第10回「美しき旋律の裏に響く生々しい“エッジ音” ~羽生結弦のDanny Boy~」の記事について。

 みなさん、こんばんは。大木雄貴です。

「記事の記事」シリーズ、今回は、「美しき旋律の裏に響く生々しい“エッジ音” ~羽生結弦のDanny Boy~」の記事について。全文はこちら

 このプログラム、大好き! という方も多いのではないでしょうか(僕も大好きです)。Danny Boyは「羽生結弦notte stellata(ノッテステラータ)2024」で初めて披露されました。

 記者席で圧倒されたことを覚えています(圧倒されてばっかり……)。音楽がスタートしてから、数秒? 数十秒? 空白の時間が生じていたようです。

「あっ! 今、呼吸、浅かった? 浅かったというか、呼吸してた?」と思ったことを覚えています。そして……。

「アッカーーンッ! 最初の方、オレ、メモ取ってない!」(あんた、ペン記者でしょ?)

 美しさに恍惚とし、美しさに襲われ、美しさに飲み込まれました。美しすぎるのは、時として罪なのですね(笑)。「最初の数秒(数秒だったと信じたい)、どうしてくれんねん……、羽生くんよぉぉ」と思いながら、我に返ってメモを取り始めました。

 正気を取り戻し、最初に感じたこと――。それは「エッジ音、すごいな」。優しい旋律と優雅なスケーティングと対をなすように、スケート靴の刃が氷上を削る音が聞こえてきました。

 初披露後の囲み会見、羽生選手は「Danny Boyに込めたコンセプトは希望」と語っていました。うん、そうだよなと頷きながら話を聞いていました。

 でも、なんだろう。絶望や失望とまではいきませんが、希望とは反対の切なさ、儚さも少しばかり感じました。この曲の持つ背景もそれを助長するのでしょうが、それだけじゃない。“これの正体ってなんだろう”。そう考えた時に「エッジ音かも」と。僕にはエッジ音が切なさ、儚さを表しているように思えてきました。しかし、この時は自分の感性を疑っていました。

 希望を希望と感じられるのは、その反対の性質が存在しているからだと思います。羽生選手のDanny Boyは、割合こそ希望が多くを占めますが、切なさや儚さといったエッセンスも隠し味として入っているのかもしれない。だからこそ、希望がより引き立っているように感じます。

 2024年のファンタジー・オン・アイスで、Danny Boyが再度披露されました。幕張の記者席で「やっぱりこの感覚は、勘違いじゃない」と思いました。そして、後々にこのプログラムのエッジ音に関する記事を執筆するに至りました。

 この記事の最後の一文に込めた思いについて。羽生選手が羽生選手であるからよかったこともあるでしょう。しかし、羽生選手が羽生選手であるから、つらかったことや苦しかったこともたくさんあったと思います。

 アスリートで在る以上、“これでもか”と自らにフォーカスし、パフォーマンスを高みへと押し上げる。五輪を連覇すると目標を定めてから、そこに向けて歩む。その過程には、多くの犠牲があったと察します。そして、本来ならば経験しなくてもよいことまで、経験してきたことでしょう。それさえも、飲み込んだ。本当は吐き出したかったかもしれないのに、彼は飲み込んだように映ります。

 そんな羽生選手にしか表現できないものの1つが、あのDanny Boyなのです。

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