【ネタバレ注意・鬼滅の刃】何故『栗花落カナヲ』と『嘴平伊之助』は『童磨』だったのだろうか?
胡蝶しのぶは、姉の花柱・胡蝶カナエに「栗花落カナヲ」に対する考えを吐露する。
「自分の頭で考えて行動出来ない子はダメよ。危ない。」
しかし、そんなしのぶの考えに対して笑顔で返す。
「そんなに重く考えなくたっていいじゃない。カナヲは可愛いもの!」
「きっかけさえあれば、人の心は開くから。じゃあ一人の時はこの銅貨を投げて決めたらいいわよ。」
その根底にあるものこそ、「絶望的な生育環境」にあった。
そもそも彼女は、胡蝶姉妹と出会う時、人身売買として「売られ、連行されていた」。
それは、そもそも「感情が閉ざされる生い立ち」に起因している。
ある意味胡蝶姉妹より先に「鬼舞辻無惨」が登場していたとしたら、鬼殺隊のメンバー中でトップレベルで確実に「鬼」になっただろうキャラクターだ。
「可哀想に。鬼にしてやろう。存分に人間達に復讐するが良い」
なんて台詞が私の頭をよぎる。
*********************************
胡蝶姉妹と栗花落カナヲ、そして嘴平伊之助の根底的に集約する因果は、
上弦の弍「童磨」だ。
鬼滅の刃に登場するキャラクターの中でも、随一と呼んで良いほどの「サイコパス」として「気持ち悪がられる」キャラクターであり、
No.2でありながら、柱で無い剣士2人によって呆気なく屠られるという本人も呆気に取られた最後を迎える。
恐らく私は「童磨」のエピソードに99.99%の他の方より近い境遇を生きてきた。
そして結局私は、童磨の様に「鬼になれなかった」
鬼舞辻無惨に出会うことも無く、「教祖・継承」する事も無かった。
私が「選んだもの」は「社会的孤独」と生きる「己の人生」だった。
*********************************
「猗窩座(狛治)」「黒死牟(厳勝)」「累(るい)」「堕姫(うめ)・妓夫太郎」など、『十二鬼月』には涙を流さずには居られない様な、鬼になるまでの人間時代の過去のエピソードが数多く存在する。
私から見た時「童磨」と「栗花落カナヲ&嘴平伊之助」は「紙一重」な様に映る。
もし仮に、彼が「産屋敷耀哉」に先に出会っていたなら?
「鬼狩りになる!!!」と言って「柱になっていた」かも知れない様に感じる。
そして後者の二人は「鬼舞辻無惨」に先に出会っていたならば「上弦の鬼」になっていたかも知れない。
*********************************
この「上弦の弍・童磨」を廻る因果関係から見える事は
「縁」「時宜」そして「自我同一性」の有無では無いだろうか?
まず「童磨」は生まれた環境から逃れ、『己を生きる』という『勇気からの孤独な行動選択』が存在していない。
万世極楽教の教祖の息子として、遺伝子的、そして環境要因に全てを委ねたまま「二世」として生きて、最後に「鬼舞辻無惨」からの誘いによって「鬼」になった。
それが「教祖」として「鬼」としての「救済・役割」であり、それ以外の概念を持ち合わせずに「盲信」したまま鬼として最後まで生きた。
そして最後の最後、「自我への目覚め」として自分が食った「胡蝶しのぶ」への「恋」に気づく。
そう、彼は「出逢えなかった。」或いは「最後に出会えた。」
*******************************
栗花落カナヲは主人公竈門炭治郎と。
嘴平伊之助は神崎アオイと鬼舞辻無惨との決着を果たした後に結ばれる。
彼らの馴れ初め、ラブストーリーはここでは割愛する。
それは、他の多くのファンたちが語っている。
ここで私だから語れるのは「童磨」とのコントラスト・因果関係から見えるものを「note」しておく。
彼らは2人とも「孤児」だった。彼らの人生の中には何処にも当たり前の生育環境を与えてくれるはずの、血族家族は存在しない。
ある意味晩成極楽教の庇護に、最も近かったかも知れない存在。
鬼は人を殺して喰らう。己の身勝手な欲望を満たすために、人間たちの未来を奪う者たちの象徴として描かれている。
吾峠呼世晴氏が、一世一代の渾身の作品を描き、私たちと共有したかった価値観はなんだろうか?
伊之助にとって「母性」との触れ合い。
カナヲにとっての「父性」との触れ合い。
生きる事を、勇気や希望を与える「出会い」と「己の宿命という因果を乗り越える」。
誰かへの、何かへの「怒り」や「絶望」を超越する事を果たした先にあるもの。
それは無意識から自然派生する「笑顔」や「愛」の様に表現される「ほわほわ」や「わくわく」なのだろう。
ただそれぞれが「生きる」が「美しい」何かだ。
童磨の眼は虹色。両親もその童磨を「期待して愛していたはず」だった。
ある意味その強制された「期待」や一方的な「愛もどき」を裏切る「恋」との出会い。
それが彼に無かった事が大人になる事のない、無邪気なまま鬼として終えた「残念な生涯」の象徴としての登場した「童磨」だった様に感じる。
「天上天下唯我独尊」
彼は一見その様に見えて、実際は「カナヲ」や「伊之助」の方が結果的に唯我独尊だった。
結局「童磨」は誰のことも大切にしなかった。それは己の事も。何故なら彼の中には「鬼になる理由」すらそもそも無かったのだから。
私の中に映った彼らは以上だ。
あなたの心には、彼らの何が映っただろうか?
********************************
ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、その違いが育む風の流れが、何かを感じ共有することを運んでくれる、今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
いいなと思ったら応援しよう!
私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。