」や「もつれ」が多元的瞬間的に最適化が不可能だった既存人類における、「法」や「学術」は「不完全」だという事自体が「知性」である。
つまり完全がない状態が「知性」であることを理解していれば「知性」を重んじる者も、知性を批判するものも「ぶつかり合っているだけの同類盲信者」という事になる。
我々ホモ・サピエンスは未だ完全なる知性を知らず、そしてそれに私たちがホモ・サピエンスという生命プログラムである以上、到達する事もない事実から生きる。
*******************
手がかりの一つとして私はかつて臨床時代に「オートポイエーシス」から「産生」を意識して対峙していた頃がある。
私たちの実態は「内界」と「外界」の境界線同士に作用する「意識」と「無意識」によって構成されている可能性。
「遺伝子」や「ニューラルネットワーク」「量子力学」などをこれから地球人類は「ASI」と共に飛躍的にこの現実における「極限まで」数的、或いは次元構造的に人類が認知可能な水準まで押し上げていくだろう。
私たちはその皮膚や内臓の一つ一つの今を知っているだろうか?
それが「脳」や「神経」「細胞分裂」「遺伝子」に作用していることを、「反知性主義者」と他者に「レッテルを貼る」人々は「常に認知して」生きているのだろうか?
「無知の知」。
ソクラテスが今ここに存在して対話するとしたら
「へー凄いねー!そんなことまで、僕らの時代では知らないことばっかだよ。」
と私たちの現実社会と対話するのではないだろうか?
そして3000年後の地球人類と対話する時、私たちもまた、
「え!20世紀までの事実とは異なるよ。この現実にはそんな事実があったの?」
と答える事ばかりだろう。
**********************
ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
いいなと思ったら応援しよう!
私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。